第25話 迷探偵カエデ・後編
オフェル村に着いたのは、日がやや傾き始めた頃でした。
「なんとか日が沈む前に着けたようですね」
私は少しだけほっとしました。
これで時間を無駄にせずに済みます。
オフェル村はペントの街をふた回りほど小さくした集落でした。
小さな堀と柵で囲われ、周囲には農地、背後には狭間の森というロケーションです。
村の中は、畑仕事から帰る人や、夕ご飯の支度をしようとしている人、駈けまわる子供たちで、それなりに人気がありました。
さて、誰に話を聞くのが良いでしょうか?
「情報収集するなら、やはり定番から攻めましょうか」
しばしの逡巡の後、私は村で唯一と思われる小さな酒場に入ってみることにしました。
酒場の中には、既に何人かお客さんがいました。
村の若い衆のようです。早めに仕事を切り上げて、飲みにきているのでしょう。
私は、テーブル席に座らず、カウンター席に腰かけました。
「おや、見ない顔だね。冒険者かい?」
年配のマスターが尋ねて来ました。
「ええ。ギルドの依頼で、ちょっと」
オーダーを訊かれた私がマスターにオススメを尋ねると、地元産のベリーの果実酒がおすすめということだったので、それを頼むことにします。
「ところで、この村で一晩泊めてくれそうな所はありませんか?」
時間的に、聞き取り調査をしてペントの街に戻ることは難しいでしょう。
かといって、村には宿もなさそうです。
野営しても構いませんが、泊めてもらえる家があるならそれに越したことはありません。
「それなら村長の家に行くといい。こんな辺鄙な村だ。たまに訪れる行商や冒険者なんかは、村長が家に泊めてやってるよ」
なるほど。
村長の家に泊めてもらうのは、いいアイデアかもしれません。
領主との関わりも多いでしょうから、いくらか話を聞くこともできるでしょう。
ベリー酒を飲みながら、マスターと村の若者たちから領主家の話を聞きます。
新しい展開はありません。
評判は最悪です。
特にボルマン様は。
ひと通り噂話を聞いて店を出ると、外は夕闇に包まれていました。
「さて、本当に泊めて頂けるでしょうか?」
酒場で聞いた通りに歩いていくと、村の南側の奥に、お屋敷とまではいかないまでも、それなりの規模の邸宅が建っていました。
ここが村長さんの家でしょうか?
「突然の訪問にも拘らず、お部屋を貸して頂き、本当にありがとうございます」
村長宅の食堂。
慎ましやかな食事がならんだテーブルの向かい側に、穏やかな雰囲気の初老の男性が座っておられます。
「いえいえ、大したおもてなしもできませんが、ゆっくり休んでいって下さい」
そう言って食事を始めた向かいの老人は、このオフェル村の村長さんです。
ささやかな雑談をしながら、ここでもまた、少しずつ領主一家の話題をふってみます。
恐らく、今まで聞いてきた悪評とそれほど変わらないものを聞くことになるのだろう、と思いながら。
ところが、その予想は半分は当たりましたが、もう半分は大きく外れることになりました。
「確かにボルマン様は、些か度が過ぎるイタズラを繰り返しておられました。……ですが最近、ぐんと大人になられたように感じるのですよ」
オフェル村の村長さんが微笑みながら語ったその言葉を、私は驚きをもって受け止めました。
それは、私が初めて聞いたボルマン様への肯定的評価だったからです。
村長さんは仰いました。
「ボルマン様は最近、挨拶をして下さるようになった」と。
なんでしょうか、それは。
つまり今までは、挨拶すらしない子だったということです。
それが、挨拶をするようになった、と。
直接本人を知らない者にとっては些細な変化に聞こえます。が、本人を知る方々からすると大きな変化なのでしょう。
確かに、昨日から噂で聞いてきた傲岸不遜なボルマン様のイメージからは、ほど遠い話です。
「あと、そうそう。あの話もあるなあ」
村長さんはそう言うと、傍らに控えている年配のメイドの女性に目配せされました。
「……なあ、ミターナ。バッタの時の話をお客人に話してくれないか?」
メイドの女性は、その場で一礼すると、村長さんに尋ねます。
「マシューラ様。あのお話をするとなると、ボルマン様の個人的な感情やお人柄について触れることになりますが、よろしいのでしょうか?」
「そうだなあ。だがお客人は、もう既にボルマン様の悪い噂について耳に入れておられるようだし。ここにいたっては、これ以上何かが悪くなることはないんじゃないかな?」
村長さんにそう諭されたメイドの女性は、ややあって頷き、その話をはじめました。
話の内容は、単純なものでした。
狭間の森からの帰り道、出くわしたジャイアントホッパー相手に戦闘不能となったボルマン様他二名。
村人からの通報で駆けつけた領兵に助けられ、この家に担ぎ込まれる三人。
目を覚ましたボルマン様は、配下の二人の無事を聞き、涙を流した、と。
それだけの話です。
それだけの話なのですが、私の心は先ほどの挨拶の話など比較にならないくらいに揺さぶられていました。
部下の無事に涙を流す子豚鬼(リトルオーク)。
今まで領民の方々から聞いた話と、まるで違う人物像です。
この食い違いはなんでしょうか。
調査の終わりに、まさかこのような話を聞くことになるとは。
私は翌日、胸に違和感を抱えたまま、ミエハル領に帰還するべく出立したのでした。
領都クルスに帰還した私は、ハイピッチで顔合わせの準備を進めました。
そんなある日。
私はエステル様からご相談を受けたのです。
それは湯浴みの後、髪のお手入れをしている時のことでした。
「ねえ、カエデ……」
エステル様が、背後に立ち髪に香油をつけている私の名を呼ばれました。
心なしか、声がいつにも増して弱々しいです。
「はい。どうされました?」
「わたしは、どのような心持ちで顔合わせに臨むべきでしょうか?」
エステル様が、顔を少しだけ伏せてそう尋ねられました。
「心持ち、ですか……」
これは難しい質問です。
相手に期待して顔合わせにのぞみ、酷い態度を取られれば、ショックは大きいでしょう。
かと言って、最初から諦めた態度で臨んで相手に悪印象を与えてしまったら、その後の関係改善も覚束なくなってしまいます。
「わたし、怖いんです……。お相手のボルマンさまのことが」
エステルさまの肩が震えます。
あんな噂の相手との婚約です。怖くないはずがありません。
正直なところ、私もよく分からなくなってきました。
ボルマン様が本当に噂通りの子豚鬼(リトルオーク)なのか。
それとも、オフェル村の村長宅で聞いたように、自分の配下の無事に涙を流すような方なのか。
「…………」
しかしまあ、この場合はどちらでも同じなのかもしれません。
私は背後からエステル様を抱きしめました。
「エステル様。相手がどういう方であれ、誠意をもって臨むべきです。その誠意にどの程度の誠意を返される方なのか。それによって付き合い方を決めればよいのではないでしょうか。ただ、こちらが何も渡さないのに『相手が何もしてくれない』と言うのは、違うと思いますよ」
エステル様は、はっとしたように顔を上げられました。
このやり取りに、どんな効果があったのかは分かりません。
ですがこの日を境に、エステル様はご自分の厨房に篭り、色々なデザートを試作されるようになりました。
そして、ついにその日がやって来ます。
ボルマン様との顔合わせの日です。
ダルクバルト領から戻ってからも情報収集を続けていましたが、結局新しい判断材料は手に入りませんでした。
この上は、私自身が直接本人を見て、判断するしかありません。
私は気を引き締め、かの方々の到着を待ちました。
その夜。
自室に戻った私は、ベッドに腰掛け、頭を抱えていました。
「あれでは、別人ではないですか」
昼間のことを思い出し、ため息を吐きます。
私が頭を悩ませている理由は、至極簡単です。
実際にお会いしたボルマン様は、ダルクバルト領で聞いた噂の子豚鬼(リトルオーク)とは似ても似つかず、思慮深く機転がきき、可愛げすらある少年だったからです。
あまりの好人物ぷりに、エステル様は頬を染め、楽しそうにデートをされていました。
またボルマン様の方も、実に楽しげに過ごしておられたのです。
もう、お似合いのカップル、としか言いようがありません。
私も同行して、自らの力を使い「見て」いましたが、ボルマン様は嘘をつくこともなく、常に「嬉しい」、「楽しい」時間を過ごされていました。
もちろん、お二人の仲が良くなるのは良いことです。
なまじっか近くで見守っている為、ついつい我が身を省みて落ち込んだりもしますが、お二人が仲睦まじく過ごされるのは、私にとってもとても喜ばしいことなのです。
ですがあれは、前評判とあまりに乖離し過ぎです。
正直、別人です。
オフェル村の村長と老メイドの評には、見事に合致しますが。
「……ひょっとして、多重人格でしょうか?」
それなら、納得がいきます。
あれは間違いなくボルマン様で、しかし、中身の人格が入れ替わっている。
辻褄は合っています。
問題は、どうやって確認するか。
「……ご本人に訊いてみるしかありませんね」
仮に多重人格だとすると、エチゴール家の最高機密のはずです。
二次情報はあまりに入手が困難であり、もし入手できたとしても、精度が著しく落ちるでしょう。
今日見た限り、あのボルマン様には多少プレッシャーをかけても大丈夫そうです。
明日の晩、本人に直接訊いてみることにしましょう。
そう決意して、私は床に入ったのでした。
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