29話_サキュバスと第3層上層・決心

僕の前に現れた男性――。


クセ毛のボサボサ頭をかきながらこっちに向かってくる。ヨレヨレの白衣を着た、如何にも研究者といった風体だ。


「チャミュ、久しぶりだね」


「博士、お久しぶりです」


チャミュは軽く頭を下げる。どうやらこの人が博士、そしてエデモアの師匠らしい。


「さっき急に天使達が押し掛けてきたから防壁作動させて追い返したんだけど、これは君達が原因なのかな?」


「はい、実は天帝にソフィアがさらわれてしまって」


「ソフィアが!?そうか……わかったよ、君達はそれでソフィアを助けに来たということだね」


「はい、それで第3層行きのチケットを用意してもらえないかと思い、博士のところに…」


「そういうことか……事情は理解したよ。けど、残念ながらチケットを用意してあげることはできないんだ。あの一件以来、天帝側にはすっかり目を付けられちゃってね」


「そうですか…」


「力になれなくてすまないね」


「創造主よ」


話が終わったタイミングで、シェイドが口を挟んだ。


「その声は……シェイドかい!?また、随分懐かしいのが来たね!!シェイドはエデモアに渡していたと思うけど」


「彼がエデモアから譲り受けました」


「君が……」


僕の顔を驚いた顔で見る博士。


「は、初めまして。天寿シオリと言います」


「私の主人だ。ソフィアを救いに来た」


「そうか、ということは……」


博士はチャミュの方を見る。チャミュもそれに黙ってうなずく。


「そうか、ようやく見つかったんだね……。シオリくん、第3層行きの手配はできないが、出来る限りの手助けはしよう」


「あ、ありがとうございます」


そこに、


ガンガンガンガン!!!


防壁に激しく衝突する音が響き渡る。


「この音は!!?」


「おそらく異変に気付いた別の部隊が来たんだろうね。このままだといずれ防壁も突破されてしまう。こっちに来て」


博士は僕達を部屋の奥へと案内する。奥の扉を開けると、舗装された道の路地裏へと続いていた。


「これって……」


エデモアの骨董屋でも見たことがある。


「エデモアのところでも見たことがあるかな?本来は繋がらない場所と場所をこの扉で無理矢理繋げてるんだ」


博士は扉を通って、路地裏へと降りる。


「急いで。奴等が来る前に連結先を変えちゃうから」


皆扉を通り終えると、博士はなにやら閉じた扉を調節し始める。


「これでよしっ、と」


「何か変えたんですか?」


「ちょっとした場所にね。さ、行こうか」



◆◆◆◆◆



場所は変わって博士の家に―――。


周囲防壁を壊したリーガロウが家へと入ってくる。


完璧な作戦だと思っていたが、エメが取り逃し、あまつさえ思い人にも会えず怒っていた。


「エメ、誰も見あたらないようだが」


「ハッ!!たしかにこの家に入っていったのですが…」


「くまなく探せ!!」


「ハッ!!」


兵士達数人で入り、中の物を蹴散らしながら奥へと進む。


「リーガロウ様!!」


「どうした!?」


「奥に扉がありました!!それ以外は何も見当たりません」


「よし、突入するぞ!!」


リーガロウの命令で、扉に勢いよく体当たりして突入するエメ達。

しかし、扉の先は崖になっていた。


「……。」


「あああああぁぁ!リ、リーガロウ様ぁぁぁ!!!」


「崖だと…!!?クソッ、してやられた!!おい、這い上がってこい、2層市街地に戻る!!」


「そ、そんなぁ…」


崖から落ちそうになっているエメ達兵士を残して、リーガロウの部隊は部屋を出ていった。



◆◆◆◆◆



「と、まぁ今頃皆崖の下なんじゃないかな。高さはそこまでじゃない場所にしておいたから落ちても大丈夫だと思うよ」


「博士もなかなかイタズラが好きですね」


「人の家を勝手に荒らした代償くらいは払ってもらわないとね」


そう言ってアハハと笑う博士。結構大胆なことをする人なんだな。けど、おかげで追手を

だいぶ撒くことができた。


「ここから先、どうしましょうか。チケットも用意できないとなると…」


「ツテはあるよ」


「本当ですか!!?」


「うん、ただ」


「ただ?」


「そこのお嬢さんが嫌がるだろうけどね」


博士はきょとんとしているミュウの方を見た。




◆◆◆◆◆




天界大宮殿、ソフィアの囚われ部屋―――。


連日による玩具おもちゃのような扱いに、ソフィアの精神も肉体もボロボロになっていた。


今は白い布一枚でベッドに横たわっている。言葉を喋れない少女だけがずっとソフィアを優しく抱き寄せていた。


最近では、薬のせいで記憶ももっとぼんやりとしてきていた。目の虹彩もなくなるほど、精神にダメージを負っていた。


「シ…オリ…」


かろうじて、覚えている言葉。私が大切にしていたであろう言葉。


この言葉だけは、忘れてはいけない気がする……忘れた時には、私はもう私を維持できないだろう……。


うずくまるソフィアをモニター越しに眺める天帝。後ろにはネリアーチェがピシッと垂直に立っている。


「だいぶ弱ったようだな、次でもう落ちるだろう。思いつくことはやったしな。さて、どう終わらせようか……」


天帝は手に持ったグラスをくるくると回しながら思案する。


「天帝様」


「どうした?」


「リーガロウから、例の男がまだ生きていたとの情報が。どうやらソフィアを救うためにこちらを目指しているとのことです」


「なんだと!!?そうか、あのゴミが生きていたのか……まぁよい、それならそれで好都合だ!!その男をここに連れて来い!!ソフィアを落とす仕上げに使ってくれようぞ」


シオリが生きていたことに憤慨した天帝だったが、利用価値に気付きすぐさま上機嫌になる。


「ラム、ネツキ!!お前等も奴を捕まえてこい!!」


「ハッ」


「かしこまりまして」


天帝の命に応え、それぞれ部屋を出ていく。


「ゴミの分際でこの地に足を踏み入れようとは……ソフィアにとって最後にふさわしい舞台を用意してやろうではないか!!」


天帝は玉座から立ち上がると、持っていたグラスを勢いよく地面へと叩きつけた。





◆◆◆◆◆




「私は行かないわよ」


そう言って一向に譲らないミュウ。と言うのも、博士が提案した内容がソフィアのお姉さん、つまりミュウの姉でもあるエレダに第3層行きのチケットを用意してもらう、ということだったからだ。


「うーむ、困ったね」


あごに手を当てどうしようかと考えている博士。


「ミュウが嫌なら僕1人でも」


「いやいや、それは無理だよ。エレダと近い存在でなければ直接話すことはできないだろう。門前払いを食らうだけだね」


「でも……」


そう言って、ミュウの方を見る。普段では見たことのない眉をひねらせた困り顔をしている。余程嫌なんだろうな。


「他に方法はないのか?」


「深夜の天界列車に潜入するという手が」


「それももう使えないんだ。警備が厳しくなってしまってね」


無理だ、と首を横に振る博士。


「そんな……、じゃあ、どうすればいいんだ」


万策尽きた。ここに来て3層に行く手段が見つからず途方に暮れる5人。


「……わかったわ」


沈黙を破ってミュウが口を開いた。


「行きましょう、大姉さまのところに」


表情は強張ったままだ。


「ミュウ、いいのか?」


「いいも何も、このままだと姉さまを救うことはできないわ。やるしかないわよ……」


「ありがとう、ミュウ」


「…………」


ミュウは黙って、僕の手を握ってくる。ミュウの身体が小刻みに震えてるのを見て、緊張が伝わってきた。


「行くならさっさと行くって言えばいいのに」


「あんたはあの人の怖さを知らないからそんなことが言えるのよ」


スカーレットが言った言葉に噛みつくミュウ。


「ミュウ、ありがとう」


「姉さまのためよ。仕方がないわ」


ソフィアの一番上のお姉さんってどんな人なんだろう……周りの強張った空気に、僕もつられて怖い妄想が働いてくるのであった。

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