第100話 初めての社交界
「そう、陽斗が自分の意思で出席すると決めたのね?」
『はい、ただ、わたくしが後押しをしたからという部分が影響しているかも知れません』
「それで良いわ。ごめんなさいね変なことを頼んで」
『別にそれは構わないのですけれど、陽斗さんに無理をさせることにならないでしょうか』
「今回のパーティーは桐生家がらみとは言っても招待客に当時の経営陣は居ないわ。それに錦小路や四条院の関係者が多く招かれているし、兄と私も出席するつもりよ。それに、穂乃香さん、貴女も一緒に来てくれるのでしょう?」
『それはもちろん。父と兄も出席する予定のようですし、もし陽斗さんが良いと言ってくださるなら、その……』
電話の向こうで言いよどんだ穂乃香に、桜子がプッと吹き出す。
「あはは、本来なら逆なんでしょうけど、穂乃香さんに陽斗のエスコートをお願いしたいわ。良いかしら?」
『は、はい! 喜んで務めさせていただきますわ』
「それじゃあ当日の衣装が決まったらまた教えてちょうだい。細かいことはその時に」
『承知いたしました』
その言葉に満足そうに頷きながら桜子は電話を切った。
そして、苦笑いを浮かべながら対面に座る兄に視線を向ける。
「いい加減諦めなさいよ。陽斗自身が決めたことよ?」
桜子がそう言うと重斗の眉間に皺が寄る。
「お前がそうしむけたのだろうが」
「人聞き悪いわね。確かに錦小路のお嬢さんに提案したのは私だけど、いつかは必要になることよ。私達だって陽斗のことをいつまでも守り続けることはできないわ。兄さんの資産を受け継ぐ以上は群がってくる連中の対処くらい自分でできるようにならなきゃ。そのためにはとにかく場数を踏むことと信頼できる仲間を作ることよ」
「それは、そうなのだが」
桜子の言うことは理解している。
のだが、やはり長く辛い思いをしてきたのだからまだ甘やかしてやりたいというのが本音の爺馬鹿としては素直に頷くことができない。
「あの子は合った人間の本質を見抜く
「はぁ~……仕方ない、か」
「過保護すぎると逆に潰しちゃうわよ。兄さんは優しいお祖父ちゃんだけじゃなくて、厳しい父親にもならなきゃいけないの」
正論を突きつけられ、重斗もこれ以上突っぱねることができない。陽斗のためを思えばなおさらだ。
「だがやはり心配だからな。パーティーには儂も行くぞ」
「あのねぇ、最初から出席予定だったじゃない! そうじゃなきゃ陽斗を出席させようとなんてしないわよ」
結局、桜子も陽斗に甘いのである。
都内の某高級ホテルの前で車を降りた陽斗は振り返って車内に手を伸ばした。
「ありがとうございます」
その手に掌を重ね、引かれるように降りたのは穂乃香だ。
「あの、どういたしまして?」
陽斗はドギマギしながら目を伏せ、トンチンカンな返答をしてしまう。
一応和田や比佐子から女性をエスコートするやり方などはレクチャーされているものの、実際には見たことも経験したこともないので仕草は非常にぎこちない。
もっとも、余裕のない理由は他にもあるらしく、先ほどから、いや、正確には都内にある四条院家の別宅に穂乃香をリムジンで迎えに行ったときからずっと挙動不審気味だったりする。
「陽斗さん? どうかなさいました?」
最初は単に初めてのパーティーに緊張しているのかと思っていた穂乃香だったが、移動中の車内で普通に会話はしているのに、目が合うとすぐ逸らしてしまう。かと思えばチラチラと穂乃香を見ているようだし顔も赤い。
そんな態度を取られれば穂乃香の方も気恥ずかしくなってしまうのも当たり前だろう。
「あ、えっと、その、穂乃香さんの服が、と、とても素敵で、あの」
「あ、ありがとうございます」
真っ赤な顔で精一杯の褒め言葉を口にする男の子と、照れる女の子。
ホテルの入り口で出迎えている従業員が、あまりの初々しさに頬を緩めているのに気づくことなく建物に入る。
二人がこのホテルに来たのは、琴乃に招待されたパーティーに出席するためだ。
錦小路家が経営する企業グループの事業再編と新組織の披露のためのパーティーに正式に招かれた陽斗達は連れだってやってきたのだ。
パーティーには穂乃香の両親や兄、重斗と桜子も招待されているのだが、そちらは別口で後から合流することになっている。
空調の効いたロビーに入ると、穂乃香が上着を脱いでフロントに預ける。
すると再び陽斗の視線が泳いでしまう。
その理由は穂乃香の服装である。
穂乃香の今の装いはパーティーに相応しいイブニングドレスで、まだ年若いことから控え目ではあるが肩と首元、背中が大きく開いた華やかなものだ。
冬休みに一緒に海で泳いだとはいえ、上半身だけで言えばその時の水着よりも露出が高い。制服姿を見慣れていた陽斗としては目のやり場に困ってしまったのである。
対する陽斗の服装はというと、ネイビーのスリーピース。
もちろん今回のために重斗が用意したオーダーメイドで、サイズもぴったりである。のだが、やはり平均を大きく下回る小柄な身体と童顔で、はっきり言って親族の結婚式に出席する小学生にしか見えない。
とはいえ実際には多感な高校生男子である。
憧れている同級生の令嬢の、艶やかなドレス姿を目の前にすれば挙動不審にもなろうというものだ。
そんな陽斗の内心を察したのか、穂乃香も頬を染めつつ、それでも嬉しそうに笑みを浮かべて陽斗を促して会場に向かう。
「ふふ、無理はしなくて良いですわよ。今回は錦小路家の関係者とわたくしの家、それから陽斗さんのお祖父様達だけというお話ですから、多少失敗しても問題ありませんし、わたくしがフォローいたしますから」
「う、うん。色々教えてくれると嬉しいです」
「こういうことは慣れるのが一番ですから。少しずつ覚えていきましょう」
穂乃香の言葉にようやく少し肩の力を抜く陽斗。
パーティーの会場は奥側にスクリーンと演台が設けられ、両側の壁際に飲み物や食べ物が用意された立食形式のようだった。
事前に聞いた話ではまず主催者の挨拶と新組織や新規事業の説明が行われ、その後、立食形式の懇親会が始まるらしい。
陽斗達が会場に入ると演台の前で挨拶を受けている琴乃やその父である錦小路正隆氏の姿が見えた。
「わたくしたちもまずは主催者に挨拶をしましょう」
「あ、はい」
こういった場でどうしたら良いのか分からない陽斗は大人しく穂乃香の後に続く。
「あ、陽斗くんと穂乃香さん、ようこそおいでくださいました」
「錦小路先輩、えっと、本日はお招きいただき、ありがとうございました」
ピョコンと頭を下げ、“これで良いの?”とばかりに穂乃香をチラリと見た陽斗の様子に吹き出すのをこらえて穂乃香も琴乃に頭を下げる。
「このたびはおめでとうございます。大きな問題もなく事業の拡大と再編を終えたと聞きました。さすがは錦小路グループですわ」
「ありがとう。紹介するわね、穂乃香さんは面識があるかも知れないけれど、私の父、錦小路正隆よ」
琴乃がそう言いながら隣を手で示すと、その男性が人の良さそうな笑みを浮かべて陽斗に手を差し出した。
「やあ、君が西蓮寺陽斗君だね。琴乃から話は聞いているよ。とても真面目で優秀らしいね。なるほど、会えて嬉しいよ」
人好きする顔と恰幅の良い中背の体格。巨大企業のトップとは思えないほどの気さくさで陽斗の手を握りながらブンブンと振る正隆に、陽斗は戸惑いつつも挨拶を交わす。
「ご無沙汰しております」
「穂乃香嬢も久しぶりだね。昨年は大変な目に遭ったようで心配していたよ。近況は琴乃が教えてくれていたが元気そうで何よりだ。今日は近しい家の者ばかりだし、ご両親ももうすぐ到着されるはずだ。どうか楽しんでもらいたい」
正隆氏はそう言うと、別の招待客の方に向かっていったのだった。
「ごめんなさいね、慌ただしくて」
「いえ、挨拶の邪魔をして申し訳ありません。また後ほど」
穂乃香もそう言って挨拶を切り上げ、一礼してからその場を離れた。
「錦小路先輩のお父さん、優しそうな人だったね」
「悪い噂のない人格者だと聞いていますわ。それでも錦小路家の当主ですから優しいだけではありませんわ」
そんなやりとりをしつつ穂乃香と陽斗は会場の入り口近くに戻る。
ほどなく到着するであろう、穂乃香の両親や重斗達と合流するためだ。
だが、それより先に、別のところから声が掛けられた。
「穂乃香さんではありませんか! お久しぶりですね!」
ドン!
「あっ」
突然陽斗が押しのけられ、20歳くらいの男性が満面の笑みを浮かべながら穂乃香の前に立ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます