第99話 琴乃のお招きと社交界デビュー?

 卒業生の送別会の4日後に行われた卒業式。

 特に波乱などが起こるわけもなく、名門校に相応しい厳粛な雰囲気の中でつつがなく終えたその翌週の週末。

 陽斗は穂乃香と共に琴乃の招きで錦小路家の本邸を訪れていた。

「す、すごい」

 乗ってきたリムジンを降り、邸宅の門構えを見上げて陽斗がポカンと口を開ける。

 敷地の規模や建物の大きさでいえば陽斗の暮らす皇家の屋敷の方が上だろうが、武家屋敷のような大きな門は威圧感が半端ない。


「錦小路家は歴史ある旧家ですからね。元々の本邸は京都の方だそうですが、事業を行うには不便だということで別宅だったこちらを本邸にしたそうですわ」

 落ち着かない様子の陽斗とは対照的に、同じく名家の令嬢である穂乃香は動揺することなく穏やかな笑みを見せている。

 彼女の態度に、陽斗は自分の行動がひどく子供っぽいもののように思えて顔が熱くなる。

「え、えっと、チャイム押すね」

 誤魔化すようにそう言って門柱に備えられたインターホンに手を伸ばしたが、それが押される前に小さな音を立てながら門が開かれた。


「いらっしゃいませ。西蓮寺陽斗様と四条院穂乃香様ですね。お待ちしておりました」

 門の向こうから30歳くらいで気品のある女性が姿を見せ、陽斗達に向かって深々と頭を下げる。

「ひゃい、あ、あの、どうも」

「琴乃様のお招きに与りました。よろしくお願いいたします」

 ふたりも返事を返しながら会釈する。

「ご案内させていただきます」

 女性はそう言って門を大きく開くと先に立って中に入っていった。


「いらっしゃ~い。待っていましたよ。陽斗くん、穂乃香さん」

「時間通りだから気にしないでいいよ。琴乃さんが楽しみにしすぎていただけだから」

 女性に案内されて家の奥まった部屋に通された陽斗達を待っていたのは琴乃と雅刀、それからもうひとりの人物だ。

 にこやかに迎え入れる琴乃と雅刀とは逆に、穂乃香の顔は引きつり気味である。

「……どうして羽島さんがここに居ますの?」

「錦小路先輩に呼ばれた。陽斗も来るって聞いたから来た。気に入らないなら四条院さんだけ帰ってもいい」

 相変わらずの無表情で言葉を返したのは芸術科音楽クラスの羽島のんだ。


「あの、錦小路先輩、卒業おめでとうございます。えっと、きょ、今日はお招きいただいて、ありがとうございました。それと鷹司先輩と華音さん、こんにちは」

 どことなく空気をピリつかせる穂乃香と華音に構わず、というか気にするだけの余裕がなく、陽斗は事前に練習していた挨拶の言葉をなんとか絞り出した。

「西蓮寺君、四条院さん、ようこそ、って僕が言うのも変だね」

「そんなにかしこまらなくて良いわよ。ここは学校じゃないし、もっと砕けてくれた方が私も話しやすいから」

「陽斗、ヤホ。学校外で会えるのは嬉しい」


 雅刀はいつも通りだが琴乃は学園に居たときよりフランクな感じの口調だ。

 悪戯っぽい目といい、揶揄うような口調といい、どちらかといえばこっちの方が素に近いのかもしれない。

 そして華音はというと、屈指の名家にお邪魔しているというのに相変わらずのマイペースさを発揮している。ある意味この中で一番メンタルが強いと思える。

「錦小路先輩、どうして羽島さんを?」

「あら、だって、送別会であんなに素敵な演奏を聴かせてくれたんだもの、お礼がしたかったのよ。そ・れ・に、なんだか面白そうだし」

 最後のが本音なのだろう。


 今回陽斗達が招かれたのは、送別会の時に琴乃が招待すると口にした約束を実行するためらしい。

 陽斗も穂乃香も社交辞令のように受け取っていたのだが本気だったらしく、卒業式の日に直接連絡を受け招待されたのだ。

 卒業式の翌週に行われた年度末試験も終えたので断る理由もないし、陽斗も喜んで受けたというわけである。


「それにしても、卒業式の時の陽斗くんも可愛かったわぁ。いっそのこと卒業を断って留年しようかと思ったくらい」

 案内してくれた女性が人数分の飲み物を持ってきてくれたので、全員で席について会話に花が咲く。

 話題となったのはやはり送別会と卒業式のことだ。

「あぅ」

 琴乃に揶揄われて陽斗が顔を赤くして小さくなる。

 式の終盤、陽斗はお世話になった先輩達が卒業するということを実感して思わず涙をこぼしてしまったのだが、それは式が終わっても止めることができず、多くの生徒にその姿を見られてしまったのだ。

 もちろん、講堂を退場していった卒業生達にも見られていて、琴乃が言っているのはそのことである。


「それだけ西蓮寺君が別れを惜しんでくれたってことなんだから揶揄っちゃ駄目だよ」

「分かってるわよ。それに陽斗くんと面識がある子達も会えなくなるのを寂しがってたわよ」

「それだけ陽斗さんの感受性が強いということですわ」

 穂乃香の慰めに陽斗は恥ずかしそうに首を振る。

 卒業式で泣きじゃくったのは自分でも子供っぽいと分かっているのだ。

 学園に入学してから陽斗は自分の感情に振り回されることが多くなった。

 より正確に言えば感情も表情も抑圧され、素直に表現することができなかった生活から、全てを受け入れてくれる環境に変わったことで遅ればせながら子供らしい感情が出てくるようになったということだろう。

 とはいえ、高校生にもなって、それも自分のではなく先輩の卒業式で泣くのはさすがに恥ずかしいと思うのも当然のこと。

 陽斗にとって、できれば忘れてしまいたい過去なのは間違いない。


 そんな内心を察したのか、雅刀が別の話を振った。

「今日、西蓮寺君達を招いたのはこうして時折交流を持ちたいということと、それからもうひとつ理由があってね」

「えっと、招いた理由、ですか?」

 すかさず陽斗が話題転換に乗る。

 そんな様子に、琴乃がクスリと笑みをこぼしつつ言葉を引き継いだ。


「そうそう、そのことをお話ししなきゃね。2週間後に錦小路家が経営する会社の事業再編が終わったことを記念するパーティーが開かれるのよ。そこに陽斗くんと穂乃香さんを招待したいと思っているの」

 その言葉に、穂乃香が一瞬眉を寄せて記憶を辿ったようだがすぐに思い至ったらしい。

「そういえば、旧桐生グループの重工業部門とホテル業部門は錦小路家が買い取ったのでしたね。その関係ですの?」

「ええ。買い取ってすぐに関連子会社も含めて整理統合を進めていたんだけど、ようやく再編が終わったので正式にグループに組み込むことになったの。ふたりとも無関係じゃないし是非出席してもらいたいわ」

「もちろん、四条院彰彦氏には錦小路家から正式に招待状は送らせてもらっているけど、それとは別にふたりには来てほしいな」


 穂乃香を拉致しようとした事件を切っ掛けに重斗と穂乃香の父、彰彦が動いたことで桐生家の当主だった桐生宗臣は逮捕された。

 それと同時に桐生グループが行ってきた違法行為や取引先への不当な圧力、反社勢力との繋がりも明らかになり、桐生グループは複数の企業や団体、個人から一斉に訴訟を起こされた。

 そして異例の早さで裁判の手続きが行われた結果、莫大な賠償と慰謝料を課せられた桐生グループはあっさりと破綻し、グループが持っていた有形無形の資産は全て売却されることになった。

 その大部分を錦小路家が買い取り、自らの経営する企業グループに組み込んだことを内外に知らせるためのパーティーを開くということらしい。


「穂乃香さんは中等部の頃からこういったパーティーに出席しているけど、陽斗くんはまだ経験ないでしょう? 今回は関連企業や近しい企業の経営者だけの、内輪のようなものだし私や雅刀さんも居る。学園の生徒も何人かは出席する予定だから経験を積むといった意味では良いかと思うわ」

 琴乃の言葉に穂乃香も頷いて同意する。

「そうですわね。陽斗さんもお祖父様の立場が立場なので今後はそういう機会も増えるかと思いますし、少しずつ慣れていく必要がありますわ。わたくしが一緒なら色々とフォローもできますし」

 そう勧める穂乃香に少し驚くが、言っている意味は分かるので陽斗にも拒否感はない。


「それと、せっかくなので羽島さんもどうかしら? 実は送別会の時の演奏を聴いて羽島さんと会いたいと言っている方が何人かいらっしゃるのよ。上手くいけば今後の音楽活動を後援してくれるかもしれないわよ」

 琴乃は華音にもそう言って誘いの声を掛けた。

「後援とかは別にどうでも良い。けど、陽斗が出席するならウチも行く」

「別に無理をする必要はありませんわよ」

「むぅ、副会長は意地悪。陽斗の独り占めは罪」

「ひ、人聞きの悪いことを言わないでください!」


 抑揚のないマイペースな発言に和んだ空気に押されてか、陽斗もパーティーに参加することを伝えると、琴乃と雅刀は小さくホッと息を吐いたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る