第32話 泣いた青鬼
はー、やれやれ。と、一息つく。
水路を通って町外れに出ると、そのまま隣町に移動していた。
今度こそ、生クリームたっぷりのパンケーキでも食べるか。
そう思って、ウキウキしながらその町おすすめのお店を目指す。
この4日間程は、ユリウスを含めた追手らしき者には遭遇していない。
逆方向にでも行ってくれたかな。
足取りも軽くなり、お目当てのお店の前に張り出されているお品書きを眺めて、食べたい物を決めてベルのついたドアを開けた。
そして、一歩も中に入ることなくバタンと閉めて、回れ右をして猛ダッシュでそこから逃げ出していた。
続け様に背後でドアの開く音がベルの音と共にしたけど、振り返ることなく、その場から離れることに集中していた。
「ティエラ!!」
散歩に最適な、心地よく陽が当たる道なのに、背後には青い悪鬼が。
足止めのつもりで魔法をかけた。
なのに、
「ティエラ!!」
ええっ、何で魔法が効いていないの?
ちょっと、クロノス!
ちゃんと力を貸してよ!
「待って、ティエラ!!」
切羽詰まった、ユリウスの声。
大切な人を呼び止めるような響きで、不思議には思った。
「俺は、ティエラを傷つけないから、逃げるな!!」
続けて、また言葉が重ねられていた。
「俺は、ティエラの、リシュアの犬だから!!」
自分の耳を、疑った。
はい?
リシュア、だと?
「俺は、リシュアのルゥだ!!」
え?
「俺は、リシュアのルゥなんだ!!そして、ユリウスとして、ティエラを愛している!!」
そこで、足が止まって、ユリウスの方を向いていた。
「逃げないでくれ。俺は、ティエラに伝えたいことがある」
距離は少しあるけど、真っ直ぐに彼と向かい合う。
「ずっと、言いたかったことが、ルゥが言いたかったことがあるんだ。リシュアは、ティエラは、いつも間違っている。俺の気持ちなんか、知らないんだ。生きろと言われて、1人で、1匹で生きろと言われて、目の前で大好きなリシュアが喰い殺されて、俺だけが残されることが、それがどんなに残酷なことなのか。俺は、リシュアに言いたかった事があるんだ!!」
リシュアに言いたかったこと?
ルゥが、リシュアに言いたかったことは、
「少しでも長く、俺と生きようとしてくれ!!」
「最後まで、死に、抗おうとしてくれ!!」
「1分1秒でも長く、俺と一緒にいてくれ!!」
「それが、飼い主の義務だ!!」
18歳の、戦場では悪鬼と恐れられた鮮血の王子様が、涙をボロボロと流しながら私を見ていた。
その姿は、人のはずなのに、茶色の毛の塊の可愛いルゥにしか見えなかった。
「俺は、ルゥは、最後までリシュアと一緒にいられるなら、例え喰い殺されたとしてもそれを幸せだと言えたんだ。やっと、やっと会えたのに、してあげたい事が、返したい事がいっぱいあるのに、俺から、離れようだなんて、絶対に、許さないからな」
あ、やっぱり鮮血の王子、ユリウスだ……
キッと私を見据えて、殺気に近いものを纏って近付いてきて、それに気圧されて後退るしかなくて、でも、私は、混乱していた。
彼は、ルゥだ。
間違いない。
でも、彼は、生身のユリウスは、3年会わないうちに、
背も高くなって、
逞しい体付きで、
男の色香を振りまいて、
戦場で生きてきた鋭さも纏って、
こんなの、私の知っているユリウスじゃない。
だから、
圧倒されて、
「まっ、あ、ユリウ」
焦るあまり、喉に引っかかった言葉が出てこなくて、
でも、彼はどんどんこっちに近付いてきて、
「ルゥ、待て!!」
思わず、そう叫んでしまい、
途端に、ピタリと動きを止めたユリウスは、プルプルと震えて、物悲しい顔で私を見ていた。
「あの、ごめ、つい……」
あわあわと慌てる。
とりあえず、深呼吸だ。落ち着け、私。
そして、私の方からゆっくりと近付いて行く。
それなら、大丈夫だ。
「あの。げ、元気?」
すごく意識してしまって、何を話せばいいか分からなくて、そんな無意味な事を聞いてしまう。
「もう、動いていい?」
「あ、はい、どうぶっ!?」
どうぞと言いかけて、最後まで言い終える前にユリウスにガバっと抱きしめられていた。
「やっと、だ。やっとティエラに触れられる」
ユリウスの気持ちを表すように、その腕が、体が、震えていて、でも、私の方はユリウスの体温に触れて息苦しかった。
抱きしめられているせいで息苦しいのかと思ったけど、緊張で鼓動が速くなっているからで、口から心臓が飛び出るんじゃないかと思っていた。
色々あったけど、離れている時間も長かったけど、こうやって触れてみると、あれ?私、やっぱりユリウスが好きだったんだと、改めて知って、ちょっと待って、距離近過ぎて、もう死にそうだから、1度離れてって、言おうとしたのに、この時だけは無言の圧力で何も言えなくなっていた。
こうして、ユリウスと再会した私はしばらく放してもらえず、それどころか自分で歩くこともさせてもらえないまま、誤解を解くために話がしたいと近くの宿まで連れて行かれたのだった。
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