第81話 エリスの父親

 

 フリード卿は目を細め、言葉を続けた。


「あやつは、確かに封術では王国でも屈指の力を持っておる。ことその分野では、国内には並び立つ者はおらんだろう」


「……国内には?」


 伯爵が、国内という言葉を強調した気がして訊き返す。


「そうだ。推測になるが、おそらく帝国に行けばあの程度の術者はごろごろしているはずだ。うちで捕らえた例の奴隷連中を見れば分かる。我が王国、いや、オルリス教国家群とは封術のレベルが隔絶している。このままいけば十年後には、我が国を含め世界は帝国の手に落ちるだろう」


「……そこまで、ですか」


 呟きながら、内心驚いていた。

 伯爵が帝国との技術格差を認識し、危機感を持っていることに。




 伯爵の予想は、正しい。

 確かにエルバキア帝国とその他の国の技術レベルは隔絶している。


 ユグトリア・ノーツのゲーム終盤では、試作艦ながら飛行戦艦なるものさえ持ち出していた。

 今、帝国が全面攻勢に打って出ないのは、現皇帝が現実主義者(リアリスト)だからだ。


 急激に版図を広げても、統治しきれない。圧政を敷けば叛乱を誘発する。オルリス教とエルバス正教の宗派対立など起ころうものなら、それこそ手がつけられなくなる。

 だから交易を含んだ搦め手で、時間をかけて周辺国家を侵食しているのだ。


 だが当然帝国内部にもタカ派はいる。

 それは、皇帝の息子の一人にも。


 その息子こそが邪神ユーグナ復活の黒幕であり、ユグトリア・ノーツの一連の事件を引き起こした張本人であるのだが、それはまあ置いておこう。




 伯爵は話を続けた。


「俺には三人の息子がいる。……いや『いた』と言った方がいいか。次男は気が優しく、面倒見がいい子だった。だが、うちの商船団の護衛で船に乗っていて、帝国の私掠船との戦闘中に死んでしまった。相手の封術士を道連れにしてな。……三年前の話だ」


 昔の記憶を思い起こすように話す、フリード卿。

 俺は相づちを打つこともできず、ただ聞いていた。


「エリスはクラウス……次男にとてもよく懐いていた。あのお転婆娘が、クラウスに封術を教わる時だけは真面目に机に向かっていたよ」


 懐かしそうに微笑するフリード卿。

 この人もこんな顔をするのか……。


「だが、クラウスの死であの子は変わった。しばらくは見ていられないほど落ち込んで部屋に篭っていたが、ある日部屋から出て来たと思ったら、突然『捕らえている帝国の封術士に会わせろ』と言い出した。何をするつもりかと訊いたら『帝国の封術を学ぶ』と言いよった」


 え?

 それって……。


「あの子の封術のベースは、帝国の技術だ。一年ほどで捕虜から学ぶものがなくなったあの子は『王立封術院で研究を続ける』と言って、王都に出て行った。……あとは知っての通りだ。研究はそれなりに進んでいるようだが、友人はおらず、学院の内外で敵ばかり作っている」


 伯爵は小さくため息をついた。




「あの子は帝国への復讐に取り憑かれている。このままでは遠からず命を落とすだろう。味方もいない場所でな」


 俺たちの視線が交錯する。


「ミエハルの娘と同じようにとは言わん。お前の仲間と同じように接し、行動を共にしてやってくれ。あの子には、社会での経験と信頼できる仲間が必要なのだ」


 昼間と同一人物とは思えないフリード卿のあまりに率直な物言いに、驚き戸惑う。


「ちょ、ちょっと待って下さい! 僕らは領内の魔物の討伐なんかもやるんです。それに同行するなんて危険過ぎますよ」


 焦る俺を見て、伯爵は小さく笑った。


「狂化した野犬(ワイルドドッグ)を仕留めたのだろう? それだけ強ければ十分だ」


 う……。

 事前に調査(リサーチ)しているのは、お互い様ってことか。

 でもその情報には抜けがある。


「確かに仕留めましたが、私はその戦いで大怪我をしたんですよ?」


「だが、お前は生きている。……それに怪我をしたのはお前だけで、他の仲間は無事だったのだろう?」


「そ、それはそうですが…………」


「言い方を変えれば、お前は自らの身を危険にさらして仲間を守ったということだ。エリスの身に何かあるような事態なら、お前は先にやられているだろう。それならまだ諦めもつくというものだ」


 なんて暴論。

 だけど反論できないところがつらい。


「エリスのことについては、生死を含め全面的に俺が責任を負う旨、書面を交わそう。……どうか、娘をよろしく頼む」


 そう言って目を閉じる伯爵。

 目の前にいるのは、娘の将来を憂う一人の父親だった。


 エリスとの婚姻は、俺として決して受け入れられることじゃない。

 だけど共に生死を賭ける仲間として、彼女にもできる限りのことをしていこう。


 そう心に決めた夜だった。




 翌日の昼過ぎ。

 エステルとフリード伯爵一行の馬車が出立した。


 すっかり仲良くなったエステルとエリスは、テンコーサの街まで同じ馬車で行くらしい。


 うちの玄関前で、エステルの手を取り言葉を交わす。


「エステル、体に気をつけて」


 婚約者の少女は繋がった手に視線を落とすと、寂しそうに微笑んだ。


「ボルマンさまも、あまり無理をなさらないで下さいね。わたしもボルマンさまに相応しくなれるよう頑張りますから」


「じゃあ、僕も頑張らないとな」


 見つめ合い、笑い合う。


「それじゃあ、また春に」


「はい。一日千秋の思いで待ってます」


 穏やかな木漏れ日のような笑顔。


 俺は、エステルの耳に顔を近づけ、ささやいた。


「一緒に暮らせる日を楽しみにしてる」


 みるみる彼女の頰が朱く染まる。


 彼女はちら、と俺の顔を見ると、背伸びして耳に口を寄せた。


「わたしも、です」


 頭が真っ白になった。




 こうしてエステルとフリード卿の来訪が終わり、まもなく冬がきた。

 雪の降る日もあり、領内の動きも鈍くなる。


 俺たちも雪の日は遠出は控え、練兵場での訓練と、来るべきテルナ川水運会議に備えて準備を進めたりして過ごしていた。


 年が明け、春の兆しが見える頃には、毎年恒例の魔獣の森の討伐の実施となる。

 レベルの低い俺たちはもちろん参加させてもらえず、テルナ川の河岸で見送りしただけだったが。


 今年は領兵一人と冒険者二人が犠牲になった。

 葬儀で遺族に参列を感謝されたが、むしろそれだけの犠牲を出すような戦力で送り出した領主家の人間として、罪悪感しか感じなかった。

 いつか、絶対に変えてやる。




 そうこうしているうちに春の足音が聞こえてくる。


 冬の間続けていたエステルとの文通もこれが最後。

 エリスからも来訪予告が届く。

 どうやら二人はテンコーサで合流し、同じ馬車でこちらに来るらしい。


 そして、いよいよ再会の日がやって来た。


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