第8話

「あれ?」


 日付が、何だかおかしい。

 取材の許可の連絡日が、昨日になっている。


「ん? え? ……あれ?」

「葛葉ちゃん?」


 きょとんとしている蔵王の声が耳をすり抜け、頭からさーっと血の気が引いていく。


「あああああああああ! しまった! 取材許可の連絡入れ忘れてる!」

「ええ?」


 蔵王が首を傾げて覗き込んできたが、今はそれどころではない。

 よりにもよって取材先は、本来ならなかなか取材を受け入れてくれない、老舗割烹料亭だ。

 何度も通って取材OKに漕ぎ付け、あとは日取りを決める連絡を入れるのみ……という状況だった。

 だというのに、ここ数日のドタバタもあって、すっかり日にちを勘違いしてしまっていた。


(何てこった!)


 蔵王に対して恨み言の一つも言いたくなったが、忘れていたのは自分の責任だ。

 そんなことより、今は何はともあれ、謝罪の電話を入れるのが先だ。


(もしかしたらもう取り合ってくれないかもしれない。でも、次号の記事に穴を開けるわけにはいかないし)


 慌てて電話番号を検索し、デスクの受話器を取ろうと手を伸ばした。

 ところが、それを蔵王が制止した。


「ちょっと、悪いけど邪魔しないでくれる?」


 とりつくろう余裕すらなくし、むっとして蔵王を睨み上げた。


「ああ、急いでるところごめん。この店に、今から電話するの?」

「そうよ」


 デスクパソコンに表示された店名と電話番号をじっと見つめながら、蔵王は「ふむ」と口元に手を当てた。


「取材許可の連絡入れるのを忘れてたんだよね? でもたしかこの店って、頑固親父で有名なお店じゃなかったっけ?」

「よく知ってるわね。でも、あなたには関係ないでしょう」

「それはそうなんだけどね。ただ、このお店見たところ、まだ営業時間外だよ? 今電話したところで出てもくれない可能性が高いし、もし出てくれたとしても、心象悪くない?」

「そ、それは……」


 確かに、蔵王が正しい。

 とはいえ、居てもたってもいられない。


(何か手土産をもって、開店時間前から店の前で待機しておく? いやでも、忙しいかもしれないからもうちょっとタイミングを見計らって……うううん)


 唸りながら頭を抱えていると、蔵王が腰のポケットからスマホを取り出した。


「ちょっと待ってて」


 そう言うが早いか、誰かに電話をかけ始めた。


「な、何を……」

「しっ。静かに。……ああ、ひーさん? 僕だけど」


 蔵王はそのまま窓際に移動し、しばらくの間、電話の相手と談笑していた。

 五分くらい経っただろうか。

 終話ボタンを押し、スマホを仕舞った蔵王が、こちらへと戻ってきた。

 その表情には、穏やかな笑みが浮かんでいる。


「もう大丈夫だよ。これで多分、向こうから日付指定の電話をしてきてくれると思うよ」

「ええ!?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまう。

 けれど、開いた口が塞がらないこちらの顔を、何とも楽しげな表情で見てくる視線に気付いて、葛葉はじとりと蔵王を睨んだ。


「……一体、何をしたの?」

「別に。知り合いにその店の上客がいるから、その人から口を利いてもらえるように頼んだだけだよ」

「は、はあ?」


 さも簡単なことのように言ってのける蔵王に、葛葉は再び間抜けた声を出してしまった。


「蔵王ってウェブデザイナーよね? なんでそんな繋がりがあるわけ?」

「ウェブデザイン自身はパソコンでできるけど、依頼をくれるのは人だからね。積極的にいろんなところに出かけて行って、話をするようにしてるんだ。見知らぬ人より、知った顔の人の方が頼みやすいでしょう? 記者や編集者だって、そうことってあるよね?」

「それはまあ、確かに……」


 葛葉だってお世話になっている人への挨拶は欠かさないし、実際に顔を見て話をするように心がけている。はじめは頑なだった人も、それを繰り返すことで徐々に信用してくれたこともある。


(でも、蔵王ほどすんなりと懐に入れるわけじゃなかったけどね)


 思い返せば、蔵王は昔から話し上手だった。

 少し言葉を交わすだけで、あっさりと相手の心をつかんでしまうのだ。


(その気が無くても相手をたらしこむ……天然たらしってやつよね)


 葛葉だけでなく、蔵王は他の社員さん達みんなと仲が良かった気がする。

 その人当たりの良さもあって、雅世も蔵王を高く評価しているのかもしれない。


(だから、おばあさまは、こんなところまで蔵王を送り込んで来たんでしょうね)


 人を――特に葛葉を懐柔するというのであれば、蔵王ほどの適任者はきっといないだろう。


(虎月堂のため……ね)


 行きついた結論に、はあ、とため息をつきながら、葛葉は蔵王を見た。


「ねえ蔵王。結局、蔵王って、虎月堂の社員かウェブデザイナーかどっちが本職なの?」


 実家の手先なのか、仕事上のパートナーとして接すればいいのか。

 葛葉自身、どの立場を取ればいいのかわからず、正直なところ困惑していた。

 蔵王は少し考えるように首を傾げた。


「どっちかって言われると難しいね。ウェブデザイナーってただの職種だからさ」

「でも、ウェブデザイナーとして顔を売ってるのだって、いずれ虎月堂の経営をサポートするために広げている交流の一環なんでしょう?」

「ご明察」


 蔵王はくすりと微笑んだ。


「そもそもウェブデザイナーを始めたのも、虎月堂のウェブ展開を見越してのことだからね」

「何よ。おばあさまの犬じゃないって否定していた割に、あっさり認めるのね」

「僕が虎月堂に籍を置いてるのは事実だし。虎月堂の広報担当社員として、ウェブデザイン企画も手掛けてるから、どっちも正しいんだよね」


 ここに来てるのは副業ね、と蔵王は軽く笑った。

 けれども、不意に真面目な表情になって、葛葉を見つめてきた。


「でもね、僕は別に雅世様のために虎月堂にいるわけじゃない。君と過ごした虎月堂は、僕にとって大切な場所なんだ。昔は葛葉ちゃんだって、虎月堂を大切に思っていたはずだよ」

「……っ」


 真っすぐに見つめられ、葛葉はぐっと息を飲んだ。

 そう、この目だ。

 蔵王が時折見せるこの射抜くような目に見つめられると、ずっと蓋をしてきた心の奥底まで読まれてしまうような気がする。

 葛葉はさっと目を逸らした。


「これ以上、虎月の話はしたくないわ」

「そうだったね。ごめん」


 あっさり引き下がった蔵王に、葛葉は少し拍子抜けをしてしまった。

 てっきり、もっと話を掘り下げて、京都に帰るように仕向けて来るかと思っていた。


(無理矢理どうこうするつもりじゃないって言ってたのは、あながち嘘ってわけでもないのかも)

 それなら、もう少し蔵王のことを幼馴染として素直に受け止めてもいいのかもしれない。

 葛葉はちらりと蔵王を見上げた。


「でも……今回の私のミスを救ってもらったことは事実よね。えーっと、その……どうもありがとう」


 すると、今度は蔵王の方が少し驚いたような顔をした。


「いや、ここ数日、僕が来たことで葛葉ちゃんの心を乱しちゃったのも事実だからね。葛葉ちゃんが努力してこぎ着けた取材を、僕のせいで台無しにさせたくなかった。それだけだよ。実際、僕は知り合いに頼っただけだから、大したことはしていないしね」

「ううん。それでも、ミスはミスよ。助かったわ」

「……うん。役に立てたなら嬉しいよ」


 蔵王は心の底から嬉しそうに相好を崩した。

 その顔があまりにも嬉しそうで、葛葉の心の奥底がとくんと揺れた。


(そんな顔……反則だわ)


 何だか毒気を抜かれてしまうじゃないか。


(って、ダメダメ! こんなことでほだされてる場合じゃない)


 内心で、ぶるぶると頭を横に振った。


「で、でも、それとこれとは話が別だから」


 口をへの字に曲げると、蔵王はくすりと笑った。


「僕も一筋縄でいくとは思ってないよ。君が自然に僕と話したいと思ってくれるようになるまで、気長に待つぐらいの気持ちだから、今後もよろしくね」

「だから、変わりませんって!」

「あはは。僕は1005号室に住んでるから、何かあったらいつでも来てね」

「用もないし、絶対行かないから!」


 思わず歯噛みしたくなる気持ちを抑える葛葉を尻目に、蔵王ははいはいと笑いながら去っていった。

 そんな後姿を、葛葉は何とも言えない面持ちで見送った。

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