第39話


 卒業を発表して以来、南は日に日に綺麗になっていった。

 今までグループの顔として気を張っていたのだろう。肩の荷が降りて、生き生きとしているのがわかる。


 去り際が最も美しいなんて、推している身からすればなんとも皮肉だ。


 ステージで輝く南を、美井は観客席から眺めていた。


 メンバーカラーであるピンク色の、可愛らしいミニ丈のドレスを着た南。


 今日、彼女はラブミルを卒業する。

 卒業コンサートを最後に、いよいよアイドルの立場を退いてしまうのだ。


 「…可愛いなあ」


 自然と、声が漏れる。

 ステージ上で輝く南は、あまりにも儚く美しい。


 辺りからは涙ぐむような声も聞こえ始めていた。

 皆、思いは一緒だ。出来ることならずっとアイドルでいて欲しい。

 

 辛い時を応援してもらった人。勇気を貰った人。可愛いと、心を奪われた人。アイドルを応援する人の想いというのはそれぞれだけど、引き止める人は誰もいない。


 アイドル人生をやりきったと笑顔を浮かべている南を見て、皆が背中を推そうと胸に決めているのだ。


 ラストの曲は、南の卒業シングルだった。

 メンバーは皆泣いており、震える声で必死に歌っている。


 このまま永遠にこの時間が続けばいいのにという願いは虚しく、ピアノの伴奏音を最後に曲は終わってしまった。


 そのまま幕を閉じるかと思ったのに、スタッフが壇上へと現れて、南に一枚紙を渡していた。


 目を離さずにジッと様子を見つめていれば、彼女が可愛らしく微笑んで見せる。


 「今日は、みんなのために手紙を書いてきました」


 そう言って、左側モニターには南の直筆手紙が映し出される。


 恐らく、一字一句聞き逃すことがないように、事務所側が計らいをしてくれたのだろう。


 「……こうして、皆んなと会えて…卒業コンサートが出来て、私は本当に…」


 所々震えているけれど、一生懸命想いを伝えようとしてくれる南の姿に、会場にいるオタクの殆どが涙を流していた。


 美井も必死に堪えながら、モニターに映し出される南の手紙を見入ってしまう。


 「……え…?」


 最初は気のせいかと思っていたが、そんなことはない。 


 少しだけ癖のある、文字の描き方。


 女の子らしいけど、「す」や「ま」などは特に丸っこい。


 「つ」は他の文字より小さめで、「と」はカーブがかなり強かった。


 句読点を頻繁に使う、彼女らしい文章の書き方。


 あの子と離れてから、千穂が残したメモ帳を何度も眺めていた。


 だからこそ、そんな些細な癖も全て覚えてしまっているのだ。


 「……ッ千穂ちゃん…?」


 違う意味で、瞳から大粒の涙が溢れ出していた。ペンライトを握る手に、更に力が籠る。


 聞きたいのに、それを確かめる術もない。

 最後の握手会を終えたため、アイドルの五十鈴南と接する機会は2度とないのだ。


 もし千穂の正体が五十鈴南なのであれば、全て辻褄が会う。


 彼女が行方を眩ませたのは、ラブミルで不祥事が起きてしまった直後だ。


 意地でも正体を明かさなかったのは、美井が散々南を避けていたからかもしれない。

 プライベートで会ってあれほど避けられたら、素顔を晒せるはずがない。


 「……っ」


 杏の含みのある言葉と、南が美井の本名を知っていた事実。


 千穂の正体が五十鈴南であれば、辻褄があってしまうのだ。


 信じられないが、ここまでくれば疑いようがない。


 止めどなく、涙が溢れて止まらなかった。


 大好きなアイドルの南が卒業してしまうことが悲しいのか。


 長年恋心を抱いている、千穂を思って泣いているのか。


 自分でもよく分からない中でただ一つ言えるのは、堪らなく愛おしさが込み上げてきて、胸がヒリヒリと痛んで仕方がないということだった。





 ライブが終わって、美井は放心状態で会場近くの公園にやってきていた。

 泣きすぎたせいで目を真っ赤に腫れさせながら、ベンチに座ってあの子に想いを馳せる。


 一体、千穂はどんな気持ちだったのだろう。

 何も知らずに五十鈴南に距離を取り、余所余所しい態度をとっていた自分が恥ずかしくて堪らなかった。


 自分に自信がないことから目を背けるために、南を遠ざけていたのだ。


 隣に並ぶ努力をせずに、彼女に憧れることで自分自身から逃げていた。


 トートバッグの中に入れていた、ペンライトが視界に入る。

 卒業ライブのために作られたもので、持ち手は南のメンバーカラーであるピンク色だ。


 「……千穂ちゃん」


 千穂のことが、本気で好きだ。

 当たり前を、当たり前にこなしてしまう所も。

 放って置けずに首を突っ込んでしまう、おせっかいな優しさも。


 彼女の内面に心底惚れ込んでいる。


 だから、このままじゃダメなのだ。

 好きな人は、憧れの人で。

 

 いまの美井では釣り合わないほど、遠い存在。

 皆が憧れる高嶺の花は、簡単に触れられない所へ行ってしまった。


 ギュッと、下唇を噛み締める。

 もう、逃げるのはやめよう。


 自分からも、夢からも。


 諦める癖をやめて、血の滲むような努力でも何だってしてやる。


 好きな人の隣に立つためであれば、どんなことだってやってやろうと思えるのだ。


 そんなふうに思えるのも、全て千穂への想いがあるから。


 そして、応援していたアイドルの活躍を見届けられたからこそ、今度は自分もあの子のように頑張ろうと思えるのだ。

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