第216話 執事のたくらみ
俺のこぶしに重ねられた、柔らかい手。
その手は微かに震えていた。
「父のことは、あきらめてますから」
そう言って、微笑んでみせるエステル。
気丈な言葉と、痛々しい笑顔。
––––傷ついていないはずがない。
それでも彼女は、怒りに震える俺を気遣ってくれたのだ。
本来なら、俺が彼女を気遣わなければならないのに。
「……すまん」
俺は気持ちを落ち着けると、エステルの手にさらに自分の左手を乗せた。
視線が重なる。
エステルの透き通った水色の瞳が、俺を見つめていた。
『君は俺が幸せにする』
そう言いたいが、仲間たちがいるこの場では憚られる。
逡巡していると、エステルは微笑して頷いた。
(わかっています)
エステルの声が聞こえた気がした。
「すまん。話をもどそう」
俺は皆を見まわすと、金髪の少女の方を向いた。
「カレーナ」
「……えっ、えっ、なに?」
テーブルの上を見つめ、ぼうっとしていたカレーナは、慌てたように俺を見た。
「ミエハル子爵と執事だが、うちにスパイを送り込むことについて、何か詳しく話していたか?」
「ええっと…………送り込まれてくるのは女で、メイド長として派遣するって話だった。他の領地で活動してる部下を呼び寄せるつもりみたい」
やはり、か。
「時期については?」
「執事が『速やかに手配します』って言ってたから、一週間くらいで来るんじゃないかな」
「なるほど。大体予想していた通りか……」
「ねえ、カレーナ。私からも訊いていいかしら?」
そこで、今まで黙って話を聴いていたエリスが口を開いた。
「ああ、うん。いいよ」
頷くカレーナ。
エリスは少しだけ人の悪そうな笑みを浮かべると、元同級生に尋ねる。
「ひょっとして、私の話が出たりはしなかった?」
ああ、そうだ。
間諜が送り込まれるなら、エリスの警護についても気を払わないといけないんだったな。
天災少女から質問された隠密少女は、驚いたように目を見開きエリスを見返した。
「え? 今からその話をしようと思ってたんだけど、なんで分かったの???」
思いきり首を傾げるカレーナ。
エリスはその反応に苦笑して、こちらに視線を移した。
「そこの准男爵閣下は、なんでもお見通しみたいよ」
––––くそ。
こっちに説明を投げやがった。
「……というわけで、わざわざお前に指名依頼を出して盗賊に加担させたのは、同窓生のお前をエリス暗殺の首謀者に仕立てるためだったんじゃないかと推測したわけだ」
俺の説明に、顔を青くするカレーナ。
彼女は視線を落とすと、「そうか、それで……」と呟いた。
「ひょっとして、心当たりがあるのか?」
金髪の少女は問いかけにこくりと頷き、不安げな顔で話し始める。
「エリスについては、子爵が『現状を考えれば、下手に手を出すより研究成果を入手する方がお前たちにも利があるだろう。少なくともうちの屋敷では絶対に手を出すなよ』って言ってた。執事は『状況が変わらない限り控えましょう』って返してたけど」
「「…………」」
無言で視線を交わす俺とエリス。
なるほど。
彼女は今や、エステルの客人だ。
エステルの屋敷で何かあればミエハル子爵家の責任も問われかねない。
ただでさえ半年前に襲撃があったばかりだ。
今度エリスに何かあれば、疑いの目が自分に向くと考えたか。
「エリスの謀殺に子爵は反対、帝国側はそれに条件つきで同意、ということか。俺たちにとっては悪くない知らせだな」
そう言ってエリスを見ると、彼女は険しい目で俺を見返した。
「一方で、研究成果や技術情報の盗難防止については一層用心しないといけない、ということよ。私の研究があいつらに利用されるなんて、絶対に許せないわ」
ダンッ、と、静かに、しかし重くこぶしを机に打ちつける天災少女。
帝国がからむと、本当に我を忘れるなコイツは……。
「それで、カレーナ。お前が嵌められた件の『心当たり』っていうのは?」
エリスのことはとりあえず置いておいて、先ほどから顔色の悪い隠密少女に話をもどす。
「…………っ」
口を開くが、なかなか言葉が出てこないカレーナ。
「「…………」」
彼女の言葉を、皆で静かに待つ。
と、彼女の向かいに座っていたエステルが「ちょっとごめんね」と言ってひだりちゃんを膝から下ろすと、パタパタとカレーナの隣に歩いて行った。
そして、
ぎゅっ––––
「っ?!」
突然手を握られたカレーナが、驚いてエステルを見る。
「大丈夫です。わたしたちがついてます」
優しく、母親のように告げるエステル。
彼女はちら、と俺を見た。
「それに、きっとボルマンさまがわたしたちを守って下さいますから」
そう言って、カレーナに笑いかけた。
いや、まあ、もちろんそのつもりだけど…………。
俺なんかで彼女を安心させられるかね?
「ええと…………」
案の定、頬を引き攣らせるカレーナ。
そんな彼女を優しく見守るエステル。
カレーナはしばらくどぎまぎしていたが、やがて俺の方を見て、そのあとエステルに向き直って言った。
「……本当にボルマンが私なんかを守ってくれるかな?」
「もちろんです。ボルマンさまは、かならずカレーナさんを守って下さいます!」
力強く頷くエステル。
本人を置いてけぼりにして進んでゆくやりとり。
なんだこれ?
そして––––
「ねえ、ボルマン。私のこと守ってくれる?」
不安げに尋ねるカレーナ。
俺はしばし頭を抱え、やがて顔を上げた。
「……ああ。約束する。エステルも、カレーナも、他のみんなも、俺が命をかけて守ってやる。その代わり俺が死んだあとは恨みっこなしだからな?!」
やけっぱちになって叫ぶ俺。
笑みを浮かべるエステルとカレーナ。
神妙な顔で頷くジャイルズとスタニエフ。
ぶっ、と噴き出す皇女と伯爵令嬢。
こうして悪夢のような時間が終わったのだった。
さっきより少しだけ落ち着いたカレーナは、彼女の心当たりについて話し始めた。
「エリスについて話したあと、執事が子爵に訊いたんだ。『では、あの生き残りは始末しても?』って。それに対して子爵が『好きにしろ。ただしヘタは打つなよ』って言ってた。……聞いたときは分からなかったけど、これって、私のことだよね?」
カレーナの不安げな瞳が、俺を見つめる。
俺はその視線を受け止め、頷いた。
「そうだな。おそらく今までは辺境領主のドラ息子の奴隷ってことで見逃されてたんだろう。わざわざ刺客を送る必要もない、と。それが間諜をうちに送り込むことになったことで状況が変わった。『いい機会だから始末しよう』ってことだろうな。––––俺たちも舐められたもんだ!」
そう言って、わざと悪そうに笑ってみせる。
––––少しでも、カレーナを安心させられるように。
俺は皆を見まわした。
「隠密としてのカレーナのレベルは、おそらくうちに送り込まれる間諜より上だ。まず遅れをとることはないだろう。が、万一の可能性も排除したい。二重、三重に対策しようと思うんだが、皆、協力してくれるか?」
問いかけに頷く仲間たち。
その中でエリスが手を挙げる。
「協力って、何をすればいいの?」
その質問に俺は肩をすくめ、にやりと嗤った。
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