第56話 再会。そして戸惑い。

 

 領都クルスを出立して五日。


 馬車がなだらかな丘を越え、ペントの街が見える頃には、わたしの緊張は頂点に達していました。


「お嬢様、大丈夫ですよ」


 向かいに腰掛けたカエデが、久しぶりにわたしを気遣ってくれます。


「ボルマン様のお母上、タカリナ様はお菓子と芸術を愛する鷹揚な方と聞いております。きっとお嬢様の贈り物もお気に召して頂けることでしょう」


 もうすぐボルマン様にお会いできるのが嬉しい反面、未来のお義母さまへの挨拶はやはり不安です。


「気に入って頂けるでしょうか?」


「もちろんです」


 わたしの問いにカエデが即答します。


「何せ彼の領民の方々も『領主家の機嫌をとるなら奥様にお菓……ゴホン! なんでもありません。とにかく大丈夫です。ご安心下さい。私の調査(リサーチ)は完ぺきですから」


「もちろんカエデのことは信用してますよ。……それでも不安なものは不安なのです」


 わたしは気分を変えようと、窓の外に視線を移しました。


 そこに広がるのは、見渡す限りの畑と草原。

 きっと豊かな土地なのでしょう。

 深まる秋の風景に、少しだけ元気をもらったのでした。





「かわいい街ですね」


 ペントの市門をくぐってしばらく進み、思わず口をついて出た言葉に、カエデが付け加えるように返事を返してくれました。


「そうですね。それに以前私が訪れた時と比べ、活気もあるように感じます」


 車窓から見えるペントの街は、こじんまりとしていて、でも意外と活気のある様子でした。


 前に上のお姉さまから聞いた話では、領主様の搾取により民は貧しい暮らしを強いられ、貧民街のように陰気な街だと伝え聞いていましたが、そんな様子は微塵もありません。


「実際に自分の目で見ないと、分からないものですね。噂に踊らされていた自分が恥ずかしいです」


「……これは、あの方の仕業でしょうか」


「? 何か言いましたか???」


 訊き返したわたしに、カエデはやんわりと首を振ります。


「独り言です。さあ、お嬢様。あちらがエチゴール家のお屋敷ですよ」


 その言葉に、わたしはまた緊張で固まってしまうのでした。





 門をくぐり、お屋敷が近づいてくるのを窓越しに見ていると、わたしを迎えるためでしょうか。玄関前に立ち並ぶ使用人の方々に囲まれて、あの方の姿が見えました。


「ボルマンさま……」


 一瞬で顔が熱くなります。


 手紙のやりとりは何度もしていましたが、こうしてお会いするのは二ヶ月ぶりです。

 胸のドキドキが止まりません。




 馬車は速度を落とし、ゆっくりと車寄せに停まりました。

 左の扉が開けられ、隣のカエデが降ります。


「お嬢様、どうぞ」


 カエデの呼びかけに、一度だけ深呼吸して気持ちを落ち着けると、わたしは馬車を降りました。


 カエデの手につかまり、ダルクバルトの土に足をつくと、わたしの前に進み出て来られる方が一人。


「エステル殿、ご無沙汰しております。遠路はるばるよくお越しになりました」


 相変わらずの綺麗な立礼。


 前にお会いした時よりもいくらかスマートな印象で微笑まれるその方に、わたしはカーテシーでご挨拶します。


「ご無沙汰しております、ボルマンさま。この度はお招きにあずかり光栄です」


 わたしの挨拶に頷き、一歩、二歩と近寄り、右手を差し出されるボルマンさま。


 わたしは恥ずかしくなり、俯きがちにその手をとります。


 ボルマンさまがわたしに囁かれました。


「よく来たね、エステル。ダルクバルトにようこそ」


 わたしは未来の旦那さまに微笑み返します。


「お会いできる日を、一日千秋の思いで待ち焦がれていました」


 ボルマンさまの頰が朱く染まり、顔が離れます。


「おいで、エステル」


「はい、ボルマンさま」


 こうしてわたしたちは、二ヶ月ぶりに再会を果たしたのでした。





 お屋敷に招き入れられたわたしは客間に通され、そこでゴウツークさまとタカリナさまに面会することになりました。


「お会いできて光栄です、タカリナさま。ゴウツークさま、この度はお招き頂きありがとうございます」


 わたしのカーテシーに、お二人が微笑まれます。


「あら、可愛らしいお嬢さんだこと」


 初めてお会いするタカリナさまは、ゴウツークさまと雰囲気がよく似たふくよかな奥さまでした。


「お嬢様、こちらを」


 わたしはカエデから手づくりのクッキーを詰めたカゴを受け取ると、タカリナさまに差し出しました。


「お口に合うか分かりませんが、わたしが焼いたクッキーを持参致しました。宜しければお召し上がりください」


「あらあら、それは嬉しいわあ。私、お菓子に目がなくって」


 タカリナさまはわたしに歩み寄られ、カゴに掛かっている布をとられます。

 そして、露わになったクッキーを見て、


「まあ、美味しそう!!」


 そう歓声をあげられるや、すっ、ともう片方の手をお菓子カゴに伸ばされました。


 それは一瞬のことでした。


 わたしが視線を上げた時にはもう、タカリナさまの頰はドライフルーツ入りのクッキーで膨れ上がっていました。


「もが、おいひい〜〜っ!!!!」


 満面の笑みで再び歓声をあげられるタカリナさま。

 一口目を吞み下す間もなく、再びカゴに手が伸ばされます。


「(もしゃもしゃ)ほれ、ふほふ、おいひいわ〜〜っ!!(もしゃもしゃもしゃもしゃ)」


「あ、あの……」


 わたしはその様子に圧倒され、お菓子カゴを抱えたまま立ち尽くしました。




 タカリナさまに気に入って頂いたのは間違いありません。

 ですが、わたしはカゴを抱えたまま、どうすればよいのでしょうか?

 これまで様々なマナーを躾けられてきましたが、このような場合どうしたらよいのか、さっぱり分からなかったのです。


 わたしが驚き戸惑っている間にも、タカリナさまの手と口は止まることを知らず、カゴの中のクッキーはすごい勢いで消えていきます。


 わたしは助けを求め、傍らのボルマンさまに視線を送りました。


 ボルマンさまはわたしの意図に気づかれ、「大丈夫」というように優しく微笑んで頷かれました。


 わたしはちょっとだけ落ち着きを取り戻し、お菓子カゴを抱えたまま、タカリナさまが食べ終わるのを待ちます。


 タカリナさまが食べ終わりカゴが空になれば、召し上がって頂けたことにお礼申し上げて、カゴをさげる……それでよいと思ったのでした。


 ですが困ったことに、この話はそれだけでは終わらなかったのです。




「おい、一人で食べるなんてずるいぞタカリナ! ……どれ、儂も味見をしてやろう」


 なんということでしょうか。

 今度はゴウツークさままでカゴに手を伸ばしてこられたのです。


「え、え???」


 わたしはまた固まってしまいました。


 お二人の勢いに、カゴの中のクッキーはあっという間になくなってしまいます。


「あら、あんまりにも美味しくて、つい全部食べちゃったわ! こんなに美味しいお菓子を作ってくれるお嬢さんがうちに来てくれるなんて、私すごく嬉しいわあ」


 お口の周りをハンカチで拭いながらタカリナさまが満面の笑みで褒めて下さいました。


「うむ。さすがミエハル子爵のお嬢さんだな。ボルマン、お前は果報者だぞ! はっはっはっ!!」


 ゴウツークさまにもご満足頂けたようです。


 あ、視界の端で、ボルマンさまが額に手をやり、疲れたように首を振っておられます。




「あの、お気に召して頂けたようで、わたしも嬉しいです。まだいくらか作ってまいりましたので、後ほどお渡し致しますね」


「「本当 (か)!?」」


 二人して、ずいっ、と顔を近づけられる未来のお義父さまとお義母さま。


「は、はいっ! 本当です……」


 思わず半歩後ずさりながら、でもなんとか笑顔で答えます。


「おお! さすがはミエハル子爵のお嬢さんだ!!」


「ほんと! よく気がまわるお嬢さんだこと!!」


 大きく喜びを表現されるお二人を前に、わたしはホッとしながらも、ちょっとだけ疲れを感じたのでした。

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