第80話 フリード卿との懇談
フリード伯爵が予定を前倒ししてうちを訪れたその日。
本来出立する予定だったエステルは、結局滞在を一日伸ばすことになった。
彼女は夕食後も談話室でエリスと楽しそうに話に花を咲かせていて、自然、俺は伯爵の相手をすることになる。
え、豚父?
ははは……。
「異常、だな」
ナイトガウン姿でゆったりと長椅子に腰掛け、ワインを傾けながら何やらうさんくさげに俺を観察していたフリード卿は、ボソリと失礼なことを言った。
「異常ですか?」
聞き返した俺に、伯爵はふんと鼻を鳴らす。
「ああ、異常だ。エリスやタルタス男爵からも話を聞いていたが、貴様は確かに優秀だ。……歳に不相応なほどな」
「お褒めにあずかり光栄です」
苦笑して会釈すると、伯爵は片頬をひきつらせるように顔をしかめた。
「全く、小憎らしい。この俺とやりあえる相手など、王国内にもそうはいないというのに。お前のその余裕はなんなのだ」
いやいや、それは買いかぶり過ぎでしょう。
「余裕なんてありませんよ。余裕があればあんなに必死に食らいついていきません。もうちょっと時間をかけて関係構築を図りましたよ。……ですが残念ながら手札は少なく、私には次の機会も、時間もない状況でした。持っている手札を全て使って真っ向勝負するしかないじゃないですか」
「その言葉だ。およそ未成年のものとは思えん。真っ向勝負だと? 十二の子供が、田舎領主の跡取りが、真っ向勝負する機会などどれだけあるというのか」
伯爵の追求は続く。
「貴様は一体何者なのだ? ダルクバルトの子豚鬼(リトルオーク)はどこに行った? 以前流れていた噂と別人ではないか」
うぐ。鋭い。
下手な言い訳は見破られそうだ。
「お恥ずかしい話ですが、以前の噂というのは、恐らく事実です。その…………かなり荒れてましたから。多少尾ひれはついているでしょうが、大体当たっているのではないか、と」
「では、なぜ変わった?」
伯爵の視線が俺を射抜く。
「まあ、その。なんというか…………。ま、ま、ま、『守りたい人』ができたから、でしょうか……」
やばい。シラフで口にするのは恥ずかし過ぎる……。
俺は片手で顔を覆った。
「あの娘、か」
「……はい。彼女との未来を考えた時、すぐに手を打たねば、と思いました。領民感情の改善、財政の立て直し、商業振興、そして領兵戦力の強化。やらねばならないことは山積みです。なのに私には、あまりに時間がありません」
「なぜ、そんなに生き急ぐ。お前があげたのは確かに重大な問題だろうが、解決できないからといって今すぐ家が潰れるという話ではあるまい?」
伯爵は訝しげに問う。
そりゃあそうだ。俺が伯爵でも疑問に思う。
こんな時、どう話したものか。
しばし逡巡し、口をついて出たのは、ベタな話だった。
「…………夢を見るんです」
「夢、だと?」
伯爵が露骨に眉を顰めた。
「はい。ダルクバルトが魔物の群れに飲み込まれるリアルな夢です。それも、何度も」
「『魔獣の森の大暴走』か……」
「それを思わせる夢です」
目を細める伯爵に、俺は頷いた。
「しかし、討伐は毎年適切に行っている。この三百年、暴走の予兆はないはずだが」
「…………閣下のところは、そうでしょうね」
目を逸らして呟いた俺に、フリード卿は一瞬目を見開き、次に身を乗り出して声を潜めた。
「ダルクバルトは違うというのか?」
「討伐をしてはいます。……一応。ですが年長者に言わせると、昔に比べ魔獣の森から来る狂化個体が増えているそうです」
これは、クロウニー……じいが言っていたことだ。最近の出現頻度は二、三年に一度だが、昔はせいぜい十年に一度現れるかどうかだった、と。
だが伯爵は、違うところに食いついた。
彼は再び顔を寄せ、声を落とす。
「なんだ、その『一応、討伐している』というのは?」
う……。迂闊だろ、俺。
今朝からの疲労が重なって、段々集中力が落ちてきてる。
「い、いえ、その…………もちろん、毎年決まった時期にちゃんと行ってますよ、討伐。ええ」
頑張って笑顔で誤魔化そうとしたが、伯爵は見透かすように俺の顔をじっと眺めると、ポツリと言った。
「なるほど。貴様が焦るのはそれが理由か」
何か、察したような言葉。
「ええと……なんのことでしょう?」
再びの笑顔。
が、もう手遅れだった。
「確かにお前の手には余る問題だな。父親は耳を貸さない。自分で動かせる金がいる。戦力もいる。それで『テルナ川交易』か」
向かいの伯爵と視線が交錯する。
背中を、嫌な汗が流れた。
伯爵の口角が上がる。
「面白い」
「…………は?」
思わず、ぽかんと口を開ける。
「それだけのことを、誰にも頼らず自分の力で解決しようという気構え。そしてそのために手札を駆使して道筋をつける手腕。自らを鍛え、積極的に戦いの場に身を置こうとする姿勢。やはり貴様は面白いわ」
えーと……。
それはどういうことかな?
首を傾げると、伯爵はにやりと笑った。
「よかろう。魔獣の森の問題は、うちにとっても他人事(ひとごと)じゃない。王国の存亡に関わる問題だ。近く、ダルクバルト側の森に、うちの騎士団から調査隊を派遣しよう」
「ほ、本当ですか?!」
驚く俺に、ゆっくり頷く伯爵。
「その上で対処が必要となれば、協力は惜しまん。……もちろん『貸し』だがな」
「う……お手柔らかにお願いします」
思わず、引き攣り笑いをする。
なんか高くつきそうで怖い。
でも、その申し出はありがたかった。
こっちに来て以来、常に背中に刃物を突きつけられている気がして、がむしゃらに走り続けてきた。
頼れるものはない。
子分たちの成長は著しく、日に日に頼りがいが出てはいるけれど「この問題」について相談するのは、彼らにはまだ酷に思えて出来なかった。
正直、逃げたかった。
でも、逃げ場などなかった。
エステルのことを思えばなおさらだ。
それがここにきて、王国東部で最も影響力のあるフリード卿の理解と助力を得られることになったのだ。
これで俺は、一人で戦わずに済む。
本当に、ありがたい。
ほっとして、つい涙ぐんでしまった。
しばし、会話が途切れる。
窓際のエステルとエリスが談笑する声が聞こえていた。
伯爵は目の周りを指でこする俺をしばらく黙って眺めていたが、落ち着いたところで口を開いた。
「魔獣の森の件については、俺が半分持ってやる。……その代わり、エリスのことを頼む」
俺は顔を上げ、伯爵の目を見た。
そこには、一人の父親がいた。
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