第123話 穂乃香の覚悟
チャリティーバザーが終わり、関係各所へのお礼や集まった募金と収益金の集計、その他さまざまな後処理を片付けると、黎星学園生徒会も慌ただしかった日々に落ち着きが戻ってくる。
といっても、もう少しすれば今度は夏休み最初に行われるオリエンテーリングの準備で忙しくなるのだが、今は一仕事終えたという弛緩した空気が役員たちの間に漂っている。
この時期は夏の大会の予選が始まっている運動部や、秋に行われる文化部系の大会、発表会の準備で部活動は盛んなので、生徒会もそのサポートの仕事はあるものの、それはそれほど負担にならないため、生徒会活動と部活を両立させている生徒は主に部活動に精を出している。
そんな中、陽斗と穂乃香もまた兼任している料理部の活動を再開させていた。
「はぁ~、ちっとも上達しませんわ」
料理部の部室で盛り付けられた料理を見て穂乃香が肩を落とす。
備前焼と思われる長方形の皿に、だし巻き卵と大根おろし、飾りとして半分に切った笹の葉と
器や盛り付けはいっぱしの和料理だが、肝心の卵焼きはところどころが焦げ、一部は半生という状態。一応、
「そんなことないよ。えっと、ちゃんと食べられそうだし」
穂乃香の隣で慰める陽斗の言葉も、評価としてはなかなかに辛辣である。
とはいえ、最初は卵さえまともに割れず、殻だらけにしていたことを思えばずいぶんと上達しているのは確かだ。実際、多少焦げ付いているが卵焼き用のフライパンも駄目になっていないし調味料を入れすぎてもいない。
陽斗がフライパンに残っていた欠片をつまみ食いすると、ニッコリと笑みを見せる。
「うん。味は美味しいよ! それにすごく上達してると思う」
陽斗の褒め言葉に、それでも彼女の顔は落ち込んだままだ。
「一年以上も教わっているのに恥ずかしいですわ。陽斗さんのお料理はどれもとても美味しそうですのに」
そう言って穂乃香は陽斗の作った方の卵焼きを見てため息を吐く。
「う~ん、僕だって最初は失敗ばかりだったよ」
そもそもキャリアが違う上に、失敗すれば生命に関わりかねないほどの虐待を受けながら家事を憶えてきた陽斗と比べる方が間違っている。
それに、さまざまなことをそつなくこなし、優秀だと評価されている穂乃香だが、実は手先があまり器用ではない。というか、不器用である。
真面目な性格で記憶力も高いので、某コメディ作品のヒロインのごとく謎物体を量産することはさすがにないが。
「もういいですわ。どうせわたくしには料理の才能がありませんもの。せめて卒業までには一食分くらいちゃんと作れるように頑張りますわ」
ずいぶん低い目標だが穂乃香は真剣である。
そんな穂乃香の姿に、その場に居た部員たちは笑い声を上げたのだった。
部員それぞれが担当した料理を作り終え、試食と片付けをしてから陽斗と穂乃香は部室を後にする。
最近はこうしてふたりで送迎用駐車場に行くのが当たり前の光景になりつつある。
最初の頃は落ち着かない様子も見られた陽斗だったが、今では他愛のないことを話したり冗談を言い合ったりできるようになっている。
この日の話題はやはり先日のバザーのことだ。
「今回は規模が大きくなっただけに寄付金も多く集まりましたわ。おかげで近隣の学校と合同で開催することを反対していた先生方の鼻をあかせたと鷹司会長が笑っていました」
「うん、すごい沢山の人だったよね。でも、なんでみんな僕の頭を撫でようとするんだろう?」
「ふふふ、今回も陽斗さんの募金箱は大人気でしたわね」
陽斗の困ったような声に、穂乃香は笑いを堪えきれず吹き出しながら言う。
彼女が言ったとおり、今回の募金も他の担当者よりはるかに多い金額が陽斗の募金箱に投じられていた。
その際に、多くの女性、中学生から老人までが一生懸命な陽斗の姿を見て微笑みながら頭を撫でていったのである。
好意的な行動なので嫌がるわけにもいかず、そのたびに羞恥に耐えていた陽斗なのであった。
「と、ところで、バザーでは多くの女性に話しかけられていましたけれど、その、と、特別な感情を持たれた方はいらっしゃったんですか?」
穂乃香が躊躇いつつそんなことを訊く。
が、その質問に陽斗はキョトンとして穂乃香の顔を見返した。
「あの、何人かの女性から連絡先を渡されていたようですし」
さらに言葉を重ねると、ようやく言っている意味が分かったらしい陽斗が顔を真っ赤にしながらブンブンと首を振る。
「ぼ、僕、そんな、相手の人のこと全然知らないし」
陽斗がそう言うと、穂乃香は心なしかホッとしたような表情をした後、少し真剣な声音に変える。
「それでは、トラブルがあったブースの近くや食事の時に話しかけてきた女子生徒はどう思いますか?」
「え? あの、ちょっと恐いかな、って」
様子の変わった穂乃香に戸惑いながら、陽斗はあの鼻にかかった話し方をする女子生徒を思い浮かべた。
「恐い、ですの?」
「う、うん。言葉と本心が違ってて。それに、僕のことを見てるわけじゃなさそうだし」
相変わらずの観察眼に、穂乃香はいっそあの女子生徒、萌衣が気の毒になってきた。
整った容姿とスタイル、媚びを含んだ甘ったるい声は、社会経験に乏しい男子学生が相手では絶大な威力を持つだろう。
しかし、特殊な生い立ちのせいで悪意やわずかな感情の変化に敏感な陽斗は、彼女の容姿ではなく、目線や声音から的確に本質にたどり着いていた。
「そうですか」
その返答に、穂乃香はほんの少し笑みを浮かべる。
彼女が彼にこんな質問をしたのは、嫉妬からではなく、先日の桜子と話をしたことがきっかけだ。
いくら桜子が萌衣の存在を懸念していたとしても、それだけで陽斗の意思を無視して排除することはできない。
望んでもいないのに陽斗の交友関係を狭めるような真似は穂乃香はしたくないし、もし存在が害になりそうな相手であれば陽斗を説得するべきだと考えていた。
だから、もし陽斗が萌衣に対して悪感情を持っていないのであれば、彼女の本質を慎重に見極め、その上で必要なら陽斗の理解を得た上で距離を置いてもらわなければならない。
まぁ、結局は陽斗の特技が発揮されて警戒心を露わにしているので心配する必要はなかったようだが。
「えっと、あの女の人がどうかしたの?」
「いえ、少し気になっただけですわ。この学園にはあまり居ないタイプの方でしたので」
「……そう? なら、良いけど」
内心を窺わせない柔らかな笑みを見せる穂乃香を、陽斗は何か言いたげに見つめてから首を振った。
食事と入浴を終えた萌衣は、自室のベッドの上で身体を伸ばす。
一日の中で最もリラックスする瞬間なのだが、その表情はいささか不機嫌なままだ。
その理由は単純明快。
生徒会長の忠告も虚しく、陽斗のことを諦める気など全くない萌衣がなんとか突破口を開こうと、いろいろな方面から情報収集をしたり、黎星学園の生徒と接点を持とうと動いているもののまったく進展がないからだ。
一度など、黎星学園まで足を運んで下校する生徒に接触しようと目論んだものの、校門近くに居たらあっという間に警察官に職質されて退散する羽目になった。
いまだに陽斗という名前だけでフルネームすら分からないし、手の打ちようがない。
「でもこのまま諦めるのもムカつくんだよねぇ。それに金持ち学校でもトップクラスの家の男なんて逃すの惜しいし」
いつもなら自分の思い通りにならないような男がいたら、腹いせに嫌がらせのひとつもしてやるのだが今回は相手が相手だ。
長期戦を覚悟して腰を据えるしかないかと独りごちる。
気持ちを切り替えた萌衣はベッドから起き上がってノートパソコンの置いてある机に向かおうとした直後、部屋のドアがノックされた。
「萌衣、お客様が来てるから着替えてリビングに来なさい」
「ママ?」
普段とは異なる声色に、萌衣が困惑気味にドアを開けるとそこには表情を強ばらせ、顔色の悪い母親が今にも倒れそうにしていた。
「ちょっと、ママ、大丈……」
「パパも帰ってきてるから急いで! いい? すぐによ!」
萌衣の言葉を遮り、早口でそう言い捨てて踵を返した母に困惑する。
「客って、こんな時間に? それに、いつも深夜にならなきゃ帰ってこないパパまで」
父親は仕事が忙しいとか言いながら、普段はいつも深夜にならなければ帰宅しない。
会社の経営者なのだからいろいろとあるのだろうが、その埋め合わせのつもりだろうか、萌衣には甘く、お金も物も、萌衣が欲しいと言えば何でも与えてくれる。
分からないことだらけだが、とにかく呼ばれている以上は行かないわけにはいかない。彼女は家ではそれなりに良い子にしているのだ。
来客ということで、私服ながら失礼にならない程度に身だしなみを整えて萌衣がリビングのドアを叩く。
すぐに父親の声で返事があり、扉を開いてリビングに入る。
「失礼します。って、あっ!」
萌衣はそこに居た人物の顔を見て、思わず声を上げた。
「バザーの時以来ですわね。四条院穂乃香と申します」
萌衣の驚きなど予定通りと言わんばかりに表情を変えず、穂乃香が立ち上がって優雅に一礼する。
その姿はまさに気品に溢れた令嬢といった風情で、その格上感に萌衣は思わず言葉を飲み込んでしまう。
「このような時間に訪問したこと、改めてお詫び申し上げます」
萌衣の両親、そして萌衣が揃ったところで穂乃香が口火を切る。
「い、いえ、わざわざご足労いただき、こちらこそ申し訳ありません」
そう言葉を返したのは父親だ。
その表情は強ばり、顔色も悪い。
萌衣はなにがどうなっているのか分からず戸惑うばかりだ。
「パパ? いったいどうしたの? この女が……」
「馬鹿者! 四条院のお嬢様に失礼な口をきくんじゃない!」
中規模とはいえ、それなりに名の通った会社社長である父が、自分と同じくらいの女にへりくだっているのが理解できず萌衣が口を開くが、即座に怒鳴られてしまう。
「重ね重ね申し訳ありませんが、私から娘に説明してもよろしいでしょうか」
そう訊かれ、穂乃香は表情を変えぬまま小さく頷く。
「ありがとうございます。……萌衣、この方が所属する黎星学園生徒会主催のチャリティーバザーで、知人を使って騒動を起こしたそうだな」
その言葉に萌衣の顔が引きつる。
「な、なんのこと? 同じ学校の男子生徒が騒いでたのは知ってるけど、私は関係ないわよ!」
「本人がお前に唆されたと言っているんだ! それだけじゃない。お前は人を使って学校の女子生徒を虐めさせたりもしていたらしいな。なにを考えているんだ!」
そう言って父親が萌衣の前に叩きつけたのは数十枚の紙束。
それは萌衣の素行を調査したものらしく、先のバザーの件だけでなく、萌衣の交友関係や男子生徒に思わせぶりなことを言いながら気に入らない女子を虐めるように仕向けたり、萌衣に冷淡な態度を取った男子に暴行するよう複数の人間を使ったことが詳細に書かれていた。
「こ、これは……」
「普段あまり構ってやれないからと甘やかし過ぎた私の責任だが、まさか娘がこんなことをしているとは思ってもみなかったぞ!」
腹立たしそうに萌衣を怒鳴っていた父親を、穂乃香が冷ややかな声音で制止する。
「わたくしが本日ここに来たのは彼女の罪をならすためではありません。現状を正しく理解していただくために報告書をお渡ししましたが、要件はこれからのことですわ」
「は、はい。お見苦しいところをお目にかけました」
「萌衣さんがバザーの会場で執拗に声をかけ、いまでも接点を持とうとしていらっしゃる方。彼は皇家に連なる人物です。ここまで言えばご理解いただけますか?」
その言葉に両親が揃って息を呑む。
理解できないのは萌衣だけのようで、直後に父親から殺気のこもったようなもの凄い目で睨まれて思わず悲鳴を上げそうになる。
「彼に近づこうとする理由は問うまでもないでしょうが、以後、そういった行動は慎んでいただきましょう」
穂乃香が淡々と、しかし断固とした口調でそう言うと、とうとう萌衣が感情を露わにする。
「なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないわけ? 同じ生徒会役員だかなんだかしらないけど、口出しするの止めてくれる?」
「萌衣!」
「だいたいさぁ、アタシはあの陽斗って子と仲良くなりたいだけなの! それのどこが悪いのよ!」
父親の怒声にも耳を貸さず、穂乃香を睨みつけながら一気にまくし立てた。
「貴女が純粋な気持ちで彼と仲良くなりたいと望み、彼もまたそれを受け入れるというのなら、わたくしも口を挟んだりしませんわ。まだ友人にしか過ぎない身で、彼の交友を妨げるような真似はしません。ですが、彼、陽斗さんはそれを望みませんでした。であれば害にしかならない人物を近づけさせるわけにはいきません」
「な?!」
「陽斗さんは皇の正統な後継者です。その交友関係がもたらす影響は大きなものになるでしょう。わたくしも含め、ある程度以上の家柄に生まれた者には責任と義務があり、自由に振る舞えないことが多いのです。まして、他人を使って人を陥れるような人物が相手では」
「なによ、アンタ、何様のつもり?」
言外にお前に陽斗に近づく資格はないと言われ、唇をかみしめながら言う萌衣に、穂乃香はフッと一瞬だけ笑みを見せた。
「わたくしは彼に幾度も救われました。願わくばこの先も共に歩みたいとは思っていますが、もしそれが叶わないとしても、彼を支え、すべての苦悩から守りぬくつもりです」
きっぱりとした宣言。
そこにはいささかの躊躇も虚飾もなく、ただ覚悟だけが感じられた。
「…………」
まっすぐに見据える視線に耐えきれず、萌衣は俯いて拳を握りしめる。
「わたくしからの話はそれだけです。今後についてはご家族でよく話し合ってください。ただ、この先も西蓮寺陽斗さんにつきまとおうとするなら、相応の対応をさせていただきます」
「は、はい。娘にもよく言って聞かせます」
「あの、ご迷惑をおかけして、なんとお詫びをすればいいか」
立ち上がった穂乃香にペコペコと頭を下げる両親。
経営する会社は四条院系列の会社と取り引きをしているし、ましてや皇家まで絡むとなれば生きた心地がしないだろう。
穂乃香が立ち去った後、萌衣は両親からかなりの時間叱責させることになった。
そして当分の間、学校も含め一切の外出を禁じられた。
両親はその間に、穂乃香から渡された報告書に記載された被害者たちに謝罪をして回るらしい。
そうすることで穂乃香や皇に対してのアピールになるとでも考えているのかもしれない。
だが、当の本人が納得して反省するかどうかは別問題だ。
「くそっ、くそっ、くそくそくそくそ!! なんなのよ! アタシがなにしたっていうのよ! パパやママだって今までなにも言わなかったじゃない!」
穂乃香に圧倒されてろくに反論できなかったとはいえ、内心では不満は爆発寸前にまで溜まっている。
「絶対思い知らせてやる」
しばらくブツブツと呟くと、何か思いついたのかニヤッと口を歪め、スマホの連絡先から目当ての人物を選ぶ。
『……っ、萌衣か。なんの用だ?』
数コールの後、出たのは不機嫌そうな男だ。
「なによぉ、アタシじゃダメなわけぇ?」
鼻にかかった高いトーンで拗ねてみせる。
「まぁいいけどぉ、ちょっとお願いがあるんだけどぉ」
『悪いが、俺達はもうテメェに関わる気はねぇぞ』
「え?」
『俺達ぁ、確かに半グレのクズだが、さすがにケンカするにも相手は選ぶんだ。ヤベぇのを相手にするような馬鹿とつき合ってられねぇよ。いいな? もう連絡してくんじゃねぇぞ』
「ちょ、ちょっと! まっ……」
萌衣はスマホから流れるツー、ツーという無機質な音に呆然とするばかりだった。
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