第30話 後遺症
「気に障ったかな?」
帰りに寄ると言ってた買い出し中に、何の前置きもなくそう言われた。
けれども、何に対して聞いてるかは、言わずともわかった。
「いいや。なんで?」
「………無理矢理、見せたようなものだから」
平日の夕方の商店街は、そこそこ人で賑わっていたが、その声ははっきりと聞こえた。
初めて来た商店街だし、僕は
「あの部屋を見てどう思った?」
「…………………………」
八百屋さんの野菜を物色しながら、針ヶ谷は聞いた。僕は何も言えなかった。
「優紀は何とも思わなかったけど、お兄さんは多分気づいたよね?」
「…………まぁ……一応…………」
その思った事や気づいた事が、的外れかも知れないから、僕は言葉を濁した。いや、的外れでいて欲しかった。僕の思い込み、酷い想像、壮大な勘違いで終わって欲しかった。そんなオチでもよかった。
「穂乃佳は、長い時間掛けても、自らの口で話す事は無いよ。実際、穂乃佳の件は僕と優紀と、そしてお兄さんしか知らない。美彩さんと牡丹姉さんは知らない」
そんなオチを認めない少女は、ナスとトマトと、ズッキーニとセロリと、ピーマンとオクラを店主に頼んで、
「あぁでもしないと、彼女の片鱗は見れない。ポリシーもプライバシーも破らないと覗けない本心、覗き穴のある扉の前にすら立てないんだよ」
立派なレタスもサービスしてもらって。
顔見知りみたいだ。店主は針ヶ谷の名前を知っていたし、針ヶ谷も店主を苗字で読んでいた。
店主は僕と針ヶ谷の関係性を問い、「友人」と答えると「え?」と言われた。
「僕と穂乃佳は両極端で、故にとても酷似しているんだよ」
スマホのメモ欄を見ながら、針ヶ谷は独り言の様に呟いた。
「……………………………」
「強いて言えば美彩さんの方が似ていて近しいのかな。いや、それは僕も近いから似たり寄ったりかも知れないか」
何が極端で、何が酷似しているのか、僕にはわからない。わからないなりに考える。
また違う店へ足を進める針ヶ谷の後ろを、野菜の入ったエコバッグ片手についていく。今一度、今日の出来事を振り返りながら。
それでもやっぱり、答えらしい答えが分からず、
「……針ヶ谷の言う、望月の面白い話って…?」
あえて彼女の言葉を使って、そう尋ねた。
「………簡単に言うね。穂乃佳の人生を一言にまとめろ、なんて」
「いや、そんなつもりは……」
「いいよ。簡潔にまとめることは、他人に伝える上で重要な能力だ」
辿り着いた精肉店のおばさんに、豚ロースと、とりささみを頼む。肉をカットしてもらう際、「いい男連れてるじゃない。彼氏かい?」と聞かれ、「ううん。お兄さんは………お兄さんだよ」と教訓に習い、そう返す。おばさんはその答えを可笑しそうに笑い、何故か頼んでいないコロッケをくれた。それも2つ。つまり僕の分も。
「サービスだよ」と言って丸い顔をさらに丸くするおばさんに礼を述べ、精肉店を後にする。
「と言っても、一言で語れる事じゃ無いし、一晩掛けても語り尽くす事は出来そうに無いから、一言にまとめるなんて無理難題。………そもそも、僕の口から語るのは僕自身好きじゃないから、多くは語らないけどさ」
サクサクアツアツの揚げたてコロッケを、何の躊躇いもなく一口食べる針ヶ谷。表情は一切変わらず、熱がってる様子もない。
それを見て僕も一口。熱すぎて火傷しかけた。
「そうだね。あえて一言にまとめるなら……」
歩くペースを一切落とさずに、
『
そう言った。
当てる漢字を間違えてるかも知れないけど、少なくとも僕は直感で、その漢字を当てはめた。
それが一番しっくりきたから。
「今は、ね」
付け加える様に、針ヶ谷は言った。
落ちる太陽に照らされて、持ち主より何倍にも伸びる影は、昼間と違ってぼんやりしてる。
「スマホって便利だよね。わからない事を調べれば、すぐに答えにたどり着ける。忘れない様に保存できる」
買い物リストの食材は買い切ったのか、メモを消去して、スマホの電源を落としてしまう針ヶ谷。何の脈絡もなく呟いて、
「だから、想像の余地を消してしまう。覚える必要を無くしてしまう」
赤と青が混ざった、紫色の空に浮かぶ欠けた月を見てから振り向き、
「与える事で奪ってしまう物があるんだよ。世の中にはね」
僕の目を見る。
「……………………………」
与える事で奪ってしまう物。
言いたい事も聞きたい事も言い切ったと言わんばかりに黙々と、熱々のコロッケを食べ進める少女の言葉に、どう言う意味だろうと、思考を走らせる。
先程お邪魔した望月家は、正直言って異常な環境だった。無関係な第三者の僕からしたらの、とても主観的で個人的で客観的な意見だけど。それを言うなら、針ヶ谷もそうだけど。そうだったけど。
望月夫妻は、お子さんが好きなのだろう。娘を愛してやまないのだろう。僕と違って。
愛するあまり、好き過ぎて、何もかも干渉して、彼女自身の意思など、尊重されなくて。僕と同じで。
さっきの言葉は、そういう意味だろうか。そう言いたかったのだろうか、針ヶ谷は。
「……………………………」
…………いや、考えすぎか。
最近被害妄想が酷い。いつからそんな人間になったんだ僕は。
いくら仲の良い友人の言葉とはいえ、本人の口から出た言葉じゃないのだから、あまり深く考えなくてもいい。力になろうと思えば思う程、あの夫婦と変わらなくなる。
気にかける。そのぐらいが良いのかもしれない。
「…………………あっつ」
とりあえず結論が出た。しかしコロッケはまだ熱かった。
頭の中で言葉を反復し思考を巡らせ、もう一つ出た結論を、口に出していいか吟味して、呟くことにした。
なるべく、独り言の様に。
「与える事で奪ってしまう物が仮にあるなら、奪われる事で得る物もある、と思う」
「……………そうかもね」
黙々と食べていた割には、減ってる量が、あまり僕と変わらない。
彼女にも、彼女のペースがある。それは僕にもある。望月にも美彩にも折坂さんにも、もちろん神宮寺にも。
そういえば、今日は神宮寺と例の年上後輩が一緒に店を回してる筈だ。大丈夫だろうか。両方ともクセが強いから、化学反応を起こして爆発しそうだ。
帰りに寄って行こうか。いや、神宮寺はシフトが終わったらアジトに行くだろう。そしたら嫌と言うほど聞かされるから、見に行かなくてもいいだろう。
「晩ご飯はタラトゥイユにしようと思うんだが、お兄さんも食べてくれるかい?」
「うん、もちろん」
そのタラなんちゃらがどんな料理か知らないけど、多分美味しいのだろう。知らなくても、わからなくても、わかる事はある。
焦る必要はない。幸い時間はまだある。ゆっくり歩けばいい。
今はそれでいい。
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