その少女との邂逅

第3話 故郷への荷物

 皇都の"抜けるような"と言うにはあまりに煤けた青空を見上げながら、そして時折手元の時計を確認しながら、ウィルはぼんやりと機関車の端に腰掛けて時間を待っていた。


 新暦803年、春。そろそろ昼間は外套も要らなくなってきたか。


 後ろに見える貨物車の周りでは、数刻前まで荷物の積み込みをしていた皇都の運送屋が何やらチェックをしている。普段なら最後のチェックはもらった荷物の内訳表を頼りにウィルがやる仕事なのだが、何故かこの荷物に限ってはやらなくていいらしい。と言うより「我々がやるから」と内訳表を渡してくれなかったので、暇を持て余していたのだ。


 その代わりに積み込みの際に運送屋から貰ったペンダントを手の上で転がしていた。仕事を取ってしまって申し訳ないとか言ってくれたものなので有り難く貰っておいたが、中に入ってるのはまるでガラス玉のような透明の石みたいなもので「ああこりゃ安物だな」と少しガッカリもしていた。


 どうも近くにある軍用馬の放牧場では、なにやら珍しい生き物が捕まったとかでお披露目が行われているらしい。驚いたりする声が風に乗って僅かに聞こえてきていた。

 その生き物が何かはわからないが、遠目にも軍や国のお偉方と思しき人たちがウロウロしてるのが見える。少し興味が湧いたので話のタネに見に行こうとしたが、周りを警護する兵隊に追い返されてしまった。それでも外から見えないかなと粘っては見たが、建物の中にいるのか姿までは見えなかった。


 そうして最近吹き始めた春風に吹かれながらぼーっとしていると、やがて少し離れた詰所から丁稚バイトの少年が1枚の紙を持って走ってきた。


「お、『伝書鳩』が来たぞ。そろそろ出発だな」


 そう呟くと隣で腰掛けていた今日の相方運転士、ユルグ=ハーナストがのっそりと起き上がって機関車を降りる。


「901臨時行路の券票です! お気をつけて!」


 丁稚が券票と呼ばれた紙を渡すと慣れない敬礼を送る。


「ご苦労さん、安全に」


 対して運転士ハーナストが返礼をする。

 いつも通りの光景だ。


 ――しかしまぁ、手紙のやり取りに伝書鳩って時代でも馬って時代でも無いのによくよく言葉は残るものだな。


 そんな他愛もないことを考えていたウィルも立ち上がって、券票を受け取ったハーナストと一緒に機関車の中に戻った。


 ハーナストは戻るなり発車前の点検のためにブレーキをかけたり戻したり、計器に目をやったりと忙しない。だがそれはウィルも同じことで、受け取った券票と運行計画を照らして確認したり自らが乗る車掌車の点検をしたりと出発直前の準備に余念がない。


 周辺国の鉄道では毎月のように事故の話を聞くが、ウィルの勤めるハーグ鉄道公団の事故の発生率の低さには定評がある。それも周到かつ細部にわたる点検のお陰だ。ちなみに運送屋から貰った安そうなペンダントは、持ってても邪魔なのでポケットに押し込んだ。


「券票よし、シナーク東貨物駅ロム・ネゴイム午後1時30分発車ァー」

「行くぞウィルー! 券票ヨシ! サルタン東発車!」

「サルタン東発車ー」


 ハーナストの大声とウィルのやる気の無さそうな復唱と共に、皇都サルタンの端にある貨物駅を貨物列車はそろりそろりと離れていった。


 何故ウィルにやる気が無いかはそれもそのはず、本来は休みの日なのに前日の仕事終わりに突然呼び出されて、上司に「皇都からシナークへの仕事を突然頼まれたんだが他に人がいない。乗ってくれないだろうか?」と言われたのだ。ウィルにとっては面倒じゃないわけがない。しかも片道4時間もかかるとなれば尚更だ。休みも丸つぶれである。


 だが仕事は仕事だ。貨物を取り扱う者の端くれとして、たとえ荷物が何であれ頼まれたものを確実に送り届けるのが仕事だ。


「それじゃ帰りもしんがりを頼むぞウィル」

「任せてください。皇都からあんな田舎町まで、途中の荷降ろし無しの直通なんて珍しいですけどね。別に何も変わりはしませんよ」

「別にあんな田舎町ってわけでも無いだろうよ! 魚は旨いだろ?」

「それしか無いですよあそこは」

「お前の故郷だってのにドライだねぇ」


 なんでも大声のハーナストと普段通りの他愛もない会話をしつつ発車直後の安全確認を終えると、この鉄道、ハーグ鉄道公団の貨物専務車掌であるエルストス=イルカラは最後尾の車掌車へと移った。


 発車直後は事故が多い。貨車の連結手がミスしたりすると、貨車を何両か置いていくことになる。それに重量のある貨物列車を引き出す際に機関車内の窯の圧力が一時的に高まることから、暴発事故も起こりやすい。だがそれさえ乗り越えてしまえば楽なものだ。


 ウィルこと、エルストス=イルカラは4年前から丁稚と呼ばれる業務手伝いとしてこのハーグ鉄道公団で働いている。

 本来は丁稚と言えども学校の中等舎を終えた15歳から始めるのが普通なのだが、成績優良だったウィルは13歳から丁稚になることを許されていた。


 最初は駅の詰所から券票(安全な運行を担保する証明書)を運転士に渡す、いわゆる『伝書鳩』と呼ばれる仕事からだった。紙を持って走るさまを書簡を携えて飛ぶ鳩に例えて、伝書鳩と呼ばれるようになったらしい。

 そして学校を卒業して正式にハーグ鉄道公団に所属している今では、貨物専務車掌としてこのイグナス連邦の様々な場所へと走る貨物列車の添乗・荷物監視を生業としている。


 ハーグ鉄道公団は文字通り鉄道会社だ。あまりその辺の歴史には興味は無かったが、動力革命のすぐ後に発足したことは知っている。国中の隅々にまでその鉄路を伸ばし、かつての移動手段だった馬や牛車、長距離馬車に取って代わって、国内外の移動や荷物の輸送を一手に引き受けている。


 ウィルは貨物専務だが一口に貨物と言っても運ぶものは様々あり、普段は町から町へ行商の荷物や農作物などの様々な物資や食料を、鉱山から工場へ鉱石を、と言ったような荷物が主だった。しかし今日のこの列車は違う。


 そもそも臨時で急遽走ることになった上に、連邦の中心の皇都サルタンから特に何という名産も無い海岸の田舎町であるシナークへの直通列車なんてとても珍しいことなのだ。

 しかもサルタンで荷物を載せたのが、皇都の運送屋を装ってはいたものの何となく動きがぎこちない男たちときたら不自然この上ない。


 ――しかし何かねこの荷物は、ご丁寧に貨物室内立ち入り禁止なんて言われてるし、貨物室の鍵すら貰ってないと来た。何かあっても荷物状態の確認もできないじゃないか。


 列車の一番後ろの車掌車に移ったウィルは備え付けの椅子に座るなり荷物のことを考えていた。


 事故の少ない鉄道とは言ってもよく揺れるもので、穀物袋や箱物はどれだけしっかり積んでいても荷崩れが常々。なので貨物専務車掌は運行中は荷物を支障の無い程度に直したりするのが仕事なのだが、今回に関してはその荷物の内容も分からなければ荷物室にも入れない。

 貨物専務車掌でありながら、何かあってもどうにもできない状態で乗ることになったのだ。


 ウィルも気になってベテランの人に色々聞いてみたところ、「それは多分皇室枢密院の荷物だから下手な詮索はやめた方がいいぞ」などと釘を刺されてしまった。


「まぁ本当は休みのところを無理矢理駆り出されての皇都行きだ、あいつへの土産も出来たし帰りが直通ってのも楽だし、何よりそれで稼げるなら旨いもんだ。あとはシナークまで何もなければ完璧なんだけどな」


 などとため息混じりにぼやきながらも悠長に列車の揺れに身を任せていた。鉄道が開通してすぐの頃は列車を襲う盗賊もいたそうだが、国益を損なう蛮族として徹底的に取り締まられたらしくこのご時世そんな物騒な話は聞かない。穏やかそのものだ。


 だが、そんな平和な旅路はウィルの期待とは裏腹に唐突に終わりを告げた。

 それもあまり歓迎しない形で。

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