第101話 社交界の洗礼?

 ドン!

 横から不意に押しのけられ、バランスを崩した陽斗が転びそうになる。

 が、それは誰かが柔らかく受け止めてくれたことで回避された。

「陽斗、大丈夫?」

「華音さん?」

 支えられて体勢を立て直した陽斗だったが、どういうわけか身体に回された手が解かれることはなく、上から聞こえてきた声に驚く。


「“さん”はいらない。華音で」

「あぅ、か、華音、ありがとう。も、もう大丈夫だよ」

「駄目。ビタミン陽斗の接種のためにもう少しこのままで」

 ビタミン陽斗とはなんぞや。

 そんなことを聞き返す間もなく、陽斗が今度は逆側に引き寄せられて背後から抱きしめられる。


「羽島さん、何をしているのですか! それにいつの間に会場に?」

「むぅ、充電が足りない。のかちゃん横暴」

「誰がのかちゃんですの?! 勝手にあだ名をつけないでください!」

 陽斗を押しのけてまで穂乃香に声を掛けてきた男性を無視して陽斗の取り合いをする穂乃香と華音。

 だがすぐに穂乃香は男性に冷めた目を向ける。


「ご無沙汰しております。たしか錦小路の分家の方でしたわね」

 氷のような堅い口調だが、それを気にする様子も無く男性は反応があったことに笑みを浮かべた。

「そうです。お会いするのは半年ぶりほどでしょうか。グループの中核である企業を経営している高桑家の……」

「人を突き飛ばしておいて謝罪の一言もない方の名前に興味はありません」

 言葉の途中でピシャリと穂乃香が斬り捨てると、ようやく男が陽斗に目を向ける。


「これは失礼。穂乃香さんに気を取られて気づかなかった。あまりに小さかったからね。すまなかった」

 謝罪の形を取ってはいても不満と侮蔑が滲み出た言葉に穂乃香の目がさらに厳しくなる。

 だがよほど厚顔なのかそれとも鈍いのか、男はさらに続ける。

「けど、どこの家の子供か知らないが、今日はグループのお披露目をする大切なパーティーでね。小学生があまりウロチョロされては困るよ」


「随分と失礼な物言いですわね。そちらの家では礼儀を教えていないですか。それに、彼はわたくしの同級生であり、大切な友人ですわ」

 さすがにそれは意外だったのか、一瞬驚いた顔を見せるもやはり小馬鹿にするような態度は変わらない。

 もっとも、陽斗にとって男の言葉は気に触るほどのものでもなく、むしろ穂乃香に半ば抱きしめられたままの状態なのが恥ずかしくて顔を赤くしている。

 そのことが男にとってますます気に入らないようで、今度は穂乃香に向かって皮肉気な苦笑を浮かべた。


「穂乃香さんも交流する相手はもっと選んだ方が良いのではないですか? こんな育ちの悪そうな庶民と一緒にいては自分の価値をわざわざ下げてしまうことになりますよ」

「っ! 貴方は……」

 思わず言い返そうとした穂乃香を、意外なことに華音が肩をポンポンと叩いて宥める。

「何を言っても無駄。馬鹿は自分が馬鹿だと思っていないから会話するだけ時間がもったいない。それよりももっと陽斗と話がしたい。向こうでスイーツ食べよう」

 いつも通りのマイペースな口調にたっぷりの毒を混ぜた華音に、男の顔から笑みが消えた。


「ふん、目上の者に対しての口の利き方も知らないのか」

「目上……誰が? 年が上なだけでウチより偉いわけじゃない。そんなことも分からないから馬鹿と言われる」

 言った張本人がさらに煽っているのだから始末に負えないのだが、穂乃香としては多少なりとも留飲が下がる思いだ。

 しかしそれを止めたのは暴言を吐かれた陽斗自身である。

「か、華音、駄目だよ年上の人にそんな言い方しちゃ。友達が失礼なこと言ってごめんなさい」


 頭を下げる陽斗に、それでも男の態度は変わらない。

 元々は四条院家の令嬢である穂乃香に近づこうとしていたはずなのに、その友人に対して無礼な態度をとり続けるのは、ある意味凄い神経をしていると言える。

 もっとも、それは彼の家が錦小路家傘下の中でも上位に位置する分家のひとつであり、最悪四条院家の不興を買ったとしても力関係的に問題ないと考えているのだろう。

 

「そっちの子供は多少自分の立場を分かっているようだ」

「立場、ですか。わたくしからすれば立場を弁えていないのは貴方のほうだとおもいますけれど?」

 穂乃香が憐れな人を見るような目で言うと、男の顔に初めて困惑の色が浮かぶ。

「どういう意味です?」

「陽斗さんは錦小路宗家の令嬢である琴乃様が直々に招待されました。ご当主である正隆氏とも先ほど言葉を交わしていますし、わたくしの恩人でもあります」

「な?! し、しかし彼の立ち居振る舞いを見るとただの庶民でしょう。いくら個人的に琴乃様と親しくても重要なのは家と家の繋がり。私達はこの国を支える重要な家柄です。付き合う相手は選ばなければ」


あくまでも主張を変えない男に、穂乃香が溜め息を吐いた。

 皇の名を出せばそれだけでこの男は何も言えなくなるのは分かっているが、穂乃香の判断でそれを言うわけにもいかない。

 陽斗が社交界に出るのなら遠からず公表することになるだろうがそれは重斗が決めることだからだ。

 しかし陽斗を馬鹿にされて黙っていることなどできない穂乃香が、どう黙らせようかと考えを巡らせていると、今度は背後から声が掛けられた。


「そうか、それならば儂も付き合う家を選ぶとしよう」

 威厳のある重々しい口調。

 表情こそ柔和な笑みを浮かべているが、その目は射るように男を見据えている。その隣には同じような表情をした女性もいる。

「お祖父ちゃん! 桜子叔母さん!」

「皇様、桜子様、ご無沙汰しております。本日はご一緒できて嬉しいです」

「なぁ?! す、皇、こ、この人、いや、この方が」

 ふたりを見てホッとしたように表情を綻ばせる陽斗と、慌てて抱きしめていた腕を解いて頭を下げる穂乃香。重斗のことをあえて名字で呼んだのはもちろんわざとだ。

 男と方はといえば、穂乃香が口にした名を聞いて背中が氷を入れられたように冷たくなる。

 

 今目の前の小学生にしか見えない少年がお祖父ちゃんと呼んだ皇氏。

 知っているどころではない。

 直接言葉を交わしたことはないし、目にしたことすらほんの数度ではあるが、どれほどの財力と影響力を持つ人物かなど、少しでも財界に関わった者なら知らないわけがない。

 主家である錦小路家が傘下のグループと友好関係にある名家の総力を結集してようやく対抗できるほどの人物だ。もちろん分家の、それも当主ではなく、息子のひとりでしかない男がどうこうできるような相手ではない。

 その皇の孫が保護され、庇護下にあるという噂は確かに耳にしたことはあったが、まさかそれがこんな普通の子供だとは思ってもみなかった。だがそんな言い訳が通用するはずもない。

 男が少年を嘲り、偉そうに上から目線で穂乃香に付き合う相手を選べなどと言った言葉は元に戻らないのだ。


「あ、あの、お、お孫さんに、た、大変……」

 男が急いで謝罪を口にしようとするが、それは別の声によって遮られる。

「おお、皇さん、ようこそおいでくださいました」

 聞き覚えのある声に振り返ると、錦小路家当主の正隆が重斗に向かって歩いて来ていた。

「うむ。本日は招待感謝する。ところで、そこの彼はどういった関係の方なのかな?」

 重斗が言いながら男に視線を向ける。

 正隆は一瞬眉を顰めたものの、表面上は態度を変えずに紹介する。


「皇さんと直接会うのは初めてかも知れませんな。彼は錦小路家の分家筋にあたる者です。たかくわさとし君といって、たしか大学生だったか、彼がどうかなさいましたかな?」

「いや、彼が随分と四条院のご令嬢と、儂の孫を侮辱していたのでな。さぞ力のある家の者かと思ったのだが」

 それを聞いた正隆の顔が険しくなる。

「……疑うわけではありませんが、それは間違いなく陽斗君に向けて言った言葉なのでしょうか?」

 誤解があるのではないか、言外にそう滲ませながら聞き返す正隆を、桜子がきっぱりと否定した。


「私も聞いていたから間違いないわね。陽斗に向かって育ちが悪い庶民とか言っていたし、穂乃香さんには付き合う相手は選べとも。庶民がどうのというのは置いておいても、今時そんな選民意識を持った人のいる家にグループの一部門とはいえ経営を任せても大丈夫なのかしら」

 正隆が確認するかのように穂乃香と陽斗の方を向くと、穂乃香はしっかりと頷き、陽斗はキョトンとした顔で見返した。

 陽斗にとっては侮辱どころか皮肉にすら入らない範疇なのでそもそも気にしていなかったのだが、穂乃香が肯定したところでそれが事実だと理解できる。


「なるほど、陽斗君、それに穂乃香さん、我が錦小路家に連なる者が大変な失礼をしたようです。申し訳ありません」

 そう言いながら陽斗と穂乃香に向かって深々と頭を下げる。

「錦小路グループの祝い事の場なのでご当主の顔を立てたいところではあるが、儂に対してならともかく、孫やその友人に対する無礼をなかったことにはできん」

「当然ですな。今の謝罪はあくまでこのパーティーの主催者としてお客様に不快な思いをさせてしまったことに対するものです。とりあえずグループを統括する者として高桑家に事情を説明し、直接お詫びするように促しはしますが」

 正隆の言葉に当事者である聡はビクリと全身を震わせる。


 第三者から見た錦小路正隆という人物は穏健で保守的、慎重な気質といえる。

 だがそれだけで屈指の名家の総領、そしてこの国を代表する企業グループの総帥という立場をこなせるわけがない。

 一族や企業に悪影響だと見なした相手は容赦なく斬り捨てるし、敵に回れば全力で叩き潰す。分家の者である聡はそれを父親から聞いて知っている。

 そんな彼が、明らかにこちらに非がある分家の末端のために強大な財力と影響力を持つ皇家と事を構えるわけがない。


「聡君、君はもう帰りなさい。会場に居る君の両親もすぐに戻るだろうから家で私からの連絡を待つこと。いいね?」

 自分だけでなく両親までもパーティーにこれ以上参加させないと言われ、聡は真っ青な顔で膝を落とす。

 その姿に、陽斗が何か言いかけるが、それを桜子が止める。

 彼とその家の処遇に口を出すべきではない。それができるのはあくまで当事者の範囲で済んでいる場合だけだ。

 家と家、会社と会社という大きな範囲になれば当事者であっても口を挟むことはできなくなる。

 だからこそ、社交界では誰もが不用意に隙を見せることはしないのである。

 そのことが分からない陽斗には良い経験になったことだろう。

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