第103話 捜査と推理①
執事のクロウニーの案内でエステルの屋敷に足を踏み入れると、顔なじみの使用人たちが俺たちを出迎えた。
エントランスホールに並んだ三人の使用人たち。
旦那が料理人、奥さんがメイドという中年夫婦と、カエデさんと同年代くらいのメイド。
皆、表情が暗い。
いつも賑やかに夫婦漫才をしている使用人夫婦も、ちょっととろくてドジな若いメイドも、今日は不安が隠せないようだった。
クロウニーは中年の樽体型のメイドに声をかける。
「ステラさん、すみませんが朝のことをもう一度ボルマン様にお話し頂けますか?」
「ああ、いいよ」
「時系列に沿って、簡潔に頼む」
気前よく頷いたステラさんにくぎを刺す俺。おしゃべり好きの彼女は、一度喋りだすと長いのだ。
ステラさんは力なく苦笑して言った。
「さすがのあたしも、こんな時に余計な話はしませんよ」
「よろしく頼む」
小さく頷くベテランメイド。
彼女の話は、次のようなものだった。
エステル邸の朝は早い。
……主にカエデさんが。
いつもカエデさんは他の誰よりも早く起床し、仕事に取り掛かっていた。
ところが今日は、使用人夫婦が食堂に顔をみせても、一向に姿を現さない。
朝食の準備などをしながらしばらく待っているとドジっ娘の方のメイドが起きてきたので、彼女にカエデさんを起こしてくるように言った、ということだった。
「夜中や明け方に、何か変わったことはなかったか? 物音とか」
俺の質問に首を振るステラさん。
「昨夜は熟睡してたし、起きてからも変わったことはなかったねえ。––あんたたちはどうだい?」
隣に並んだ旦那とドジっ娘が横に首を振る。
「じゃあ、次は君に話してもらおうか。カエデさんの部屋は、確かエステルの部屋の手前だったよね?」
「は、はいっ……」
ミスティという名のメイドがおどおどと半歩前に出た。
「ステラさんからカエデさんを起こしてくるよう言われて、二階のカエデさんの部屋に向かいました。扉の前で何度かノックしたのですが返事がなくて……。それでドアを開けようとしたら鍵がかかっていたので、一度一階に戻ってステラさんから鍵を預かって来ました」
「その鍵で扉を開けたら、彼女がいなかった?」
エリスの問いに、ミスティが頷く。
「はい……」
カエデさんの部屋の状況は……自分で見た方が早いか。
「エステルの部屋を確認しに行ったのは、なんでだ?」
「カエデさんが部屋にいなかったので、また一階に戻ってステラさんに相談したんです。そうしたら『念のため、お嬢様の部屋も確認しよう』という話になって……」
俺はステラさんに向き直った。
中年のおしゃべりメイドは頷いた。
「あの子はエステル様の専属だから、お嬢様に呼ばれてるのかも、と思ったんだけど––––ただ、あんな朝早くに何十分も用事を申しつけられるかな、と。それで迷ったけど、念のため確認しに行くことにしたんですよ」
「なるほど。確認には二人で行ったのか?」
「ええ。お嬢様の部屋の鍵を持っているのはあたしとカエデだけだし、まだ朝も早くてお嬢様も寝てらっしゃると思ったから、一緒に行ったんです」
「なるほど」
ここまでの話に、不審な点はない。
また、二人とも嘘をついているようにも見えなかった。
「エステルの部屋に行って気づいたことは?」
俺の問いに、その時の様子を思い出すようにしながら口を開くステラさん。
「お嬢様の部屋の前まで行ってまず気づいたのは、床に落ちていた石の破片でしたね」
「––こちらでございますね?」
ポケットから先ほど見た緑の石の破片を取り出して見せるクロウニー。
「そうそう、これだよ。これが廊下に落ちてたんだ。そのままにしとく訳にもいかないと思って、とりあえず拾っといたよ」
「なるほど。他には?」
「他には変わったことはなかったけど……お嬢様の部屋をノックしても反応がなかったんで鍵を開けようとしたら、鍵がかかってなかったんだよね」
「鍵が開いてた?」
「そうさね。鍵は内側からでも外側からでも開け閉めできるけど、お嬢様がお休みになる時は必ずカエデが外から鍵をかけるようにしてるはずだよ」
「…………」
鍵がかかっていたカエデさんの部屋。
鍵がかかっていなかったエステルの部屋。
……これはどういうことだろうか?
着替えをして行方を消したカエデさん。
着替えもせずに行方が消えたエステル。
嫌な予感がした。
頭の奥がチリチリする。
「分かった。とりあえず話はこの辺でいい。部屋を見せてくれ」
俺は居ても立っても居られなくなり、そう言った。
エステルの部屋は、二階の突き当たりにあった。
そのすぐ右手前にはカエデさんの部屋。
エステルの部屋の反対側の突き当たりは、エリスの部屋になっている。
「石が落ちていたのは、どの辺りだ?」
「ここですよ」
ステラさんが、エステルの部屋の扉の前……カエデさんの部屋の扉に近いあたりの廊下の端を指差した。
確かに、緑の粉のようなものが少しだけ床に残っている。
「先にカエデさんの部屋を確認しよう」
レディの部屋を覗くのは心苦しいし、背後で腕を組んでいるエリスの視線も気になるが、そんなことを言っている余裕は今の自分にはない。
俺の言葉にステラさんが頷き、腰に下げている鍵の束から一本を取り出すと、鍵穴に差し込み押し回した。
扉が開かれる。
カエデさんの部屋の中は、思った通りきちんと片付けられていた。
窓ひとつのこじんまりとした部屋だ。
ちょっと意外だったのは、ベッドと反対側の壁に置かれた書棚に本が並び、その隣に品の良い書物机(ライティングビューロー)が置かれていたことか。
勝手な印象だが、武士のように余計なものを一切置かない部屋を想像していた。
が、それはいい。
問題は、机とセットになっている椅子に無造作にかけられた白い寝間着だった。
「これは、カエデのものか?」
「たぶん、そうだと思います」
ステラさんが頷く。
その横であごに手を当てて立っていたエリスが、目を細め呟く。
「おかしいわね。あのカエデが、寝間着も片付けずに外に出るかしら?」
「同感だ。よほど急いでいたか、動転していたか……。いずれにせよ『何か』あったのは間違いない」
つまり昨夜起こった何かは、カエデさんにとっても予想外(イレギュラー)な出来事だった、ということだ。
「それでも、一応着替えて部屋を出た。部屋に鍵もかけていった。ということは––––」
俺はエリスの顔を見た。
「賊を迎え討つとか、そこまでの差し迫った危機があった訳ではない。ただし彼女を多少なりとも動転させる『何か』だった。……ということだな」
「相変わらずの頭の回転の速さね。もう呆れるわよ」
エリスは溜め息まじりにそう言って首を振った。
「前世では推理小説(ミステリ)もそこそこ読んでたからな」
「は?」
「……いや、なんでもない」
この世界には推理小説とかないんだろうか?
前世でミステリらしいミステリが世に出たのは十九世紀後半だった。
この世界ではまだ早いかな。
「一応、そこのクローゼットの中も確認しといてくれ」
エリスたち女性陣にそう頼むと、俺は反対を向いた。
さすがに自分で調べるのはアウトだろう。
しばらくして、エリスから声がかかった。
「メイド服がない以外は、特におかしなところはないわね」
「まあ、この部屋ではこんなところか。––次、エステルの部屋を調べるぞ」
「……変なところ見ちゃダメよ」
「しねーよ!!」
こいつは、人をなんだと思ってるのか。
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