恋、再び編

188話_つかの間の休日

暑さもすっかりなくなり、秋の涼しい風が町全体に広がるようになった頃、傷が回復した僕とソフィアは2人で買い物へと出掛けていた。


久しぶりの2人だけの時間。それはとても遠い昔のことのように思えた。


ソフィアの手を握り、歩道を歩く。以前は行き交う人々の視線が気になっていたが、今ではそれも慣れてしまった。


人がどう思うかよりも、今この瞬間をソフィアと過ごせているということが大事だとわかったのだ。


とは言え、2人とも恥ずかしさはそのままで顔を赤らめたまま通りを歩く。


「シオリ、すっかり元気になって良かったです」


「ソフィアもね」


お互いの顔を見つめて、沈黙が訪れる。あの頃の僕はどんな風に会話をしていただろうか。


「あの闇の物体は、まだあの場所に?」


「あぁ、そうみたいだ。今は天使隊が誰も立ち入ることの出来ないように封鎖活動を行っているらしい」


チャミュ達の活動によって、あの区画一体は完全に封鎖されていた。未だ活動を続ける闇の物体は、触れるだけでその全てを飲み込んでしまうだろう。あれを消すには相当な労力が必要なのではないだろうか。


「何事もなければいいのですが…」


「チャミュ達がなんとかしてくれるよ。すぐにとはいかないだろうけど」


「…そうですね」


ソフィアの顔に、少しだけ笑顔が戻る。


「せっかくのお休みですし、今はそのことは忘れましょう」


「そうだね。ゆっくりしようか」


ソフィアは僕の腕にピタッと自分の体をくっつけてくる。


「シオリとこうやって歩くの、なんだか凄く久しぶりな気がします」


ソフィアってこんなに可愛かったっけ。彼女の艶やかな表情に思わず目を奪われる。全てを吸い尽くしそうな柔らかな唇は、熟れた果実のように赤々と光に照らされていた。


「そ、そうだね、確かに」


ぎこちなく返事を返す。


その後ろでは、ミュウとレティ、シェイドが2人の様子を見守っていた。2人の時間をつくるということに同意したレティとミュウだが、彼らの同行は気になるので結局付いて来てしまった。


シェイドはストッパー役としてレティ、ミュウの2人を監視している。


「姉様嬉しそう。久しぶりにあんな笑顔を見たわ」


「旦那様と2人きりの時間…羨ましいですわ」


「2人とも楽しそうでなによりだ」


物陰から様子を伺う3人。怪しさ満点で、町人からも怪訝〈けげん〉な目で見られているが、構わず2人の監視を続ける。


ミュウは姉様の積極的な行動の変化に驚いていた。


サキュバスとしての本能ということであれば、別段おかしくはない行為だ。


けれど、それはソフィアが一番嫌悪し外に追いやりたかった行為そのものだ。それを、今は彼女が受け入れている。姉をそれだけ変化させたシオリという人物のことを、自分ももっと知りたいと思うようになっていた。


「お店の中に入るようですわね。行きますわよ」



◆◆◆◆◆



シオリとソフィアは、夕食の準備をするために地下の食品売場を訪れていた。


シオリの腕は、こんなにたくましかっただろうか。ドキドキしながら彼の手を繋ぐ。


こちらの心臓の音が相手に伝わるんじゃないかと心配になるくらいだ。


久しぶりのシオリとのお出かけ。それは、ソフィアにとって、とても新しいことのように感じられた。


修行を終えた後のシオリをまじまじと見つめる。がっしりと鍛えられた腕と胸板。そこまでパンプアップしているわけではないが、しっかり引き締まって無駄ない筋肉がついているように見える。


「(ドキドキ…)」


自分がサキュバスであることを出来るだけ意識しないよう過ごしてきたソフィアだが、今回ばかりはそのせいにしたくなるくらい、シオリにドキドキしていた。自分はそんなにみだらだっただろうか。


そんなことはない、と強く頭の中で否定する。


「ソフィア?どうかした?」


「ひぁっ、いえ、なんでもないです」


驚いて声が裏返ってしまう。不思議そうな顔をしているシオリだが、特になんでもないと大きく手を振る。


「そう。ならいいけど、今日はなにをつくろうか?」


「そ、そうですね」


慌てて頭の中を夕食のモードに切り替える。


深呼吸をして、気持ちを落ち着ければ大丈夫。


久しぶりに元の生活に戻ったわけだし、シオリには美味しいものを食べてもらいたい。その時、ある食材が思い浮かんだ。


「シオリ、今日ハンバーグなんてどうですか?」


「ハンバーグか、いいね!」


シオリの家に来た当初、教えてもらった料理のひとつ。あの時はまだぎこちなかったけど、今はつくり方も覚えたし、なによりシオリとの仲も深まっている。


今日食べるにしてはよい案に思えた。


「そしたら、今日はハンバーグにしましょうか。食材を買いに行きましょう」


ハンバーグに必要な材料を買い物かごに入れていく。忘れていた、こんなゆったりとした日々があったことを。


シオリと楽しく話をしながら買い物を進めていく。


自分が、知らずのうちにシオリの腕に自分の腕を絡めているのに気付いた時は、思わず赤面してしまったほどだ。


「…姉様、結構大胆になっていないかしら」


それをいち早く察知していたのは、遠くから様子をうかがっていたミュウだった。レティ、シェイドとサングラスをかけて客に扮しているが、他の客から怪しい目で見られ続けている。


「羨ましいですわ……」


ぐぬぬ、とハンカチを噛むレティ。悔しさが伝わってくる。


「2人の時間だ、今は我慢をするんだな」


「姉様が幸せなら、仕方ないわね…」


ソフィアの嬉しそうな笑顔は、ミュウにとっても喜ばしいことだった。彼女が純粋に笑える環境になかったことは、彼女がよく知っている。


そんなソフィアを笑顔に出来る男だからこそ、ミュウが好きになった理由のひとつでもある。


「うるさいわね、青女。黙ってなさいよ」


ぐすぐすと涙を流すレティをうっとおしそうに見つめるミュウ。


「うるさいですわね、ゴシック女は」


キーッと睨みつけるレティを無視して、また2人の様子を窺う。


「おっと、大丈夫?」


2人の前に、突如2人組の男が現れぶつかってきたようだ。


よろけるソフィアをシオリが抱き留める。ソフィアはシオリのがっしりとした腕に支えられ、少しとろけた表情をしている。


「よお、危ないじゃねぇか」


2人組のうちの1人が下卑た笑みを浮かべてシオリの方を見る。


「脚の怪我はもういいのかよ?へへっ」


どこかで聞いたことのある声だ。


「お前、まさか………」


シオリは2人の顔を見る。顔に覚えはないが、動きがあの時の光景を思い出していた。


この店を襲った3人組の強盗、そのうちの2人だということを───。



◆◆◆◆◆



「ソフィア、僕から離れないで」


ギュッと腰を支えられ、ソフィアはドキッとした。シオリの真剣な眼差しに吸い込まれてしまっていた。そんな場合ではないというのに。


「なんだ、随分余裕じゃねぇか。兄貴を病院送りにした恨み、今ここで晴らしてやる!!」


男がポケットの中から何かを取り出そうとした瞬間、シオリのもう片方の腕が軽く動いた気がした。それと同時に、男が意識を失いガクッと崩れ落ちる。


「……!!?てめぇ、何しやがった!!?」


横にいた男は、何が起きたかを把握出来ていないようだ。咄嗟にシオリに飛びかかろうとするのを、再びシオリが腕を動かすとその男も気を失い倒れてしまった。


ソフィアを支えていたシオリの腕の力がフッと緩くなる。


「シオリ?」


「もう大丈夫だ」


シオリの表情が真剣な顔つきから、またいつもの穏やかな表情に戻る。


「シオリ、大丈夫か?」


隠れて様子を見ていたシェイドがシオリの元にやって来た。


「シェイド、来てたのか。大丈夫だよ。こいつら、前にここを襲った強盗の残りだったんだ」


「そういうことだったのか。にしても、よく気が付いたな」


「動きが一緒だったからね。それに、声も」


シオリの記憶力に感嘆しながら、シェイドは2人の男が動けないように縛り上げる。


「後の処理は私がやる。2人は買い物を続けてくれ」


「いいのか?」


「せっかくの2人の時間だ、こんなことで時間をつぶされるのも勿体ないだろう。終わったら家に帰る」


「シェイド、ありがとう」


「お安い御用だ」

シェイドは2人をひょいと担ぎ上げると、颯爽といなくなってしまった。



◆◆◆◆◆



ソフィアは、まだ自分の心臓が激しく鼓動しているのを感じていた。


犯人に再び出会ったことで過去の記憶が甦りそうになった時、シオリに抱き留められたことでそれが綺麗に霧散してしまった自分に驚きを隠せなかった。


何かが始まることもなく、あっという間に2人の男をのしてしまったシオリの変貌ぶりを目の当たりにし、ソフィアはドキドキとはこういうものなのかと、自分の初めての体験をただただ感じていることしかできなかった。


「ソフィア、大丈夫?」


心配そうにのぞき込むシオリと目が合う。


「だ、大丈夫です。シオリがちゃんと守ってくれましたから。その…」


「その?」


またシオリと目が合う。ボフッと音とともに湯気が出るくらい、赤面したと思う。


「いっ、いえっ、なんでもないです!!」


赤面しながらも、なんとか言葉を返す。なんで自分はこんなに慌てているんだろう。シオリを想う気持ちは変わらないのに。


変わらない?


本当にそうなのだろうか。


変わっている彼を見て、自分の気持ちは変わっていないのだろうか。


ふと、そんな疑問が彼女の心の中をよぎったのだった。

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