ルナス帝国の白鷹様

狐照

第1話

わたしはそこまで語ってから溜息を吐いた。

気持ちを落ち着かせるために覚えた動作だ。

人の身は本当に奥が深い、たった一呼吸意識的に吐くだけで、少し気分が晴れるのだから。

いや、晴れるという知識を得ての動作だから、そう思うだけなのか?

むむ、むつかしい…。


「…アレク様…?」


「あ、いや、すまない。考え事をしてしまった。わたしの悪い癖だな、すまないフレイルくん」


癖の強い黒髪の隙間に隠れた黒い瞳が細められる。

眼鏡も心なしか光ったような気がした。

気を、悪くさせてしまったようだ。

わたしは何時になっても彼の心を曇らせる事に長けている。

人の世は、本当にむつかしい。


つまらなさそうに唇が突き出されてしまうので、次に語ろうとしていた言葉を飲み込んでしまう。

だが、ここでやめてしまうのもまた悪手。

わたしは、少し痛み始めた胸を抑えながら自ら折ってしまった話を続けた。


「結局わたしは再び、わたしの隊の愛の運び手となってしまったようでな。わたしを介抱してくれた薬師のエールくんは、わたしを捜索しに来たハットくんと恋仲になった。喜ばしい事なのだが…わたしはいつも機を逃してしまう。だが二人の愛を歓迎しよう。わたしの愛しい大事な騎士の愛なのだから」


「そうですかご苦労様です」


「…」


しっかり気分を害してしまったようだ。

険しい目付きで目録に目を通している。

わたしの話なぞは片耳半分で十分、という事だろう。

しかし、フレイルくんもまたわたしの大事な愛しい騎士の一人。

書架を守護する騎士であるフレイルくんの元にこうやって顔を出すのも、わたしの務め。

本来ならば人間の姿で訪れる必要はないのだが、近年のわたしは考え方を改めたのだ。


騎士とは愛しい大事な守護すべきものだが、ものであるまえに人間なのだ。

わたしは、守り神として在る日々の永い間、それを理解しようとしなかった。

だがある日、この書架の番人に出会い、わたしは人間を識ろうと思った。


何故か。


わたしは、恋をしたのだ。

そう、わたしはフレイルくんに恋をしたのだ。

世にいう一目惚れをしたのだ。

そして、しっかり振られている。

いや、告白は、していない。

わたしが告白したところで、フレイルくんはわたしの気持ちを受け取ってくれることはない。

それに、わたしが告白してしまうとこの関係が壊れてしまう。

最初の恋の相手ともう顔を合わせられぬ事態は避けたい。

それに、彼はわたしの人間を識るうえで必要不可欠な案内人なのだ。

わたしが欲する知識の元を彼は巧みに目の前に積んでくれる。

今日は上手な嘘のつきかたを識りたいと願った。

呆れた様子で「貴方は神なのだから必要ないでしょ」と言いながらも佳き選書をしてくれた。

本当にありがたい存在なのだ。

そのお礼は必要と、以前は手土産を持って来ていたのだが、彼の好きな人間と被ってると知って止めた。


『いつもお土産を持って来てくださるのに…俺はまともな礼も言えぬ無作法ばっかり繰り返して俺は愚か者です!嫌われて当然なんです!』


と、まだ人の姿をしたわたしが神であることを知らなかったフレイルくんが、本来の姿で来訪した我にそう言ったのだ。


これはつまり、例の青年が手土産を持って来ていて、わたしだだ被り、とても迷惑を掛けているという事だ。


どうりで喜ばれない訳だ…。


まったく、これだからわたしは駄目なのだ。

わたしはフレイルくんをいつも怒らせ不機嫌にさせてしまう。

フレイルくんは、人間の姿であるアレクであるわたしと話す時と、本来の姿の時とでは、なにもかも違う態度を取っていた。

これはつまり、同一される前のわたしは、フレイルくんを不快にさせる要素しかなく、同一された今もそれが変わらないということは、わたしアレクという存在が、フレイルくんにとって取るに足らない人物である、ということに他ならない。

勿論、神である我に尊敬を畏敬を抱いていることに変わりない。

だが人間であるアレクは好かれてない。

その時点でわたしの恋は成就していない。


それに、だ。

そもそも、フレイルくんには、恋人がいる。

愛し合っている。

胸が痛い、現実だ。

先刻片翼を失った時の痛みより、痛い。

思わず胸をまた抑えてしまう。


「…お怪我、まだ痛むのですか?」


「いや、まったく」


フレイルくんがあからさまな嘘に半目になって睨んでくる。

…上手な嘘の吐き方が、可及的速やかに必要なのである。


「それにしても森にあのような薬師が住んでいるとは知らなかった。片翼失くし森になんとか還った時は少し死の淵が見えた」


はははと笑って、失敗を確信した。

フレイルくんが、わたしを冷たい眼で見つめている。

これは、よく識っている。

わたしの隊の子らもこの眼でわたしを見つめてくる。


お前の武功なぞ誰も求めてない、そういう類の視線だ。

溜息を吐きそうになって堪えた。

それも悪手だ。

ただ呼吸は整えるべきだ。

わたしは密やかに深呼吸をした。

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