わたしが最愛の薔薇になるまで

来栖千依

前編

「再婚しようと思うの」


 私――垣之内薔子(かきのうちしょうこ)が告げると、双子の少年は目を見開いた。養子にとってから六年のあいだ、一度も見たことのない表情だった。


「どうして急に?」


 そう言って、双子の弟の咲(さく)が口をとがらせた。ソファに横たわる彼の頭は私の膝のうえにあって、下ろした私の黒髪を指でもてあそんでいる。

 もう十六歳になるというのに、いつまでも甘えたがりだ。


「そんな相手、薔子さまにはいなかったでしょ?」

「それに、あなたは結婚など望んでいなかったはずだ」


 口を出したのは兄の蕾(らい)だ。咲と同じ色素の薄い髪色をしている彼は、私の真横の手おきに腰かけて、ボードレールの詩集を読んでいた。


 かたくなに視線を上げないことから分かる通り、蕾は己のペースを崩されるのを極端にきらう。

 他人に触れたがる咲とは正反対だが、喧嘩をしたことは一度もない。


 蕾と咲は、好きなものも嫌いなものも分け合って、双子らしく生きていた。

 自分に嘘を吐かず、のびのびと生きてもらいたかった私の教育は、ひとまず成功といえる。そろそろ親代わりもお役御免だ。


「気が変わったのよ。近く顔合わせのお食事会を催すから、二人とも出席してちょうだいね」


 柱時計がボーンボーンと十回鳴る。そろそろ眠る支度をしなくては。


 私は気ままな未亡人暮らしだが、起きている限り双子がまとわりついてくる。

 遊びが深夜にまで及ぶと翌日の授業に遅刻するため、どれだけ甘えてきても定時になったら離れるようにしていた。


「私は寝ます。あなたたちも早く眠りなさいね。おやすみなさい、蕾、咲」


 立ち上がって頭を撫でると、双子は大人しく目を閉じた。


「「おやすみなさい、薔子さま」」


 ――薔子がいなくなった部屋で、蕾は乱暴に詩集を閉じた。


「なぜ急に再婚なんて言いだした」

「どっかの誰かが吹き込んだんじゃないの。あの人、騙されやすいもの」


 咲は、横たわったまま手を伸ばして、蕾のネクタイを引っ張った。

 引き寄せられた蕾は、真下にある咲の楽しげな表情を見下ろす。


「ねえ、蕾。僕が何を考えているのか分かる?」

「ああ、咲。あの人を守るためなら何だってする」

「蕾も過激だね。そんなに熱心になにを読んでるの」

「悪の華。陰険な詩人の話だ」

「へー。くっそつまんなさそう」


 蕾と咲はクスリと微笑みあって、薔子が出ていった扉を見つめた。



◆◆◆◆◆



 私が再婚について考える契機がもたらされたのは、前月の真昼のことだった。


「――お見合い、ですか?」


 突飛な話だったので、葡萄酒色の反物を手にしたまま固まってしまった。

 いつも垣之内邸に来る外商部の男は、巻かれた布地を応接間のテーブルに並べながら言う。


「ええ。わたくしどもの顧客に、さるお大尽の三男で、仕事一辺倒な生活をなさっている実業家がおられます。一財産築いたところで引退をお考えで、余生をともに過ごす女性を探しておいでなのです。垣之内様のことをお話しましたら、大層気に入られたご様子で、ぜひ逢いたいと」

「そう……」


 私が再婚を勧められるのは今に始まったことではない。

 夫に先立たれて、双子を養子にとるまでは頻繁にあった。


「ご令息にも縁談が持ちあがる年頃でしょう。その前に、垣之内様ご自身が身を固められてはいかがでしょう。縁談相手のご心証が良くなるかと存じますが」

「あの子たちのため……。そうですね、考えておきます」


 いくつか選んで仕立てを頼むと、男は笑顔で去って行った。

 私は、赤いカーテンに手をかけて、枝振りの見事な松と広い池がある中庭を見下ろす。


「蕾も咲も、あの頃の私と同じ年齢になってしまったのね」


 私が垣之内家に嫁いできたのは、十六になってすぐのことだった。

 否応なき政略結婚だ。夫は七十才を超えた資産家で、独り身で死ぬことを恥ずべき事と考え、お飾り妻を欲していたのである。


 萎びた果物のように痩せた老人は、私の白無垢を見て我に返った。余生を過ごす相手が、孫のような年齢の娘ではおかしいと、ようやく気づいたらしい。


 夫は、私に触れようとしなかった。食事も寝室も別にされたが、決して垣之内家の敷地からは出されなかった。

 男性の使用人と会話したり、視線を合わせたりすることも禁じられた。

 名前だけの妻なれど、若い男との不義密通は許しがたかったのである。


 私は、恋も愛も知らないまま、虫のいない温室の薔薇のように飼い殺された。


 結婚から半年と経たずに、夫は死んだ。未亡人である私には再婚話が山と積まれたが、彼らが垣之内家の財産目当てだということは若い身空でも分かっていた。


 そんなとき、垣之内の遠い親戚に、両親を亡くして引き取り手に困っている双子がいるという話を聞いた。

 私は思った。子どもを持てば、この遣る瀬なさも紛れるだろうか。


 当時、十歳だった双子を引き取って養母になると、ぱたりと縁談は止んだ。

 私は、相変わらず恋を知らないままだけれど、他人を慈しむ心は双子が教えてくれた。


 蕾と咲には、言い尽くせないほど感謝している。

 私が再婚して、双子がより良い伴侶に恵まれるならば、それもいいかもしれない。



◆◆◆◆◆

 

 

 私は百貨店を訪れていた。外商部の男を呼びつけてどうこうするより、自分から動いてお見合い相手について聞き出した方が早いと思ったのだ。


 担当の男を呼ぶと、急な用事で表に出ているという。一、二時間ほどで戻ると言うので、絵画展が開かれていた催事場へと向かった。


 西洋画を眺めていくと「お好きですか」と声を掛けられた。

 声の主はモダンなスーツを着た紳士だった。


 首元に結んだクラヴァットと白波たつ海のようにうねる髪が印象的だったが、顔立ちは見られなかった。私は古い癖で、視線が合わないように顔をそむける。


「見るのは好きです。けれど、詳しくはございません」

「好きなだけで充分ですよ。好意的な感情は万事の入り口となりますから。詳しくなるには学が必要ですが、好きかどうかは子どもでも分かる。そういった純粋な精神性こそ、芸術を評価するために大切なのです。お時間がありましたら、いくつかご説明しましょう」


 紳士は親切に、展示されていた絵画が描かれた背景について教えてくれた。

 なかには、革命や死を予兆するような劇的な場面を描いたものもあって、深紅色の血を見た私は目眩を覚えた。


「おっと」


 紳士の広い胸に抱き止められなければ、床に倒れていただろう。


「すみません、私には刺激が強くて……」

「こちらこそ、気を遣わずに失礼しました。これだから独り身はいけない。仕事が順調でも自信を持てずにいるのは、伴侶に恵まれないからですよ。あなたのような美しい方を妻に持つ殿方が羨ましい」

「いえ、私は……」


 夫を亡くしていると伝えようか迷っていると、外商部の担当が駆けつけた。

 彼は、紳士に支えられた私を見るなり、謝るより先に破顔する。


「お似合いです。その方こそ、垣之内様に逢いたいと所望なさっていた、葉室(はむろ)様でございます」

「え……?」


 私が顔を上げると、端正な顔立ちが間近にあった。甘い蜜のように潤んだ瞳と視線があって、ドキリと心臓がなる。

 蕾と咲ではない男性の顔を、こんなに近くで見た経験は久しくなかったから。


 担当から改めて相手を紹介され、純喫茶に入って会話をするうちに、私の気持ちは決まった。葉室が多忙だったので、それからは手紙を数回やりとりした。

 蕾と咲に伝えたのは、食事会場を押えたという連絡が来たその晩のこと。


「再婚しようと思うの」


 大切な双子の未来のために、私が出来ることはこのくらいしかない。

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