第148話 光輝とジャネット

 光輝の通う、都内の進学校。

 とはいえ、そこまで偏差値が高いというわけではなく、受験生の大半はそこそこの公立大学や中堅私立大学へ進学する。

 当然、カリキュラムは楽ではないが、難関大学の進学率が高い学校ほど勉強漬けとまでではなく、一般校より真面目な生徒が多いくらいの普通の高校だ。

 進学校ということもあり、校則はゆるめなのだが、その分それなりの成績は要求される。


 チャイムの音が鳴り響き、静まりかえっていた教室、いや、校舎全体が一斉に息を吹き返したかのようにざわめきに包まれた。

 そんな中で、窓際の席に座っていた光輝は、大きな溜め息を吐きつつ机に突っ伏す。

「門倉、お疲れぇ。その様子じゃ、今回はヤバめか?」

 後ろの席にいた男子が揶揄うように、そう声を掛ける。

「んにゃ、そうでもねぇよ。っていうか、いつもよりイケるかも。夏休みにダチのダチにみっちりしごかれたからな」

 身体を起こして親指を立てる光輝の表情は、言葉の通り明るいものだ。


 2年生の2学期。

 本格的に進路の話が教師からでているこの時期の中間試験はとても重要だ。

 茶髪に赤のメッシュ、制服も着崩す軽い見た目の光輝だが、それなりに真面目に勉強はしているし、もちろん進学希望だ。

 バイトに勉強と忙しく、成績を維持するのに結構苦労していたのだが、今年は陽斗の友人の別荘で1週間過ごし、その間に穂乃香や壮史朗に勉強を教わることができた。

 さらには、なんだかんだ言って仲良くなれた彼らとメッセージアプリのIDを交換して、わからないところを質問したりしている。陽斗に教わるのは少しばかり気恥ずかしくはあるのだが。

 

「んだよ、疲れただけか。だったら今回も勝負するか?」

 声を掛けてきた生徒は、予想と違う答えに唇を尖らせながら挑発してみせる。

 といっても、成績は光輝と似たり寄ったりで、学年のちょうど真ん中あたり。つまりは良い勝負である。

「良いぜ。教科は?」

「ん~、数学は自信ありそうだし、合計点で」

 男子の言葉に、光輝はニヤリと笑う。

「食堂のスペシャルランチな」

「一番高い奴かよ! しょうがねぇな、わかったよ」

 この学校のスペシャルランチは肉料理と麺類、大盛りご飯というボリュームたっぷりの人気メニューだ。その分他の定食より値段が張る。


 そんな、男子高校生らしい会話を交わしつつ光輝は帰り支度を始める。

 この後はショートホームルームをして解散だ。

 週末を挟んで月曜日までが試験休み。つまり教師たちがテストの採点に励む日となっていて、生徒にとっては試練をくぐり抜けたつかの間のご褒美である。

 光輝も日曜日はバイトがあるが、明日と月曜日はひさしぶりのバイクツーリングを楽しむつもりだ。

「なぁ、帰りに何か食っていかねぇ?」

 ホームルームを終えた担任が教室を出て行くのを横目で見送り、光輝は先ほどの男子に声を掛ける。


「悪い! この後、妹を迎えに行かなきゃいけないんだよ。なんか、保育園の都合で午前しか預かれないとかって話で」

 残念そうに肩を落とす同級生に光輝は苦笑いを返す。

「そりゃ仕方ないって。頑張れよお兄ちゃん!」

「うるせぇよ! また今度ゲーセンでも行こうぜ」

 手を振りながら教室を出て行く同級生に肩をすくめ、光輝もバッグを手に立ち上がり、すれ違う同級生たちと挨拶を交わしながら教室を後にする。

 皆の態度は光輝に好意的なものであり、しっかりとクラスに溶け込んでいるのがわかる。


「ん~、どうすっかなぁ。とりあえずメシは牛丼、いやラーメンが良いか」

 光輝は学校を出ると、空きっ腹を押さえながら帰りに寄る店を考える。

 この学校はバイクでの通学が禁止されているのであまり遠くには行けないし、家に帰り着くまで我慢もできそうにない。

 最寄りの駅前には学生向けの飲食店がいくつもあるので、そこで探そうと足を速めた直後、車のクラクションが響いた。


「Hi、コーキ!」

 車道側から聞こえてきた声に、光輝はすぐにそれが誰のものなのかを察し、眉を寄せる。「また来たのかよ。ってか、ヒマのか?」

 歩道のすぐ脇に停まったアメリカ製の高級スポーツカーの運転席から身を乗り出して顔を出したのは燃えるような赤い髪に挑戦的な目つきをした美人だ。

 男子高校生なら誰もが目を引かれる顔立ちや、開き気味の胸元から見える谷間に心を動かされた様子もなく、溜め息まで吐いてみせる光輝に、その女性はムッとした顔をしてみせる。


「何その態度! コーキは私に会うのが嫌なの?」

「嫌、ってわけじゃないけど、正直、面倒くさいなとは思ってるぜ」

 光輝のあんまりな台詞に女性、ジャネットがプクッと頬を膨らませる。

「っつーか、ここんとこ俺のバイトがない日はしょっちゅう来てんじゃん。マジでヒマなのかよ」

 先ほどもそうだったが、光輝の言葉には一切の遠慮がない。

 相手は陽斗の家よりさらに大きな資産を持つ大富豪の令嬢なのは知っているが、光輝にそもそもそういった資産家に対する知識がないのに加えて、これまで接してきてジャネットがそれを感じさせない気さくさがあったからだ。


「ヒマじゃないわよ。これでも人と会ったり、グランパが出資してる会社を視察したり、いろいろと仕事してるんだから。そんなことより、昼食まだでしょ? 付き合ってくれない?」

「……割り勘で良いなら」

 どうせ断ったところで、彼女がそう簡単に諦めないのをこれまでの数回の邂逅で理解した光輝は、仕方ないと態度で示しつつ頷いた。


 助手席に乗り込むと、ジャネットは改めてシートベルトを締め直し、意外な丁寧さで車を発進させる。

 ちなみにアメリカ製の輸入車だが、この国に合わせてハンドルは右側だ。

「そういや、この間と車、違わねぇ? 確かごつい軍用車みたいのだったろ?」

「あの車、大きすぎてぶつけちゃったのよね。直すのも面倒くさいから買い換えたのよ」

「俺、用事を思い出したから降りて良いか?」

 ジャネットの言葉に顔を引き攣らせる光輝。

 当然降りたいという要望が聞き入れられることはない。


「大丈夫よ! この車も頑丈だし」

「そういう問題じゃねぇ! 左車線に慣れてないなら運転すんなよ! ってか、前見ろ、前!」

 賑やかなことである。


 そうこうしているうちにジャネットが連れてきたのは、まさかの二郎系ラーメンの店だった。

 近くのコインパーキングに車を停め(何度も切り返しを失敗して、見かねた光輝が降りて誘導した)、そのまま店に入る。

 入り口にある券売機で食券を買うと、タイミングが良かったのかすぐにカウンター席に案内された。

 光輝は麺固め&大、ジャネットは麺の固さ普通で大を注文する。

「アンタ、日本来たばっかなのに完全に馴染んでんなぁ」

 呆れたように光輝が呟くが、ジャネットはニコニコ顔で受け流している。

 まぁ、来日して2ヶ月程度の外国人が、流暢に「ニンニクヤサイマシマシカラメアブラマシ」などと口にすれば普通は驚く。店員もギョッとしてたし。

 光輝も同じ内容でトッピングを注文し、改めてジャネットに顔を向ける。


「今日はいつものボディーガードはどうしたんだ?」

「いい加減この国の治安の良さに慣れたからアルバートは別行動よ。暗くなる前にホテルに戻るようには言われてるけどね」

 四条院家の別荘にも同行していた厳つい男が居ないことを訊ねると、ジャネットは何でもないことのように答えた。

 聞けば、彼は元米軍ネイビーシールズに所属していたほどの人物らしい。外見だけでもただ者ではない感を出しているので、威圧感がありすぎて日本では逆に動きづらいのかもしれない。

 とはいえ、世界でも屈指の大富豪令嬢が単独で庶民系ラーメンの店に来るのはどうかと思うが。


 この系統の店でのマナーに、食べ終わったらすぐに店を出るというのがある。

 なので、たっぷりの野菜と麺でお腹を満たしたふたりは、店を出てすぐ近くにあったカフェに場所を移した。

 光輝としてはさっさと帰りたかったのが本音だが、このしつこい令嬢が諦めるとは思えなかったので大人しく従う。

 カウンターでアイスラテを受け取り奥まった空いている席に座る。

「それで、少しは考えてくれたかしら?」

 腰を落ち着けるなり身を乗り出して聞いてくるジャネットに、光輝は溜め息を吐いて首を振った。


「って言ってもなぁ。俺は外国なんて行きたくねぇし、第一、学校の授業でも英語が一番苦手なんだぜ」

 キッパリと自慢にならないことを堂々と言ってのける。

「言葉なんて暮らし始めればなんとかなるわよ。それに、ステイツの大学で学ぶことは将来のためになるわ。いずれプリンスがスメラギの跡を継いだときも力になれるのよ。彼に恩返しするんでしょう?」

 なおもそう追撃され、光輝は言葉に詰まる。


 ジャネットが言っている内容、それは光輝にアメリカへの留学を勧めるものだ。

 なんでも、留学費用も現地での滞在先や教育環境も全て彼女の家が用意してくれるという破格のもので、大学を卒業した後は希望すれば間違いなく日本に帰国させてくれるという約束付き。

 さらには、どうしても途中帰国したくなっても、それまでにかかった費用は返済しなくて良いという。

 相手が屈指の資産家であることを知らなければ詐欺を疑うくらい、美味すぎる話なのだ。


 ただ、その目的は光輝を通して陽斗との繋がりを持つことなわけで、それをジャネットは隠そうともしていない。

 もちろん光輝は、いくらジャネットたちが恩を売ろうとしてもそれに絆されるつもりはないし、恩人である重斗や、親友の陽斗の不利になるような真似は死んでも断る。

 彼女自身は皇家に不利になるようなことはしないと言っているし、これまで何度か会話したり為人ひととなりを見る限りそれは本音なのだろうとは思っている。

 だが、当の資産家一族を統括しているのは彼女ではなく、その祖父だ。

 冷徹なイメージのある外国の大富豪が、どこまで約束を守るかなど光輝にわかるわけもない。


「やっぱり断るよ。俺は陽斗の祖父ちゃんに恩返しするつもりだけど、本当に留学が必要なら自分の力でなんとかする。未来永劫、味方でいるかわからない相手に借りを作るのは恐いからな。アンタのことは信用しても良いんじゃないかとは思ってるけどよ」

 光輝としては精一杯の言葉だ。

 そもそも光輝の性格からして、必要以上に人の世話になるのを良しとしない。相手が何らかの思惑を持っているのがわかっているのならなおさらだ。

 陽斗と重斗に自分や家族が受けた恩は必ず返す。

 未だに将来の進路を明確に決めていない光輝だが、そのことだけは心に誓っているのだ。


 決意のこもった目を向けられ、ジャネットは小さく溜め息を吐く。

「今はこれ以上押しても無駄そうね。でも私は諦めないわよ」

「いや、諦めろよ!」

「嫌よ。私はコーキが気に入ったし、アナタの望みは私たちと反しない。次はコーキの首を縦に振らせるプレゼントを用意することにするわ。それはそれとして、まだ時間あるでしょ? お買い物に付き合ってちょうだいね」

 ジャネットは挑発的な台詞を口にしたと思えば、すぐに笑みを浮かべて立ち上がり、光輝の腕を引っ張った。

 そんな彼女に、光輝は溜め息を吐きつつ天を仰いだのだった。

 

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