208話_サキュバスとレティとユースケと3

「旦那様~。はい、あーん」


「…本当にやらないとダメか?」


「ダメです。はい、口をお開けになって」


「…あーん」


「あーん、嬉しいですわ~」


腰をくねらせながら喜びを表現するレティ。


洋食料理屋でレティにオムライスを食べさせてもらうという恋人のようなシチュエーションを恥ずかしながらも実践するシオリだった。


周りからの恨みのこもった視線を受けつつ、レティの要求に応えてやる。


「(これで良かったんだよな…?)」


目の前には、とても嬉しそうなレティの笑顔。


そこから少し離れたテーブルでは、ソフィアとミュウ、シェイドがメニューで体を隠して様子を伺っていた。


「姉様…それ…」


「えっ?あ……ぁっ!」


真ん中からへし折れたナイフとフォークを持っていることに気付くソフィア。


「だいぶイライラしているようだな」


「そ、そんなことないからっ。ぜ、全然!」


「姉様、説得力ないわよそれは……」


無理に元気そうに振る舞うソフィアだが、シオリとレティのやり取りに焦りを感じているのは間違いなかった。


「そんなに嫌なら止めたらいいのに」


「ダメ…今日はレティの日だから…ダメ…」


意固地になるソフィアを呆れた目で見つめるミュウ。


「(今の姉様には何を言ってもダメね。シオリも何よ、姉様がいるというのに青女如きにデレデレしちゃって…)」


ミュウはミュウで考えるほどにイライラが募ってくるのであった。どうしてライバルが楽しんでいる様を眺めていなければいけないのか。なんの罰ゲームだ。


いっそすべて壊してやりたい衝動に駆られるが、それでは姉様の顔を汚すことになってしまう。


ここはひとつ我慢の時。


「それにしても、旦那様から誘っていただけるとは夢にも思いませんでしたわ」


レティは水を一口飲むと、シオリに向かって微笑んだ。


「そんなもんかな」


「そんなもん、ではありませんわ!」


レティはグイーッと顔を近付けてくる。


「一体どれだけ私の誘いを断ってきたことか!!どうせ覚えてなどいないのでしょう?」


「う…」


たしかに、覚えていない。毎回相手にしていると、こっちの心労が半端なかったからだ。


「その顔ですと、やはり記憶にないと――。まぁいいですわ、今日は素敵な日なのですから」


レティは椅子に座り直し、フゥと息を吐く。


「少し、寄りたいところがあるのですがよろしいですか?」


「え、あ、うん」


レティは席から立ち上がると、シオリも合わせて席を立つ。


会計を済ませて店を後にする2人。後ろの席で見ていた3人も後を追いかける。


レティとシオリが向かった先はどこなのか。


2人は、公園に入るとベンチに腰掛けた。


「(ホテルではなかったようだな)」


「(だったら全力で止めてるわよ)」


シェイドとミュウが草陰に隠れながら、ヒソヒソ話をしている。


「(この距離だと何を言っているのか聞き取りづらいわね)」


「(もう少し近寄るとするか)」


そんなやりとりがあるとも知らず、シオリとレティはベンチに座り湖を眺めている。


周りは誰もおらず、少し沈黙が流れた後、レティが口を開いた。


「旦那様は、私と初めて出会ったことを覚えていまして?」


「それは……」


シオリはレティと初めて出会ったことを想い出す。流石に、あんな登場をされたら忘れる方が難しいだろう。


『お初にお目にかかります。あなたの花嫁でございます』


彼女はそう言ったのだ。その時の光景は今も覚えている。


「初対面であんなこと言うんだからさ」


「フフ、そうですよね」


レティは口元をおさえて笑う。


「まさか、こんなことになるなんて思いもしませんでしたわ」


「そりゃこっちだってそうだよ!」


思わずつっこんでしまう。


「フフ…」


「…ハハハ」


互いに笑みがこぼれる。ひとしきり笑った後、レティはシオリの顔を見つめた。


「少し、昔の話をしてもよいですか?」


その瞳は、混じりけのない真剣なものだった。シオリは黙って頷く。


レティはそう言うと、自分の昔について語り出した。



◆◆◆◆◆



「生まれた時、私は既に1人ぼっちでした。悪魔にとっては珍しいことではありませんが、父も母も知りません。私は運良く今の学校に拾われ、同じ境遇だった子達と一緒に暮らすようになりました。学校と言っても、地上にあるものとは違い、生活と勉強出来る環境が一緒になったようなところです。生活はとても貧しかったですが、それでも私は恵まれていた方だと思います。仲の良い兄や姉のような存在、下の子達も皆可愛く、楽しい日々を過ごすことが出来たのですから」


レティは淡々と自分の身の上話を語り出す。シオリはそれを黙って聞いていた。


風に揺れる木々のこすれる音だけが聞こえている。


「様子が変わり始めたのが、私が物心ついてきてからでした。兄や姉が働くようになり、学校を精神的にも金銭的にも支えていました。でも、その当時の私はそのことを知りませんでした。途方もない借金があり、学校を維持するために兄や姉が一生懸命、それこそ血の滲むような思いで働いていたことを───。」


レティの顔には悔しさが滲み出る。


「結局、学校は私が働けるようになった頃には借金が膨大に膨れ上がり、私達だけではどうしようもなくなってしまいました。その時、ある男が現れたのです」


「魔界の、長……?」


シオリの言葉に、レティは黙って首を横に振る。


「長だったらまだマシだったかもしれません。その男は、いわゆる物買いでした。私達悪魔を物扱いする男。奴隷と似たようなものです」


レティの顔が険しくなる。


「でも、奴隷と大きく違っていたのは、ちゃんと見返りがあったことです。私と数人の姉達は、その容姿から、彼の快楽のために奉仕を強要されました。それも、昼夜問わず。何度も何度も強要されました。幼い私が故郷を守るには、選択肢はありませんでした」


レティの過去の重みに、シオリはかける言葉が見つからなかった。


「………」


「私は、命令されたことを必死にやるしかなかった。私の意志に関係なく。最初はひどく抵抗していましたが、するだけ無駄だと理解しました。その後は、学校を救うこと、子供達を守ることだけを考えました」


「状況が少し変わったのが、それから数年後です。物買いに気に入られた私は、彼らの仲間の中でも評価されるようになりました。その中に、魔界の長がいたのです。彼は私を大層気に入り、彼らよりもっと多くのお金で私を呼ぶようになりました」


後ろで聞いている3人も、黙ってレティの語りに耳を傾ける。


「魔界の長は、他の物買いとは違っていました。私に奉仕を求めるのではなく、私が苦しむことを面白がるような人でした」


レティはシオリの方を見つめる。シオリもその真剣さに、いつもと違う雰囲気を感じていた。


「ある日、長は言ったのです。面白い人物がいると。それが、旦那様、いえ、シオリさん、あなただったんです」


「……僕?」


「はい。長は言いました『彼を籠絡してきてほしい』と。私にとっては、それはただの仕事のひとつにしか過ぎなかった」


レティは大きく息を吐く。


「旦那様、あなたは私にとって、ただの仕事のひとつにしか過ぎなかったんです」


そう語った時のレティの表情は、困惑していたように思う。


「あの頃の私は、長の命令でターゲットのところに派遣されては、籠絡してくるというのが仕事になっていました。大体の手順は一緒です。長がターゲットにした人物は、どれも難攻不落で虜にすることが難しいと言われていました。けど、私には関係なかった。どなたも、最後には私を欲するようになりました」


「だから、―――驕りがあったのかもしれません。旦那様が全然相手をしてくれなかった時は、悲しみよりも怒りが湧いてきました」


「ご、ごめん……」


ムッとした表情になるレティに思わず謝ってしまう。


「だから」


レティはグッとシオリの腕を掴み体を近付ける。彼女の体がシオリに密着し、完全に体を預ける形になる。


「この人は絶対落としてみせると、そう決めたんです。私の全てを賭けて」


レティは体を起こし、シオリから少し離れる。


「あんなにムキになったのは初めてでした。仕事をしていて楽しいと思うなんて」


「レティがそんな風に思ってたなんて知らなかったよ」


「後半は、仕事とは思っていませんでしたよ。旦那様が優柔不断ですけど誠実な人であることもわかりました」


優柔不断、という言葉の矢が胸に突き刺さる。


「だから、正直言いますと、居心地は良かったんです。うるさいゴシック女とか、よくわからない守護天使はいましたけど」


草むらから飛び出してレティに飛びかかろうとするミュウを押さえ込むシェイドとソフィア。


「旦那様との生活はとても楽しかった。だから、後でわかったんです。長が本当にやりたかったことを」


レティは悲しい思い出を思い出すかのように、俯く。


「長は、私が絶望の底にたたき落とされた顔を見たかった。あの武闘会の時にわかりました。あの命令が下されるまで、私はあなたのために闘う気でいたんですから……」


レティの瞳から静かに涙がこぼれ落ちる。


「利用されないように、今まで抑えてきていたのに、あなたの前ではダメだった。長はそれを狙っていたんだと知った時、私は今までになかった悲しみを覚えました。そして、もう二度とあなたには会えないと思った」


レティは、シオリの胸に飛び込む。シオリも、それを受け止めることしか出来ず、黙りこむ。


「だから、旦那様が私の下を訪れたときは、夢か何かと思った。それも、誰もやりたがらなかった、私を自由にするだけして、あなたは帰ってしまったんだから」


レティはギュッとシオリを抱き締める。


「重罪です。なによりも重い罪です」


握り締める力が段々強くなる。


「痛い、レティ痛い……」 


「私の方がもっと痛いです。旦那様、絶対離しませんから」


レティは顔を起こすとシオリにキスをしようと唇を近づける。


その時―――。


「!!?」


「「「!!?」」」


驚くシオリと、草むらに隠れていた3人。


「ちょっと!何してんのよ!!」


我慢しきれず、ミュウが飛び出す。


「…ゴシック女?なんでここに?ハッ、さては、私と旦那様の貴重な時間を邪魔するために!」


「何言ってんのよ!今回はあんたに花を持たせてあげてんの!!」


「は?何を負け惜しみを。今回はこうやって旦那様が―――」


レティはシオリの方を見つめる。彼がちょっと困った顔をしたことを、彼女は見逃さなかった。


「旦那様、今日のデートは旦那様のご意志で誘われたんですよね?」


レティの表情が真剣なものに変わる。徐々に問い詰めるような雰囲気。


「―――旦那様?」


「え、あ、あぁ、えぇと…」


しどろもどろになるシオリ、彼はこの後、レティをなだめるのに1日を費やすとは思いもしなかった。

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