第25話 失敗と出会い・後編

「その雰囲気は失敗したかの?」


 リンゼン達、コルナーは村に戻るなり待っていたノーファンにそう言われた。


「はい。面目次第もありません」

「報告は明日聞こう、今日はもう遅いからな」


 何か言いかけたリンゼンをよそにそう言うと、ノーファンはさっさと家に戻ってしまった。


 残されたコルナー達は各々の竜に感謝しつつ、森に解き放っている。しかし竜も自らと縁を結んだ人があまりに落胆しているからか、励ますように鼻先を擦り付けていたり翼で背中をさするような仕草をしている竜もいる。それはラグナも御多分に洩れずだ。


 ウィルとメルはそれを眺めているだけだったが、ユラフタスの人にとって竜がどれだけ特別なものかと言うことだけは否応無しに伝わってきた。

 ただウィルの目には、リンゼンの竜だけが何もせずにすぐ飛び去ったのが目に付いたのだが。


 翌朝、もう一度コルナーとノーファンが集まって作戦を省みる会合が行われた。


「今回は完全に情報不足だった。あの盟友のいる建物に入ってわかったが、まさか6頭目がいるとはな」


 そのリンゼンの言葉に、他のコルナーは一斉に頷いた。

 事前の情報では5頭いるとの事だったが、実際には竜は6頭いた。それで竜を連れ出す準備に手間取ってしまい、魔法のかかりの薄かった兵士にいち早く異変に気付かれたというわけだ。


 ユラフタスは竜が外つ土地の人々に広まった際に気がつけるように、街の商人や運送屋、乗合馬車屋に協力者を多く作っていた。しかし民衆の竜の認知より早く竜を軍が使うとは思い至らず、軍の動きに詳しい協力者がいなかったことが今回の失敗に繋がってしまった。

 ともすればお粗末な理由ではあるが、存在が広まるならば市井からだろうという考えがあったので致し方ない。


「しかし……何故外つ土地の軍人が最初に目を付けたのでしょうな」


 コルナーの1人がそう呟く。


「それだ。普通こういうものは平民から広まっていくものかと思ったが、何故突然軍が目をつけたがだ。

 だが私としてはもう一度、今度は6頭いる前提での奪還を提案したいのだがどうだ?」


 リンゼンはあくまで竜を助ける方が先決らしい。


「あの、よろしいですか?」


 ウィルが手を挙げるとリンゼンが意外そうな顔をした。


「イルカラか、なんだ?」

「あまり口を挟むものでは無いかとは思いますが、すぐにもう一度行くのは控えた方がいいと思います」


 ウィルがそう言うと、コルナー達は一斉にどよめいた。勿論ラグナもだ。


「何故だ」


 一気に険しい顔となったリンゼンがウィルに問うた。


「この騒ぎで、あの基地は間違いなく守りを固めているはずです。その中でもう一度飛び込むのは無理があると思うのですが」

「それがどうしたと言うのだ。お前ら外つ土地の者にはわからないと思うが、我々にとって盟友、つまり竜とは自らの命に代えても守らなければならないものなのだ」

「なら尚更、感情に任せず客観的に落ち着いて物事を考えるべきです。

 貴方達の竜を想う気持ちはわかります。昨夜帰ってきてから、皆さんを案ずるような竜の仕草には驚きました。それだけ想い想われていると言う事だと思います」


 ウィルのその言葉にコルナーは皆黙って耳を傾けている。

 だがウィルは、「案ずるような」と言った瞬間リンゼンの顔が僅かに歪むのを見逃さなかった。それが何故かはわからないが、リンゼンという男に対して何らかの違和感を持たせるには十分だった。


「ただイグナス軍だってこのような攻撃にも等しい事をされたら、当然今回の事を分析して対策を打ってくるでしょう。魔法については門外漢ですが、例えばあの睡眠魔法を阻害したり効かなくしたり」

「ならば竜で攻撃を仕掛けるのみだ。何をしようとも、捕らえられた竜は助けなければならない」

「それはユラフタスの戒律に反するのでは無いのですか?」


 そのウィルの言葉にリンゼンは顔を歪めた。


「そもそも私たち、イグナス国民が竜を使わないための様々な戒律だと聞きました。ではユラフタスであるあなた方は、あの基地にいるイグナス軍を攻撃して良いのですか?」

「ええい五月蝿い! 何も知らぬくせに! これは我々の問題だ! 我々が……」

「見苦しいぞリンゼン! 静かにしろ!」


 リンゼンがまくし立てていたところに、部屋の端にいたノーファンが声を荒げた。長の激しい言葉に、一同は思わず声を失う。


「はやる気持ちはわかるがの、リンゼン。今回に関してはイルカラの方が正しいぞ。あの盟友達が捕らえられているという場所を調べた上で、もう一度行けばよろしい。何か異存は?」


 ノーファンがそう聞くが、コルナー達は誰も何も言わない。


「……私が、私が最初に見た盟友。名札のようなものには『ウヌン』と書かれていましたが、体毛の艶が他の盟友より明らかに無かったのです。それと後ろの翼が僅かに変色しているように見えました。

 これが盟友達が狂ってしまう兆しであるならば、盟友を使ってでも戦うべきだと思いますが?」


 リンゼンのその言葉に再び一同はどよめいた。


「確かかの? オーレル」


 オーレルと呼ばれたコルナーは困ったような顔になった。


「体毛の艶が無かったのは確かだと思います、ただそれが他の盟友と比較してどうかはわかりません。薄暗い場所だったので。

 翼の変色に関しては……私にはわかりかねます。少なくとも私の目には同じように見えました」

「ローレル! お前は私の事を疑うと言うのか!?」


 リンゼンは立ち上がって、ローレルを名指しで非難した。まるで自分の思い通りにいかなくて泣く赤児のように。


「リンゼンさん、あんたこそ変だ。俺だって盟友の事に関して外つ土地の者にとやかく言われたくは無いが、イルカラくんの言うことの方が正しいと俺も思うぞ」

「お前まで言うか! ならもう良い、私は帰る」


 ローレルの反撃に、リンゼンは上げた拳を下さないまま消えてしまった。


「ノーファンさん」


 気まずい空気の流れる中で、ウィルがノーファンに声を掛けた。


「こんな事になってしまい申し訳ございません」

「いや良いのじゃ。お主は賢しい、リンゼンが愚かだった。それだけのことじゃ」

「重ね重ねの身勝手ではありますが、後でノーファンさんと私とメルとラグナとで話をさせていただけませんでしょうか?」

「お主の事だから何か考えているのじゃな? 良いぞ、どのみち今回はこれでもう終わりじゃ。色々と考え直さなければならぬ」


 コルナー達が各々解散した後にウィルとメルとラグナの3人は、ノーファンの家にお邪魔していた。


「それで? 話とはなんじゃ」

「はい。実は……」


 そう言ってウィルは、シナークで会った皇太子妃を名乗る女性とその女中の話をした。


「ほう……ラグナはどう思うのじゃ?」

「私は……信じてもいいと思います。リンゼンさんのように強硬手段に出るのは反対ですが、だからと言って手をこまねいているわけにもいきません。

 勿論罠である可能性もありますが、打てる手なら打った方がいいと思います」


 ラグナは一瞬考えたが、静かにそう答えた。


「わかった。メルーナはどうじゃ?」

「私も信じていいと思います。それに、私の両親の事ももしかしたら知ってるかもしれないし……」


 そう言ってメルは肩を落とした。

 街に出るユラフタスの人から協力者を通じてそれとなく行方を探しているものの、半年経っても依然としてメルの両親の消息は掴めないでいたのだ。


「わかった。ではそうするが良い」


 反対されるか、少なくとも良い顔はされないだろうと思っていたウィルは驚いた。


「良いのですか?」

「他に無かろう、だがこちらはこちらでもう一度行くつもりじゃ。一旦お主ら3人は独自に動いて良いぞ、何があったかは伝えてくれれば結構じゃて」

「ありがとうございます!」


 3人は一斉に言った。


 とは言っても現状はあの皇太子妃からの連絡待ちなので、3人は数日程は村で訓練をしながら待った。

 ウィルと言い争ったリンゼンは、3人を何となく避けつつも普段通り生活しているように見えた。しかしウィルには気になる事があって何度かリンゼンの後を尾けてみたことがあるのだが、やはり山歩きに慣れているユラフタスを追うことは出来ずその度に断念していた。


 そうしているうちに、ついにその皇太子妃から連絡が来た。


「ふう、ただいま」


 3日前に家を出て街に商いに行ったラグナの父、グロースが家に帰ってきた。背中に背負った籠や提げている袋には、様々な食糧などの街で買った生活必需品が入っており、トゥミや弟達は慣れたもので手際よく仕分けしてしまっていく。


「ラグナはどうした?」

「あの子はメルちゃんと訓練ですよ。ウィルくんはガンドルさんの手伝いで畑にいるはずね」


 それを聞くとグロースは袋の中から封書を取り出し、おもむろに立ち上がった。


「ちょっとガンドルさんのところに行ってくる」


 ラグナはシナーク現地司令部での出来事をグロースだけには話していた。そして、もし街で協力者から何か自分宛に預かったら自分かイルカラかメルーナに渡して欲しいと伝えていたのだ。


 ウィルはガンドルの家の田んぼで農作業の手伝いをしていた。

 収穫自体はコツのいる作業なのでガンドルとその妻がやっていたが、乾燥させて脱穀したり籾摺りをするのは色々と教えてもらってウィルが手伝っている。


「グロースさんですか。どうしました?」


 ウィルが籾摺りの手を止めて、作業小屋に入ってきたグロースを見た。するとグロースは何も言わずに手に持っていた封書を手渡した。


「――来ましたか」

「ああ……本当は俺も一緒に行きたいぐらいだがな、それは駄目なのだろう?」

「はい。私とラグナさんとメルの3人のけじめですし、ノーファンさんに無理を言って許してもらった単独行動です。何があっても、私たちだけで責任を取りたいので」


 ウィルが真面目な顔でそう言うと、しかめっ面をしていたグロースが破顔した。


「はっはっ、立派な友達を持ったものだ。あの子を……ラグナを頼むぞ、イルカラくん」


 *


「ついに来たって?」


 訓練から戻ったラグナとメルを含めた3人は、現在ウィルとメルが住んでいる家に集まっていた。もうオゥトム10月に入っているが、皇太子妃からの手紙は僅かに感じる寒さを忘れさせるに十分だった。


『覚えているでしょうか、シナークで会った者です。

 まずは先日の無礼をお詫びいたします。私が竜を見たくてあの場所にいたのは紛れも無い本心であり、その竜について私の夫であるモロスが邪な計画を立てていたことを知っていただけに驚いてしまいました。

 つきましては、あの時あの場所にいたラグナさんとあと御二方がもし良ければ、私達はお互いの理解を深める為にも会ってみた方が良いと思います。


 オゥトム10月の10日、カグルの市座に"カグルの秋市"と呼ばれる催しが開かれます。

 その場所に"金柳の枝"という酒場がありますので、そこで中天の刻に落ち合いましょう。ルフィアという名前を店の者に伝えてください、それで判るようにしておきます。

 あの時の者である証拠に、封書にあの時頂いた羽根を同封いたします。どうか、来てくださりますよう。


 アルフィール=ミラム』


 封書にはこの手紙と共に、ラグナが渡したフレイヤの羽根が入っていた。


「皇族なのに指定する場所が街の酒場って……どういうことなのかな?」


 手紙を読んで、最初に口を開いたのはラグナだった。


「確かにね。それに呼ぶならサルタンだと思ってたけど、なんでカグルなんだろう」


 メルも不思議に思っているのだろうか、首をかしげながらそう呟いた。


「意図はわからないけど行ってみるしか無いよ。この日付ならいつ頃出ればいいんだ?」

「オゥトムの10日かぁ……前日に行くとして、6日に出れば間に合うね」

「わかった。メルもそれでいいな?」


 メルも頷いて、3人の行動計画が決まった。

 この手紙が本心にしても罠にしても、飛び込んでみなければ真意はわからないのだ。


 *


 そしてついに、3人は最初に来た時と同じ道でユラフタスの村を出た。再び移動は馬車で、ラグナが御者を務めている。


「村に来た時以来だね、ここ通るの」


 メルがそう呟いた。メルは竜で何度か村を出てはいるが、この道は来た時以来なのでおよそ8ヶ月ぶりだ。

 ウィルにとっては尚更で、ほとんど村を出なかったからか実は結構楽しみにしていたらしい。


「しかし長く鉄道から離れちゃったしなぁ、俺の扱いどうなってるんだろ」


 ウィルはそう独り言ちた。

 もうハーグ鉄道公団から8ヶ月ほど離れている。扱いとしては無断欠勤になるだろうし、そこまで離れてれば解雇されているだろうと思っていた。

 ただどのみち自分の家はもう無いらしいし、ならばもう一つの家同然だった職場の人に、せめて生きてることぐらい伝えたいと言うのが本心ではあった。


「ウィルなら新しい仕事幾つでも見つけられるでしょ、なんなら領地内で良ければ紹介しようか?」


 メルも一応は領主の娘、そのぐらいは親に相談すれば何とかなるのだ。もっとも、見つかればの話なのだが。


「そうだな。どうせ俺の家は壊されたらしいし、そうなればメルの家に居候するしか無さそうだしな」

「えっ?」


 メルが思わず聞き返した。


「メルの家から通えるなら領地内だと楽だしな」


 しかしウィルは、片肘をついて外をぼんやりと眺めながら答えている。


「私の家に住むの?」

「悪いか? 冬はよくお邪魔してただろうに」

「ダメじゃないけど……」


 イグナス連邦自体が北の方の国なので、シナークも当然冬の寒さは厳しい。

 ウィルの家にも暖炉ぐらいあるが、一人暮らしの身で維持管理するのは大変なのと火を熾す労力も馬鹿にならないというわけで、冬はメルの家で生活することも多かったのだ。


「じゃ問題無いな、この騒ぎが終わったら何か仕事ちょうだいよ領主様」

「もう……問題はそっちじゃ無いんだけどなぁ」


 メルは赤らむ顔を悟られないように俯いている。


「はいはいお二人さん、それ以上やってると馬車切り離すわよー」

「なんで!?」


 ラグナの呆れたような声に、ウィルとメルの声が重なった。


 行きと同じ駅逓で泊まり、シナークに行くまでの道の途中からはカグルに向かう道を進む。途中の街でもう1泊して馬を変え、出発して3日目にカグルに着いた。


 カグルはシナークを含めた沿岸のいくつかの街の海産物が集まる街なので、常に活気がある街だった。

 しかし今は戦時中。途中で立ち寄った街で聞いた話では、港はほぼ閉鎖されていて、軍の船が出入りしているのだという。おかげで魚が入ってこない、とも。そんな中でもカグルの秋市なる催しを開くのは、商人達の意地か誇りか。


 "金柳の枝"と言う酒場は、道行く人に尋ねるとすぐに見つかった。見た雰囲気では結構賑わっているようだ。


「ここね、見た感じではどこにでもありそうな大衆酒場って感じだけども」


 目深い帽子付きの服を着て、青い目を隠しているラグナがそう言った。商いで街に来ているだけならばいいが、もしこれが罠であれば、青い目の女性と言うことで兵士達が探しているかもしれないと踏んだからだ。


「とりあえず会うのは明日だ。場所は確認したし、今日はもう宿でも取って引きこもってた方が安心かもな」

「そうだね、何はともかく宿探ししなきゃ」


 ウィルとメルはそう言って宿の並ぶ通りに向かおうとしたが、ラグナがそれを引き止めた。


「大丈夫よ、だいたいの大きい街にはユラフタスが使う家があるから」

「そうなの?」

「万が一の時の為にあちこちにね」


 そうちょっと自慢するようにラグナは答える。


「商いに来た人とか泊まってたりしないの?」


 ウィルが聞いた。


「使えれば良いんけどね。あくまで万が一の時の為のものだから、そう頻繁に出入りしちゃうと場所を教えるようなものだってノーファン様が言ってたの。

 もちろんサルタンにもあるけど、お父さんなんかよく隠れ家が使えれば宿代が浮くのにって言ってるもん」


 そう言ってラグナは笑った。


 宿もあって確認するものもしたと言うことで、少し街を見て回ろうという話になった。滅多に村から出ないラグナの為でもあるし、いざという時の逃走経路の確認でもある。


「あれ何?」


 そう言ってラグナが指差した先には"湯孔はこちら"と書かれた看板が立っていた。


「あぁ、湯孔か。温泉が湧く穴だよ、いくつかの街にあるね。

 聞いた話じゃ、昔はお湯も出ないのに時々物凄く臭くなる穴もあったらしいけど、そういうのは殆ど塞がれててあぁいうお湯の出るやつだけ残ってるんだって」

「えっ、作ったものじゃないの?」

「昔からあったみたいだよ。まぁどうやって出来たかとか判らないみたいだけどね」


 行ってその湯孔を見てみると、穴自体はそこまで大きいものでは無かった。

 だがお湯だけは無尽蔵とも思えるほど湧いてきており、浴場の建物へと流されている。


「へぇ、立派なものね。今夜の湯浴みはここで決まりかな……」


 ラグナは湯孔と浴場を見ながら感嘆の声を上げている。湯孔があって、かつ豊富なお湯が沸いているところはいくつかあり、カグルはその中でも中くらいの規模ではあった。ウィルからすれば見慣れた光景なのだが、初めてみる者の目を驚かせるには十分だろう。


 その後も滅多に街に降りないというラグナのためにも、街の色んな店を見て回ったりしていた。つまりはほぼ観光だ。

 ウィルとメルはラグナに助けられた時の服をそのまま着ていたが、ラグナだけは最初はユラフタス独特の服だったのでよく目立っていた。


 しかしユラフタスがいるということを隠さなければならない以上は、いつまでもその服というわけにもいかない。

 と言う事で、幾ばくかノーファンやグロースに持たされたお金でラグナの新しい服を買った。メルが選んだ、年頃の女の子らしい可愛い服だ。


 そんなわけなので、ラグナは翌日の事などすっかり忘れてせめて今日ぐらいはとはしゃいでいた。メルもそれに同調していたので、押さえるウィルの苦労は言うまでもない。


 *


 そして翌日の正午、3人は指定された"金柳の枝"という酒場の前に来ていた。勿論ラグナは昨日買った服で来ていて、目深く帽子だけは被っているので一見ではユラフタスと見分けはつかないようにしている。


「ついに来たね」

「ああ、これが罠だったら手筈通りだ。俺の事は構わず逃げろ、いいな?」


 ウィルの真剣な顔に対して、メルとラグナは複雑な顔をして頷いた。

 シナークで出会った2人が、そもそも事前に情報が漏れていてその上で接触してきたという可能性が否定出来ない事には後から気が付いた。ならば手紙の真意も不明なので、いざという時に逃げる手筈だけはしっかり決めておいたのだ。


 酒場と言っても昼は大衆食堂として営業しているところも多い。正午を告げる鐘が街に響くと色々な建物から人がわらわらと出てきて、各々がお気に入りの食堂に吸い込まれていくのはどの街でも見られる光景だ。そしてそれはカグルも例外ではなく、戦時中という事を忘れさせるほどだ。


「正午だ、行こう」


 そう言って3人も中に入った。

 正午になってすぐだと言うのに、もうある程度お客さんの入っている店の中はそこそこ賑わっていた。


「あの、すいません」

「はい、いらっしゃいませ」


 ウィルが店員に話しかけると、愛想のいい笑顔が返ってくる。


「"ルフィア"という者が居るはずなのですが」


 そう言った瞬間、店員が僅かに驚いた顔になったように見えた。だがすぐに「こちらになります」と言って歩き始めたので、連れられるがままに店の奥へと入っていく。


 ――僅かに表情を変えたけど、本当に驚いただけと言った顔に見えたな。さてどうなるか……


 店員に連れられるまま3人は、店内の奥に設えてある個室へと向かった。店には宴会の為の個室もあるが、それとは別にお忍びで訪れた人の為の部屋がある酒場もある。と言った話を初めて聞いた時には、そんな作り話みたいなものがあるのかと思ったが、本当にあるらしい。


 その店員は一つの戸の前で止まると、

「こちらでございます」と言って戸を叩いた。


「失礼致します。お呼びの方々が到着されました」

「入ってください」


 戸の向こうから聞こえてきたのは、紛れもなくシナークで聞いたあの声だった。


 店員が戸を開けると、はたしてそこには皇太子妃アルフィール=ミラムと最初に名乗った女中、ファスタ=ルフィアが座っていた。


「来たわね、まぁそこに座ってちょうだい。話す事は多そうだし、昼餉を食べながらゆっくり話しましょう」


 そう言って皇太子妃はニコリと笑った。

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