第128話 閑話その1 皇のお屋敷

 皇邸の中にある使用人用事務所のデスクでぼへらーっとモニターに目を向けながら手元にあったき○この山を口に放り込む。

 ちなみに今は休憩時間ではなく仕事中、ということになっている。

 本日はメイドとしてではなく、専属弁護士としての勤務日なのでスーツの上下を着込んでいるんだけど、最近はメイド服のほうが落ち着くような気がして少々危機感をおぼえないでもない。


 それはまぁ置いておいて、別に弁護士の仕事がないってわけじゃないんだけどね。

 いろいろと無理をお願いしたアミューズメントパークへの補償の件や、入場者制限に伴う諸々など、処理しなければならない作業はいくつもあるんだけど、今ひとつ気が乗らない。

 原因はわかりきってるんだけど。


 私だけじゃなく、今日はこのお屋敷全体がどこか落ち着かない空気に包まれている。

 といっても、別に悪い雰囲気だとか緊張感とかじゃない、いや、緊張感ってのは近いかもしれないか。

 なんといっても陽斗さまが初めてのデートをしているのだ。

 それも、相手は国内有数の名家、四条院家の令嬢。

 2世代ほど昔とは違って、それなりの家柄であっても今は政略結婚なんてのはほとんどなく、男女交際も結婚も自由恋愛が普通。

 

 とはいえ、さすがに完全に自由ってわけじゃない。

 資産、権力、影響力、本人たちが望む望まざるに関係なく、そういった家柄に属する人はどうしたって行動に制約がかかる。

 中にはそんなの関係ないとばかりに勝手気ままに振る舞う人間もいるが、そのほとんどは排除されるか身を持ち崩すはめになる。

 特に、異性関係は下手をすれば本人だけでなく家にまで大きな迷惑をかけることになるので慎重にならなければならない。

 女性は浮名が流れるだけで問題視されるし、男性であっても火消しが出来ないほどやらかせば家の屋台骨が揺らぎかねない。

 そしてそれはまだ未熟な学生の身分であっても、多少のお目こぼしはあれど変わらない。


 陽斗さまの父親は割と普通より、いや、あの両親の性格は別としてだけど、そういった家だけど母親の葵様は皇の一人娘であり、陽斗さまはその唯一にして正統な後継者だ。

 そして穂乃香さんは古くからの名家であり今なお国内屈指の大企業を傘下に持つ資産家の次女。

 もちろん四条院家の後継者は兄である晃氏だが、法律に基づけば彼女にも相続権がある。変な相手と交際するわけにいかないわよね。

 そういう意味では互いに交際相手あるいは婚姻の相手として不足はない。

 ましてやどう見ても相思相愛としか思えないし、このまま一気に結婚までって、さすがに早すぎるか。


 そんなことをつらつらと考えていたらますます仕事する気分じゃなくなっちゃったわ。

 どうせこんなんじゃ捗らないし、気分転換に他の場所に行こうと思い立ち、事務所を出る。

 廊下を歩いていると、どうにも屋敷の中に活気がない。

 どうにも陽斗さまが女の子とデートってのにどことなく面白くないって娘がメイドに何人も居るみたいだからそのせいかしら。

 私もまぁ、少し、ほんの少しだけモヤッとしないでもない。

 まるで仲の良い兄弟に彼女が出来たって聞いたみたいな感覚、かしら? 私より年上のメイドなんてモロ息子を盗られた母親みたいに面白くなさそうにしてたし。

 逆に若い娘たちは盛り上がってたけどね。もちろん私もよ! 若いし!


 で、玄関に行くと、ちょうど桜子様が戻ってきたところだった。

 けど、なんでレミエちゃんを抱えているのかしら? 外にいたの?

「お帰りなさい、桜子様」

「ええ、ただいま」

 桜子様が陽斗さまに同行して穂乃香さんを迎えに行き、すぐに戻ってくるのは当初の予定通り。なんだけど、微妙な表情なのはなんででしょ??


「この子が陽斗の荷物に隠れてついて来ちゃったのよ」

 桜子様の呆れた物言いに、レミエちゃんが不満そうにそっぽを向く。

 なるほど。この子って妙に人間くさいのよね。

 まるで陽斗さまの母親みたいな態度の時もあるし、穂乃香ちゃんにヤキモチ焼いたのか。

「まったく、兄さんだけでも面倒くさいのに」

「あ~、あはは」

 苦笑いで誤魔化す。

 いくら大人げないとかしょうもないとか思ってても雇用主様のことを悪く言ったりしませんよ、大人だもの。


 桜子様がため息を吐いたのは、言葉の通り皇家当主である重斗様が、今ひっじょうにめんどくさくなっているから。

 愛娘の忘れ形見であり、これ以上ないほど溺愛している陽斗さまに恋人ができる。いや、まだそこまでの関係じゃないか?

 と、そうなると自分が陽斗さまにとって一番じゃなくなって、一緒に居られる時間が少なくなったり、外泊して会えない日ができたり、恋人を優先して邪険にされてしまったりするんじゃないかと、実に情緒不安定なのよね。

 陽斗さまの居ないところでは不機嫌そうにしてるし、過剰に陽斗さまにまとわりついて勉強の邪魔とかしてるし。

 そんなことしてるとそのうち本当に嫌われるんじゃないかしら。

 ……陽斗さまの性格を考えるとちょっと想像できないか。


「とにかく、私は比佐子ちゃんと一緒に兄さんを宥めてくるわ。今日の様子だと仲が進展するにはもう少しかかるでしょうし、今から心配してたら本当に陽斗が結婚するってなったらどうなるんだか」

 あ~、多分この屋敷で一緒に住めとか言うでしょうね。それか新居の周辺を買収してそこに住むか。

 どっちにしても新婚夫婦としては迷惑でしかないわよね。

 桜子様はレミエちゃんを抱えたまま旦那様の部屋に向かって歩いていった。

 多分、またレミエちゃんが脱走して陽斗さまのところに行かないようにってことかしら。入れ替わりで湊さんが向かうことになってるし。


 大変だなぁと思いつつ、今の旦那様に会ってもろくなことにならなそうなので桜子様にお任せし、メイドたちの休憩室に向かう。

 部屋に入ると、そこでは数人のメイドが肩を寄せ合ってテーブルに置かれたスマートフォンを見つめている。

 いや、電話?

 スピーカーにしているのか、声が聞こえてくる。

『……、で、建物から出てきたところです。あ~、陽斗さまがお嬢さんを支えてますね。どうやらお化け屋敷が苦手だったみたいっぽいです』

 スマホからそんな声が流れてきて、聞き耳を立てていたメイドたちが黄色い声を上げている。


 って、なにしてんのよ!

『ベンチで休むみたいですね。あ、膝ま……』

 手を伸ばして通話を切る。

「ああっ!」

「アンタたちねぇ」

 どうやら現地に派遣されている警備班に陽斗さまのデートを実況中継させていたらしい。呆れてとっさに言葉が出てこない。

「し、渋沢さん」

 マズいところを見られた彼女たちが引きつった顔を見せる。


「いや、その、これはたまたま、というか」

「そ、そうそう、ちょっと用事があったから電話したついでに、少しだけ様子を訊いてみただけで」

 必死に言い訳をするが、そんなの通じるわけがない。

「さすがにプライバシーの侵害ね。このことは比佐子さんに報告しますから」

 ピシャリと宣言すると、彼女たちの顔が一瞬で青ざめる。

 屋敷内の人事を統括する比佐子さんは恐いからね。

 あの人が厳しく監督しているからこれだけの人数が働いているこの屋敷がしっかりと機能している。

 ここは勤務条件はもの凄く良い代わりに、すごく厳しい職場なのよ。

 しっかりと怒られてちょうだい。多分2時間くらいで解放してくれるわ。

 私だって散々お説教受けたんだから、アンタたちも覚悟しなさい。


「だってぇ、気になるじゃないですか! 渋沢さんだってそうでしょ?」

「気持ちは分からないでもないけど、だからといってして良いことじゃないでしょう。気になるのなら機会を見つけて陽斗さま本人に訊くのが筋よ」

 弁護士としてそれは譲れない。

 まぁ、実際、あの初々しい陽斗さまのデートが気にならないわけがないけど、警備班にも絶対に口外しないように言ってあるし、さっきの電話をしていた人物のことも大山さんに厳重注意してもらわないとね。

 厳しい顔を崩さず私が叱ると、若いメイドたちはシュンと肩を落として仕事に戻っていった。


 さて、私もそろそろ事務所に戻らないと。

 ……警備班からの詳細な報告書、楽しみだなぁ。


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