第23話 お夕飯
「……………………………………」
帰宅後、水盤を見て絶句する。何故か調理器具が散乱している。
「……………………………………」
さては、と思い冷蔵庫を開けてみると、食材がいくつか減っていた。ベーコンと、ほうれん草と、玉ねぎと……棚にある乾麺も心なしか、減ってる気がする。
妹が何を食おうと知ったことでは無いけれど、あなたさっきカップ麺食べるって言ってませんでした?
あとさ、何よりさ、どうせならさ、僕も分も作って欲しかった。腹減った。
「…………ただいま」
「おかり」
ゲームしとるがな……。勝手に進んでるし……。
「臭っ……さっさと風呂入れ」
「……………………………………」
舌打ちしそうになった舌をなんとか抑え込む。
混雑で長引いたバイトの疲労感と、態度の悪い客に対する接客で生じた気疲れと、多少の空腹感で、苛立ちと不快感を抱えながら帰って来たというのに、キャミソールにホットパンツという、あまりにもだらしない妹の服装に、
「…………やっぱ風呂張るわ……」
湯船に浸かりたいと思った。そのまま溶けて軟体動物になりたい。
お風呂はシャワー派が増えている昨今の日本、一人暮らしでは基本シャワーだ。水道代や手間を考えればわかるだろう、そこそこの贅沢だと。(僕はただ面倒くさいだけだが)
でも今日だけはゆっくり浸かって、嫌な事を忘れたい。
実家での食事も、一人暮らしでの食事も、僕はテレビをつけて食べる。
最近のテレビは面白くないと言われがちだが、僕もそう思う。いや、面白い番組もあるだろうけど、僕が目にするのは大体つまらない番組だ。別に娯楽目的でテレビを見ているわけじゃないから、面白かろうが面白くなかろうが構わないけど。
では何故、テレビをつけるかと言うと、静寂が訪れるからだ。
実家なら料理の感想やら今日あった出来事やら、食事中の会話もあるだろう。だがずっと続く訳ではない。いずれ話のオチが来て、箸の音と茶碗を置く音が床の間に流れる。
一人暮らしなんて、話し相手などいるわけが無いから、聞こえるのはせいぜい自分の咀嚼音と、隣人の水道菅に水が流れる音ぐらいだ。
そんな虚しい空気で食べては、美味しい物も不味くなる。その防腐剤として、僕はテレビをつけているのだ。
しかし今日だけは、テレビではなくゲームが流れて、一人暮らしなのに話し相手がいる。会話のキャッチボールが成立しているのか疑わしいけれど。
「で、何があった?」
冷凍パスタを箸で食べながら聞く。
僕が風呂に浸かってる間にハードを変えたのか、テレビゲームは格闘ゲームになっていて、妹は歯応えの無い弱々NPC相手に、容赦ない攻撃を連発していた。いわゆるハメプという奴だ。
「クソジジイがキモすぎてさ」
「親父何したんだ……」
「これ」
ゲームを一時停止したから、僕も箸を止めて妹の方へ視線を向けると、通気性の良さそうなキャミソールの肩紐を少し引っ張って、
「『そんなだらし無い格好で出歩くな』って」
「部屋着じゃねぇのかよ」
つゆさんその格好で出歩くんだ……。
母の愛を知らずに育ったのは僕も同じだが、女心など理解されない男だらけの環境では、日々のストレスも溜まる事だろう。その発散法は少し難ありだが。
やはり、父親とは娘に嫌われる運命があるのか、何かと煙たがられてる親父だ。しかし昼間は仕事に夜は家事と、家族の為に身を粉にして、一生懸命に働いているのを知ってるから、一概に悪者扱いは出来ない。むしろ親父はよくやってると思う。
だから、おいそれと、妹の発言に賛同出来ない僕だ。
「おまけにスカート丈に口出しする始末。マジキモい」
「ホットパンツ野郎に何言われましても……」
「何?兄貴も私に説教したいの?」
「いや。日焼けと虫刺され対策頑張れってだけ」
とはいえ妹の気持ちがわからんでもない。
制服着れるの今だけだしな。若くて健康的な体で、綺麗な素足を見せびらかしたいその気持ちは微塵もわからないけど、本人がそうしたいと言うなら何も言うまい。
「はぁー……マジ腹立つわあのハゲおやじ」
「遺伝には敵わんよ」
「私の体からクソジジイの遺伝子だけ抜き取れないかなぁ……」
「それだと母さんのクローンになるな」
歳下母さん。何それ、犯罪の香り。
「でも兄貴も私もお母さん似じゃん?そんな変わらんくない?」
「そろそろ親父が可哀想だから遺伝主張するけど、手とか僕親父の手よ」
「うわ可哀想〜」
「NPC合わせてトリプルキル」
豪快なアッパーを食らったNPCは地面に倒れ、妹の操作していたキャラが決めポーズをする。
確かに、小馬鹿にする妹の顔と、写真の中で笑う母の顔は、何処となく似ている。果たして母さんがこんな見下した笑みをするかどうかはさておき、顔のパーツや輪郭はまるっきり母さんだ。髪型は写真と違ってポニーテールじゃないけど。
「てか明日も学校あんだろ?始発で帰るんならもう寝た方がいいぞ」
「欠席する」
「…………お前がそれで良いなら良いけどさ」
今、強引に追い返して、ストレスの風船が破裂したらと思うと、まぁ、焼け石が冷めるまで放置しておくのが賢明だろう。勉学に関しては妹の自己責任で。
「ごちそうさまでした」
「………………………………」
「………何?」
キャラセレクトで固まる画面と妹の訝しげな視線に、反射的に聞いてしまう。
「いや、ちゃんと一人でも言うんだなって……」
「いや、言うだろ普通」
「いやいや言わないよ普通」
うーん。妹の意図がわからん。
このパスタを作ったのは僕じゃないし、入ってたピーマンも玉ねぎも、顔も知らない農家さんが育てた物だ。もちろんウインナーも。
僕は金を払い、レンジで温めただけだ。感謝をするのは当然だろう。
「前ニュースで見たけどさ、小学校の給食に『いただきますとか、ごちそうさまを言わせるな』ってクレームがあったらしいよ。なんでも、親の金で食べてるんだからって理由で」
「へー」
金払ったんだから何しても良いと思ってるのだろうか。僕には理解できない。
「でもそれ一部の話だろ?普通言うだろ」
「言わないよ。誰もいないのに感謝の言葉口にしたって意味ないじゃん」
「そっか?」
まぁ、感謝の言葉を口にしたからと言って、感謝しているとは限らないが。単なる口癖の可能性もある。自動ドアが開く音に、自然と「いらっしゃいませ」と言ってしまうように。
ただ、感謝が無意味だとは思わない。妹が、世間が、どう言おうが思おうが勝手だが。
「てかそんな事より、アレ片付けろよ?」
「えー」
「じゃ風呂掃除やっか?」
「あー、ゲーム始まっちゃったわー」
「一時停止出来んだろうが……」
礼儀正しい国と自負している日本だが、やはり僕はそう思えない。臆病な自尊心と尊大な羞恥心を兼ね備えた、卑屈に振舞って、
そんな日本を変えたいとは考えないし、政治家も興味ない。表舞台に立つのは柄じゃないし、それでも、そこそこ、いい国だと思っているから。
だから僕も、日本人なんだろうなぁ。変わらねぇな。
乾燥して皿に張り付いたパスタソースを剥がす為、僕は蛇口を捻り、水を落とした。
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