第28話 お邪魔します
「ここが穂乃佳の家だよ」
電車を2回ほど乗り継いで、降りた駅から徒歩数分で到着した住宅街。変哲もない家々が軒並み、例に漏れずその望月家も、二階建てで小さな庭とカーポートがある、ごく普通の一軒家だった。
普通の家。真昼間だというのに2台の車がカーポートに入ってる点を除けば。
「多分すごく警戒するから、くれぐれも慎重に。助け舟は出すけど、なるべくお兄さんの口で話してね」
「わかった針ヶ谷」
「今は下の名前で呼んで」
「…………
「もう少しスムーズに言って欲しいけど………」
無表情の顔に大丈夫だろうかと書いてある。大丈夫じゃないけど頑張る。
郵便受けの上にあるインターホンを押す。
ピーンポーンと無機質な音が鳴った後、少し間が空き、スピーカーから「はい」と女性の声がする。母親の声だろうか。
「こんにちは。穂乃佳ちゃんのお見舞いに来ました」
「あら、いらっしゃい瑞ちゃん。ありがとねぇ嬉しいわ………そちらのお兄さんは?」
「お姉ちゃんの彼氏さんです。送ってもらいました」
改めて言われると緊張する。例え面倒くさい説明を省く嘘だとしても。
「どうも。………瑞ちゃんがお世話になってます」
設定というかハッタリというか、僕は神宮寺の彼氏という事になってる。そして神宮寺は針ヶ谷の姉ちゃんという設定で。
少し無理があるが、ただの友人の方がよほど無理がある。年齢差そこそこあるから。
「いえいえ、こちらこそ。外暑いでしょ?ささ、早く中に入って」
「お邪魔します」
インターホンが切れたのを確認してから、
「大丈夫?お兄さん」
「………頑張る」
決して大丈夫とは言わない。大丈夫じゃないから。
腹を括って玄関を開ける。芳香剤と生活臭の混じった独特の匂いが出迎えた。
通されたのはリビングで、綺麗なフローリングの床を客用のスリッパで踏み、木製の椅子に腰掛け、僕は出された熱々の紅茶を冷ましながら、望月夫妻と他愛のない世間話をしていた。
「いやぁ、来てくれたのに申し訳ない。穂乃佳、顔出せないなんて」
「いえいえ、病人に無理をさせるわけにもいきません。安静にして、早く元気になってもらうのが一番です」
「そう言ってもらえると助かるわぁ」
「あぁ、そうだ。……ささやかなものですが、皆様でどうぞ」
「あらあら、どうもありがとう。穂乃佳が治ったら一緒に頂くわ」
「……………………………」
メンバー随一の常識人とはいえ、年端も行かぬ中学生なのに、何歳も離れた大人と普通に会話して、やっぱ針ヶ谷すごいな。僕でも少し、いや尋常じゃないぐらい緊張してるのに。証拠に、今渡した茶菓子の紙袋は、僕の手汗で少し湿気ってる。
「季節の変わり目だから気をつけていたんだけどねぇ。今年も風邪をひく事になるとは」
「しょうがないですよ。穂乃佳ちゃんも引きたくて風邪を引いてはいませんし」
針ヶ谷の発言に、望月夫妻は揃って渋い顔をする。
「…………………………」
今日は平日なのに……いや、今時ホームワークも当たり前か、しかし両親とも平日の昼間にリビングでお茶を飲んでいるのは、目に余る光景だ。お2人は何のお仕事をしてるのだろうか。まさか資産家ではないだろうし、2人とも専業主婦はもっとないだろう。
「彰平くんは穂乃佳と面識あるのかね?」
あちち。
望月パパに不意を突かれ、ちょっと紅茶を溢しそうになりながら、
「はい。瑞ちゃんと遊んでる所を一度だけ。覚えてもらっているかは、定かじゃないですけど…」
「そうかそうか」
あぶねー。予習しておいて良かったー。
僕は心の中で、胸を撫で下ろした。
焼き立てではないにしろ、手作りのクッキーを一つ手に取って、「いただきます」と言って口に運ぶ針ヶ谷。望月ママに「彰平くんも、是非」と言われたので「ありがとうございます。いただきます」と言って一枚手に取り、同じように口へ運ぶ。
不思議な味だ。決して不味い訳ではないが、特別美味しい訳じゃない。普通のクッキーとは違う、一手間かけた味。
「美味しいです。紅茶にすごく合いますね」
そう言ったのは針ヶ谷。
「ありがとう。遠慮なくどんどん食べて」
「はい。いただきます」
一枚、もう一枚と口に運ぶ。傷のない口に。
電車での移動中に聞いたが、外出時はメイクをするらしい。なんでも、傷を隠すメイク。
やり方は詳しく知らない。ただ、服で隠せないところはそうやって隠すらしい。
こう見るとやはり美人だと思いながら、紅茶を飲む。まだ熱い。
「穂乃佳、最近どう?瑞ちゃんと遊んでる時、何か変化ある?」
「いいえ。至っていつも通りでした。昨日一昨日は風邪を引き始めてたから遊べませんでしたけど、その前は元気でしたよ」
「それは良かったわ」
「学校はどうですか?穂乃佳ちゃん、上手くやれてますでしょうか?」
その言葉に、僕は紅茶を冷ます息が一瞬止まる。
「新しいお友達は出来たみたいよ。と言っても、瑞ちゃんと遊ぶ方がよっぽど多いけどね」
「そうですか」
一安心といった具合に、針ヶ谷は一口紅茶を含む。
そうか。たしかに、そうだ。針ヶ谷と望月は中学生とは言え、考えてみればこれだけ離れてるのに、同じ学校に通ってるとは考えずらい。
別に同じ学校に通ってるいてもおかしくは無いが、その口振りから察するに、別々なのだろう。
ハッタリを通してる望月夫妻がいる手前、妙な質問はNG。帰りの電車で聞こう。
やっと飲めるようになってから紅茶を飲む。紅茶の違いがわかるほど舌は肥えてないが、これは普通に美味しい。茶葉から淹れたのか、ティーパックで淹れたのか知れないけど、普通の味がした。むしろそっちの方が好きだ。とても庶民的で。
それを一足早く飲み切った針ヶ谷は、膝の上に手を乗せて、
「あの、差し支えなければ、穂乃佳ちゃんに会っても大丈夫ですか?」
まるでお母さんにお願い事をする様に、
そのお願いに少し渋い顔をした望月夫妻は、
「でも、風邪をうつしたら大変よ?」
「その時はその時です」
「………………寝てると思うのだけど……」
「それでも構いません。合わせて頂けないでしょうか?」
「……………………………」
感情ばかりで理に適ってない、針ヶ谷らしくない交渉だ。年相応といえば、そうなのだが。
「………………せっかく来てくれたんだ。お茶だけ飲んで返すわけにもいかんだろう」
「ありがとうございます」
空になったティーカップに額がつくほど、深々とお辞儀して、椅子を降りる針ヶ谷。
続いて望月夫妻が席を立ったのを見て、見計らって、紅茶を飲んでいた僕に、針ヶ谷は、
「お兄さんも一緒どうかな?部屋までとは言わないけど、リビングに1人じゃまずいでしょ」
それが助け舟だったのだろう。望月夫妻にとっては予想していなかった、痒い所を刺された、痛恨の一撃だったのだろう。
苦虫を噛み潰した事を隠したつもりだが、隠し切れなかった敵意が、見て取れる。
「ん。あぁ、たしかに。ごちそうさまでした。美味しかったです」
僕を娘に会わせるのがそんなに嫌なのか、軽かった口が固くなってしまった。
僕は半分くらい残っていた紅茶を味わいもせず一気に飲み干し、「案内します」と、案内したくなさそうに呟く望月パパの背中を追う。隣にいた針ヶ谷は、してやったりといった顔は一切せずに、いつもと変わらぬ無表情を貫いた。
階段を登った先、計4枚の扉があったと思う。その内の一枚が異質で、部屋の数など気にならなかったから、曖昧な記憶だけど。
家の空気とは明らかに浮いてるメルヘンチックなその扉には、「Honoka」と達筆な筆記体で書かれたネームプレートがぶら下がっていた。
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