第125話 お出かけはどこに?

 皇家の邸宅。

 陽斗はいつものように食堂で夕食を摂る。

 学園から帰宅してすぐに入浴は済ませたので、梅雨時の蒸し暑さでベタベタした不快感からは解放されている。

 が、今の陽斗はといえば、ときおりポーッとしていたかと思えば顔を耳まで真っ赤にしたり首を振ったりとずいぶん落ち着かない様子で、食べる手も止まりがちだ。


「陽斗さま? どうかしたんですか?」

「熱がある……わけではなさそうですね」

 陽斗の対面に座っていた彩音が訝しげに訊ねると同時に、その隣の席に居た裕美が素早く立ち上がって陽斗の額や首筋に手を当てて熱を測る。

 彼女たちの心配に、陽斗は慌てて手と首をブンブンと振って病気じゃないことをアピールした。

 ちなみに本日の食事はイサキの塩焼きとソラマメとオクラの胡麻和え、水茄子の煮浸し、キュウリの漬物とアオサノリの味噌汁という実に健康に良さそうなメニューである。

 いくら皇家が裕福だと言っても普段の食事はそれほど豪勢なものではない。というか、そんな食事を続けていたら成人病一直線である。

 もっとも、陽斗にとっては十分すぎるほど贅沢な内容であり、この家に来てから1年半でずいぶんと食事量も増えたのだ。


「だ、大丈夫! 体調は悪くないから!」

 言いながらもどこか恥ずかしそうな陽斗の様子に、目敏く彩音が反応する。

「ふぅ~~ん、ってことは、もしかして穂乃香さんと何かありました?」

「ふぇ?!」

 あっさり態度に出すぎである。

 途端に眼前のふたりの目が光り出す。

 猛烈に嫌な予感がした陽斗は助けを求めて周囲を見回すが、あいにく今は重斗と桜子は仕事で帰ってきておらず、メイドたちも似たような表情なので誰も守ってくれそうにない。

「あ、あの、まだ食事中なの、で」

 言葉の途中で猛烈な勢いで料理を掻き込み、言い終わると同時に食べ終わった彩音と裕美の姿に思わず椅子ごと後ずさる。


 それでもせっかく料理担当の人が作ってくれた食事を残して席を立つのは申し訳ないのでモキュモキュとゆっくり食べながら時間を稼ぐ。まぁ当然無駄な行為なわけだが。

 そして全ての料理、といっても高校生男子の量とは思えないほど少ないそれを食べ終えて箸を置いたのと同時に、ズズイと身を乗り出してくる駄メイドふたり。

 一緒だったのが湊や比佐子だったらこんなことはなかっただろうが、重斗たちが居ない時の食事は陽斗の希望で使用人たちがローテーションで同席している。今日はよりによって一番フレンドリーかつ遠慮のないこの両名だったのが良かったのか悪かったのか。


 だが、何か困ったことがあってもすぐに気持ちを切り替えることが出来る陽斗である。

 どうせ隠し事なんてできないのなら、いっそ相談に乗ってもらおうと割り切る。

「あの、ほ、穂乃香さんとどこかに出かけようって話になって」

 陽斗がそう言った途端、食堂に響く黄色い悲鳴。


「え、あの?」

「そ、それで? なにがどうなって? いつ? どこに?」

「もしかしなくても二人きりでですよね?」

 戸惑う陽斗に構わずさらに鼻息荒く顔を寄せてくる彩音と裕美。

 これでも普段は、というか屋敷の外ではキリリとした敏腕弁護士と慈愛と落ち着きを兼ね備えた看護師なのだが、今は見る影もない。

「その、穂乃香さんにはいつもお世話になってるからお礼がしたくて、そう言ったら、ぼ、僕とお出かけしたいって」

 陽斗が穂乃香と約束するに至った経緯を説明すると再び騒がしくなる食堂。

「あ、あの……」

 もはや陽斗をそっちのけで盛り上がっている。


「コホン! それで、どこに行くかは決まっているんですか?」

 ひとしきり騒いだ後、気を取り直した彩音が咳払いしてから聞いてくるが、それには陽斗が困った顔で首を振る。

「まだ出かけるって約束しただけで、その、いつ行くかも決めてなくて」

「まぁそうですよね。陽斗さまも穂乃香さんも、そうそう気軽に出歩ける立場じゃないですから」

「そうね。陽斗さまはどこに行きたいって思っているんですか?」

 陽斗の言葉に裕美が納得顔で応じ、彩音はさらに突っ込んで聞いてくる。が、陽斗としてはちょうど良かった。


「それが、僕、女の人と出かけるなんて初めてだし、遊びに行ったこと自体あまりなかったから」

 あの劣悪な環境で、さらに中学校時代虐められていたのだ。小学校の頃は光輝の両親が同情して何度か動物園や近場の小さな遊園地に連れて行ってくれたがさすがに参考にはならないだろう。

「えっと、穂乃香さんってどんなところだったら喜んでくれるかな?」

 逆に訊ねられた彩音と裕美は顔を見合わせる。

「どんなところって、多分陽斗さまと一緒だったらどこでも喜ぶと思うけど」

「私もそう思うけど、でもさすがに四条院家のご令嬢をショッピングモールとかに連れて行くのはダメじゃない? 警備とかが難しくて」

 ボソボソと言い合うが陽斗には聞こえていない。


「彩音さん?」

「ああ、えっと、やっぱり初デートですから気軽に楽しめる場所が良いんじゃないかな」

 彩音が思わず返してしまった言葉に陽斗の顔が真っ赤に染まる。

「で、デート?! え、いや、あの」

 どうやら穂乃香と二人きりで出かける=いわゆるデート、と改めて認識して恥ずかしくなったらしい。

 その様子に微笑ましいとばかりに笑みを見せる者、初々しさに悶える者、背中をかきむしる者などさまざまである。


「遊び慣れていないならいろいろと行くよりも、一カ所で一日楽しめる場所が良いんじゃない?」

「そうよねぇ。そうなるとアミューズメント施設とか遊園地かしら」

 裕美の言葉に彩音が顎に手を当てながら思いついたまま口にする。と、「遊園地」のところで陽斗の目が一瞬見開かれる。

 当然、それを彼女たちが見逃すはずがない。

「陽斗さま、遊園地好きなんですか?」

「えっと、うん。小学生のとき、コーくんのお母さんに連れて行ってもらったことがあって、すごく楽しかったから。あの、子供っぽいかな?」

 

「そんなことないですよ! というか、いまどきの遊園地とかテーマパークは普通に大人も行きますから」

「そうそう。それに遊園地だったらそれほど遠くない場所にもあるわよね。その近くにはホテルも、モガッ」

「彩音ちゃん、ギルティ!」

「海沿いに遊園地あったわよね」

「あそこは少し小さいんじゃない?」

「江戸村とかも面白いわよ」

 もはや陽斗そっちのけで彩音や裕美、メイドたちがここが良いあそこが良いと言い合っている。


「あ、でも陽斗さま、女の子をエスコートするのって初めてですよね?」

 口を挟めずあうあう言いながらキョロキョロしていた陽斗に、突然彩音が顔を突き出す。

「う、うん」

 困惑しながら頷くと、彩音がニタァ~と禍々しい笑みを浮かべてにじり寄ってくる。

「ひぅ?!」

「穂乃香お嬢さんとの本番のために、お姉さんが指南を……」

「あら? 誰に、なにを、指南するのかしら?」

 不意に背後から伸びてきた手が、彩音の頭をグワシっと掴み、実に楽しそうな声が響いた。

「さ、桜子さま? えっと、いつお帰りに?」

「たった今よ。賑やかそうな声が聞こえてたから覗いたのだけど、それで、質問に答えてくれるかしら?」

「私も聞きたいですね。弁護士の仕事をしているときはともかく、メイド服を着ている今は私の管轄ですし」


「桜子叔母さん! 比佐子さん!」

 現れたのは桜子と比佐子。

 別々の要件で外出していたはずだがたまたま一緒になったのだろう。

「最近はあまり口うるさくしていなかったので、また悪い癖が出たようですね」

「さすがに本気で言ってたわけじゃないでしょうけど、悪ふざけが過ぎる娘にはお仕置きが必要かしら」

「いや、あの、ちょっと、目が笑ってないんですけど」

 彩音の顔が引きつり、思わず後ずさる。

 が、逃げられるわけもなく、恐ろしい笑顔のふたりに連れられて食堂を後にしたのだった。


「えっと、結局、穂乃香さんとどこに行けば良いんだろ?」

 いつの間にか食堂にいた裕美やメイドたちも蜘蛛の子を散らすように居なくなっていて、陽斗の言葉に応える人は居なかった。



「♪~~?~……」

 穂乃香は自室の鏡の前で鼻歌を歌いながら髪を乾かす。

 身体に大きなバスタオルを巻いただけという、少々はしたない格好だがこの家には男性は居ないので問題はない、かもしれない。

 髪が乾くとその仕上がりに満足したように鏡に映った自分に頷くと、今度は全身が見えるように立ち上がる。

「太ってない、ですわよね? ただでさえ陽斗さんよりもわたくしのほうが大きいのに、デブだなんて思われたら立ち直れませんわ」

 そんな独り言を呟きながら角度を変えたり、ポーズを取ったりしてスタイルを確認する。

 ひいき目無しに見ても高校生とは思えないほどのプロポーションなのだが、やはり心配は尽きないらしい。


「でも、ふふ、うふふふ」

 不意に穂乃香の顔がだらしなく崩れる。

「陽斗さんとお出かけ。これってデートですわよね」

「お嬢様、ご機嫌なのは良いですけど、いい加減にパジャマを着ないと風邪引きますよ」

「うきゃぁぁ?! ち、千夏さん! いつの間に入ってきたのですか?!」

 突然横から声をかけられて悲鳴を上げつつそちらを見ると、穂乃香付きのメイドである瓜生うりゅう千夏ちなつが盛大に呆れた表情でこれ見よがしのため息を吐く。


「ちゃんとノックはしましたよ。お嬢様が陽斗さんとのあんなことやこんなことを妄想するのに夢中で気がつかなかっただけです」

「そんなこと想像してません!」

「あら? どんなことを妄想していたんです?」

 顔を赤くして否定する穂乃香を、千夏は悪戯っぽい笑みを浮かべてからかう。

「し、知りませんわ!」


 千夏はまだ20代の前半くらいなのだが、四条院家で長く執事を務めてくれている人の娘であり、穂乃香とは小さな頃からの付き合いだ。

 仕事で忙しい両親の不在を紛らわせてくれたもうひとりの姉のような存在なので、やりとりも雇用主の家族と使用人というより友人や兄弟のような気さくなものだ。

「でも、よほど嬉しいことがあったんですね。もしかして西蓮寺さんと何か進展があったのですか?」

「もう! せっかく良い気分でしたのに千夏さんのせいで台無しですわ」

 頬を膨らませて拗ねてみせる穂乃香。

 だがそれは多分に甘えを含んだもので、ある意味家族にさえ見せない素の姿でもある。


「その、陽斗さんとお出かけする約束をしましたの」

 穂乃香が恥ずかしそうにそっぽを向きながら小声でそう言うと、千夏は一瞬驚いたように目を見開いた。

「まぁ、まぁまぁ、それは良かったですね! ちなみに誘ったのはどちらから?」

「わ、わたくしがおねだりして……」

「いつ、どこに行くかは?」

「それは、まだ」

 矢継ぎ早に繰り出される質問に、押されるように答える穂乃香。

 そして、千夏がニッコリと笑みを浮かべた。


「皇家のご令孫と四条院家令嬢のデートとなればそれなりの準備も必要ですからすぐは無理でしょうし、急いで準備しないといけませんね」

「そ、そうですわね。ああ、でも陽斗さんに相談すると催促しているように思われてしまうかしら」

遙香はるか様と皇桜子様にご相談させていただきましょう。服やアクセサリーも準備しなければ」

「わ、わざわざ新調しなくても、その学生同士のお出かけですし」

「何を言っているんですか! あっ! 勝負下着も必要ですね!」

「ちょ、しょ、勝負下着って」

「こうしては居られません。すぐに遙香様に連絡を」

「は、話を聞いてください!」

 こちらも当人よりも周囲が騒がしいようである。




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