第97話 腑に落ちない

 

 エリスの封術で魔物を引き離した俺たち三人は、撤退中のカレーナたちに追いつき、セントルナ山北東の森からなんとか脱出することに成功した。


 領兵八名。俺のパーティー七名。

 森に入った十五名全員が一人も欠けることなく帰還できたのは、不幸中の幸いと言える。


 もっとも、足を骨折したらしい一名を含む探索隊の過半数が何かしらの怪我を負ってはいたが。




「カレーナ。敵が追ってくる気配は?」


 俺の問いに、カレーナは疲れたように首を振った。


「ないよ。多分、諦めたんだと思う」


「そうか。とりあえずひと息はつけそうだな」


 ーーーーふう。


 安堵したところで、こっそり息を吐き出す。


 皆の手前、あまり気を抜くことはできない。

 けれど、ここまでずっと緊張を強いられてきたのだ。さすがに疲労を感じずにはいられなかった。


「ボルマンさま。これを……」


 いつのまにか隣にやって来ていたエステルが、すっと手を差し出してきた。


「え?」


 手のひらの上には、一粒のアップルキャンディ。


「先ほどの戦いで、左腕を痛められているのではありませんか?」


 心配そうに尋ねるエステル。

 俺は少し驚いた。


 実は撤退戦の際に魔物の剛腕が左腕をかすめてしまい、今もズキズキと痛んでいる。

 ただ自分としては周りに気取られないよう隠しているつもりだった。


 今回の戦いでは皆が大なり小なり負傷している。そんな中、俺が打撲程度で痛がって見せるのはどうかと思ったのだ。


「いや、うん。たしかに左腕が痛いんだけど…………よく分かったね」


「わたしはボルマンさまのフィアンセですから」


 そう言って、顔を赤らめながらアップルキャンディを俺の左腕に触れさせるエステル。可愛い。


 回復薬は光の粒子となって俺の腕を包み、ほのかな温かさとともに痛みを癒していった。




「坊ちゃ……ボルマン様!」


 エステルといい感じになっていたところを、おっさんの大声がぶち壊す。

 俺の名を呼びながら近づいてくるのは、クリストフだ。


 いやまぁ、悠長にしてる場合じゃないんだけど。

 正直ちょっと恨めしい。


 俺は気を取り直し、師匠の方を振り向いた。


「どうした、クリストフ?」


「は。我々の次の行動についてご相談したく思いましてな」


「ーーそうだな。のんびり構えてる場合じゃないか」


 日が傾き、すでに辺りは暗くなり始めている。

 森に入ったのが昼過ぎなので、一連の森の探索にそれなりの時間がかかった、ということだった。


「重傷者がおりますし、あの狂化ゴブリンどもが村を襲わないとも限りません。今夜はオフェル村に泊まることにしたいと思いますが、いかがですかな?」


「ーーなるほど」


 今日の戦闘で、人間が魔物(やつら)の居場所を突き止めたことを、魔物は知った。


 狂化しているはずなのに、俺たちをおびき寄せ、奇襲をかけてきた狂化ゴブリン。

 先手必勝とばかりに最寄りの村を襲撃することは十分に考えられる。


 重傷者の手当てにしても、魔物の襲撃に備えるにしても、最寄りのオフェル村で夜を越すのが良いように思えた。


「よし。全員でオフェル村に向かおう。誰か元気な者を先行させて、村に受け入れ準備をするよう伝えてくれ」


 こうして俺たちは、屋敷のある領都ペントに戻らず、ゲーム主人公たちの家がある、最寄りのオフェル村に向かったのだった。




 森を出て半刻ほど馬を歩かせると、見慣れたオフェル村の門が見えてきた。


 夕焼けに染まる家々。

 長く伸びる影。

 幸いなことに俺たちは、日が沈む前に村に到着することができたのだった。




「ようこそお越しくださいました。ボルマン様」


 村長の屋敷に着くと、玄関で村長が出迎えてくれた。

 初老のこの男とはもうすっかり顔なじみだ。

 領内の魔物討伐を繰り返す中で、幾度となくこの屋敷に泊まっていたからな。


「村長、突然押しかけてすまないが重傷者の受け入れを優先してくれ。多分、足を骨折している」


「はい。伺っております。間もなく村医者がまいります。ミターナ、怪我をされた方を部屋へご案内しなさい」


「畏まりました。ーー怪我をされている方をこちらへ」


 村長の言葉に横に控えていた老メイドが一礼し、怪我人をおぶった兵士を奥の部屋に連れて行った。


 ミターナさんは、俺と子分ズがバッタにやられた時に世話になった女性だ。

 彼女とももう顔なじみと言える。


 そうして怪我をした兵士を見送ると、クリストフが口を開いた。


「それでは我々は一度、駐屯所に寄って来ます。魔物に対する警戒を強化せにゃなりませんし、兵の半分はあちらに泊まることになりますからな」


「分かった。警戒を怠っては困るが、兵たちがゆっくり休めるよう配慮してやってくれ」


「承知しました!」


 クリストフは胸に拳を当てて敬礼すると、兵を連れて駐屯所に向かった。


 残された俺たちは、食堂か客間で各部屋の準備ができるまで待ちぼうけーーーーかと思いきや、意外なことにすぐに部屋に案内された。


 あとで訊いたら、セントルナ北東の森の探索の連絡が入った時点で、俺たちの滞在を予期して部屋の準備をしておいてくれたらしい。


 なかなかやるな。

 村長とミターナさん……!




 夕食後、俺たちは食堂にとどまり、今日の探索について話し合いを持った。

 メンバーは俺たち七人とクリストフだ。


「さて。魔物の話だ」


 クリストフが駐屯所から戻って来て着席し、皆が揃ったところで話を始める。


「対策を考えなきゃならないけど、その前に皆に印象を訊きたい。ーーーー今日のアレをどう思った?」


 俺の問いに、皆が考え込む。

 普段ではありえない抽象的な訊き方だけど、今回は感覚的なものを大切にすべきじゃないか、と。俺の勘がそう訴えていたのだ。


 しばし間があって、最初に口を開いたのは天災少女だった。


「腑に落ちないことが多すぎるーーというか『全て』、『何かが』おかしいわね」


 エリスにしては珍しい、曖昧な言葉。

 だけどその言葉は、たぶん全員の気持ち……違和感を代弁していた。


「同感だな。だけどその先を考えなきゃ被害が大きくなる。向こうがこちらを襲うにしても、俺たちが奴らを討伐するにしても、な。ーー最初におかしいと思ったのは、どこだった?」


 エリスはあごに指をあて、目を閉じ、ぶつぶつと呟き始めた。

 どうやら、今日の探索の様子を思い出そうとしているらしい。


「……森に入る。普通の魔物と戦闘。敵が向こうからやって来る。茂みに隠れる。二体の魔物が歩いてくる……」


 一つ一つの出来事を思い出そうとしていたエリスは、そこでぱちりと目を開け、呟いた。


「やっぱり、最初の二体からしておかしいわ」


 向かいに座っているジャイルズが、うん、うん、と頷いた。


「狂化して目が金色だったのに、フラフラしてなかったしな!」


 森の中で皆からつっこまれたことを、まるで分かったかのように語るジャイルズ。

 隣に座るカレーナが『あーあ』というように片手で顔を覆った。


 うん。まあ、今のはちょっと恥ずかしい。

 ……むしろ周りが。


 普通こういう時は誰かがつっこみを入れるか、皆でスルーすると思うんだが、この時、この場では、残念ながらそんな優しいことにはならなかった。


「何言ってんの? 違うわよ。そこじゃないわ」


 エリスが真っ向から叩き潰したのだ。

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