第7話 翼持つ影と運命の出会い

 ピィーッという甲高く鋭い音が聞こえた。

 同時に強い風が吹き降ろしてきて、地上に砂埃と粉塵が舞う。今日は風が無いはずなのに。


 ――何の音だ……?


 そう思って周りを見るとメルも、そして他の兵隊もみんな動揺してすっかり暗くなった空を見上げている。ウィルとメルに繋がれた縄を持った兵隊も、連行する手を止めて音のした方を見上げていた。


 一瞬後、メルの家の明かりが届く地上から僅かな距離の空に、巨大な鳥のような影が現れた。

 しかしそれは、鳥と呼ぶにはあまりに巨大な翼を持っていた。家から漏れる明かりだけではよくわからないが、その双眸がハッキリとウィルや兵士達を捉えていることだけはわかった。そしてその上に人影らしきものがあることも。


 ウィルもメルも、そしてその場にいた兵士達もみな呆気にとられてその影を見つめていた。

 あれは何だ? 生き物か? あんなに大きい生き物がこの世に存在するのか? あの上の人影は誰だ? 目的は? 敵か味方か?


 すると正体不明の影から一瞬何かが光ったかと思うと、連行用にウィルとメルとに繋がれた太い縄が一瞬にして切れた。そして次に光った時には、縄を持っていた兵が声を上げる間も無く火だるまになってその場に倒れこむ。


「て、敵襲ー! 敵襲ー!!」


 皆が唖然としてその光景を見ていた中で、1人の兵がそう叫んだ。すると他の兵士も我に帰ったのか、一斉にそのシルエットに向けて提げていた銃を撃ち始めた。

 メルの家に入っていった上官らしき人物も、その銃声を聞きつけてか慌てて飛び出してきた。近くの兵士に状況を把握するや、何やら叫びながらそのシルエットに向けて銃を乱射している。


「なんだアイツは! 増援を呼べ、第三分隊が近くにいるはずだ!」

「本当に当たってるのか? あの化け物め!」


 謎の鳥のような影に突如火だるまになって倒れた仲間の兵士。あまりに異常な状態にもはやその場に残った兵士は皆、半狂乱状態に陥っていった。


 ――なんだあいつは……!? いや、兵士はみんなあの影に気を取られてる。今なら……


 あのシルエットが敵か味方かはともかく、少なくとも兵士が誰も自分たちに関心を向けてないことを確信したウィルは、メルに「今がチャンスだ、逃げるぞ」と小声で言った。

 メルも突然の状況に動揺はしていたものの、ウィルと同じく自分たちに関心が向いてないのを好機と思ったのだろう。小さく頷くとウィルと一緒に全力で逃げ出した。


「虜囚が逃げたぞー!」

「追え! 追えー!」


 背後で兵士の叫び声が聞こえてくる。

 背中から撃たれるのを一瞬覚悟したが、こうなれば運を天に任すのみ。耳元を空気を切り裂いて何かが通った気もしたが、立ち止まったら殺されるとの思いでひたすらに走った。


 とはいえウィルもがむしゃらに走っていたわけではない。メルの手を引いて目指したのは、路地が入り組んでいて隠れる所の多そうな街の外れ、シナーク・カグル街道の関所街だ。古い街なので区画整理がされておらず、よく買い出し等々で訪れるウィルなど地元の人でなければまず間違いなく迷うような道の作りをしている。


 シナークの近くにある軍の駐屯地は汽車で40分ほど行ったところにあるカグルの町にあり、シナークには常駐の軍隊はいない。つまり今ここに来ている兵士は、ここが地元でない限り間違いなく寄せ集めだ。そうなればシナークの、ましてや道が複雑な関所街の土地勘など無いはずだろう。


 まともにやりあっても勝てる訳が無いが、そういう兵士相手に追いかけっこをするなら、関所街にさえ逃げ込み地の利を活かせば間違いなく撒けるだろうと考えたのだ。


 幸運にも撃たれることなく、また他の兵に追われることもなく関所街まで走り抜け、街灯の明かりがわずかに届く程度の細い路地に身を隠した頃には、ウィルもメルもさすがに肩で息をするほど疲れきっていた。


「はあ、はあ、さすがにもう追ってこないか……」

「もう、大丈夫、みたいだね……ウィルは大丈夫?」

「俺は大丈夫だ。しかし家は勝手に壊されるわこの街から出ろとか言われるわ散々だ。一体何が起こってるってんだ」

「私にもさっぱりわからない。両親は緊急事態だからとかいって皇都に行ったっきり帰ってこないし、そうこうしてたら空襲だって言って、それが落ち着いたらあの騒ぎだよ!? ナントカ機甲師団だかなんだか知らないけど横暴すぎるよまったく……」


 メルはそう一気にまくし立てると、ストンと路地の端に腰を下ろした。詳しく聞くと朝に早馬が皇都からの文を携えて来て、クロムス叔父さんもアイナ叔母さんも血相を変えて皇都に向かったのだという。メルはその間の留守番を頼まれて、そうしたら夕方になって空襲と言う騒ぎになって夜にはこうなったという訳だ。


 ――しかしロヴェル機甲師団だって? あの貨物車の中にあった木箱にもその名前があったな……

 ――だとするとあいつらの運んだ荷物は本当になんなんだ、あの場所をどうしようと……


「ねぇ、ウィル。これからどうしようか私たち……」


 ウィルの思案を遮って、足元からメルのくぐもった声が聞こえた。どうやら自分の膝に顔を埋めながら、少し泣いているらしい。


「そうだな……とりあえずメルの両親は皇都にいるんだろ? なら行ってみるしか無いかもな」


 メルが顔を上げて目の鉢に溜めた雫を袖で拭った。


「皇都へ? 汽車で行くの?」


 そう聞かれてウィルは、今自分が言ったことができるかを考え直した。仲のいい車掌に頼めば、自分とメルぐらい車掌室に匿ってもらう事は出来るだろう。

 だが詰所でネスは"旅客列車も貨物列車も大減便"と言っていた。しかも兵士から逃げて来た身だ、追われている可能性がある。

 もし本気で捕まえるつもりなら、その数少ない列車を見張っていればいい。


「いや……汽車は無理だな」

「それじゃどうやって?」


 皇都までは足の速い旅客列車でも3時間だ、とても歩ける距離ではない。


「シナーク発の汽車は大幅に減らされてるらしいからな。それなら交易都市のカグルに出て汽車に乗ろう。そこからならうまく兵を撒いて列車に乗れるかもしれない」


 ウィルは鉄道公団の人間なので顔が効くし、多少は裏道も知っている。そして仕事が終わってすぐにこの騒ぎなので財布は持っているし、メルの運賃を払う分だけの現金は持っている。


「カグルへ……歩いて?」

「そうなるな、長旅になるだろうが1日歩けば着くだろ」

「いやそうは言っても……」


 メルが心配するのは当たり前だった。鉄道というものが建設されてからは、かつての旅人や商人が歩いた街道はお世辞にもよく整備されてるとは言い難いのだ。鉄道は街道筋に沿って全国に整備された為、鉄道に沿った街道を使うのは早馬かかなり重要なもの。そうでなければ何かやましい事がある人、前科者、鉄道に乗れない貧乏な人に限られていた。つまり治安は良くないわけで、野盗に襲われたりする危険性もある。


「襲われるかもって? だけどそうするしか無い。なに、1人じゃなくて俺と一緒だ」


 そう言うとウィルはメルを見て笑ってみせた。つられてメルも微笑すると、そのまままた顔を埋めてしまった。

 とにかく捕まらずに皇都を目指すしか無いのだ。当てにできるのはメルの両親だけだし、手段を選んでいる場合では無い。


 ――とりあえずここなら見つかりにくいだろうし、暗いうちに動きづらいのは向こうも同じだ。明るくなったらまずカグルに行こう。


 そう結論づけると、そのまま眠ってしまったらしいメルの隣に腰掛けて、ウィルも少し眠ることにした。


 *


 そして、どのくらい経っただろうか。

 ウィルはふと足音を聞いた気がして、浅い眠りから目を覚ました。慌ててもう一度耳をすますが足音は聞こえない。


 ――気のせいか……?


 そう思いもう一度集中してみると、かすかにこちらに向かってくる足音を聞き取る事ができた。


 ――兵士か? だとするとまずいな、別の路地に逃げて朝までやり過ごす他ないか……


 まだ朝も明けきらぬ時間、今から行くには早すぎる。ならばここは逃げるのみと考えすぐに近くに落ちてた廃材を拾い上げたウィルは、音を立てないよう静かにメルを起こした。


「メル、起きろメル! 誰か来たみたいだ。一旦ここから離れよう」


 そう言ってまだ眠気まなこのメルを立たせた。左手をメルの腰に回して、右手には最悪メルだけでも逃がせるようにと廃材を持つ。

 そして足音とは反対側に歩き出そうとした時……


「待ってください!」


 そう呼び止める声がした。

 兵隊が来たと覚悟していたウィルは、怒鳴り声が聞こえてきたらすぐに逃げようと思っていた。しかしその聞こえてきた声に驚いて思わず立ち止まった。

 その声が若い女性の声に聞こえたからだ。


 騎兵師団にしても魔法師団にしても女性がいるなんて聞いたことが無い。であれば町の人だろうが、夜間外出禁止令が出ている中でこんな時間に外に出ている人はいないはずだ。


「危害を加えるつもりはありません! ただ……あなた方を探しに来たのです!」


 人影はそう続けた、その声には必死さが滲んでいるようだった。


 そしてウィルとメルが静かに振り返るとそこには、薄明の中でも碧眼がよく目立つ、1人の少女が立っていた。

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