第97話 ライバル登場?

「羽島さんの事でしたらわたくしも聞いたことがありますわ。中等部の頃から有名でしたもの」

 生徒会の会議室で送別会の進捗を確認しながら穂乃香が陽斗に答える。

「ピアノだけでなく弦楽器も管楽器も教わればすぐさま玄人はだしの腕前を披露するほど才能豊かですけれど、人と関わることはほとんどされないらしいですわね。そのせいで浮いてしまうこともあるようですが、ご本人はあまり気にした様子は無いそうです」

 穂乃香の言葉に、陽斗は華音の言動を思い返して思わず納得する。


「私も昨日会ってみたんだけどとりつく島もないって感じだったよ。というか会話が続かない。結構誰とでも話しできる自信あったんだけどなぁ」

 セラがわざとらしくそう肩を落としてみせる。言葉ほど落ち込んではいないようだが。

「そう、かな?」

 とはいえ陽斗の印象は二人の言葉とは少し違う。

 確かにぶっきらぼうではあったが陽斗の言葉にはきちんと返してくれたし、人を拒絶しているような雰囲気は感じられなかった。


「それは陽斗さんだからかもしれませんわね」

「だねぇ。陽斗くんって癒やされキャラだし? 羽島さんも邪険にできなかったんじゃないかな」

 穂乃香とセラが顔を見合わせて苦笑を交わす。

「それで、西蓮寺はその音楽クラスの生徒をどうしたいと思ってるんだ?」

 陽斗の隣で展示物レイアウト案をチェックしながら壮史朗が訊く。

 だが返したのは困ったような表情だ。


「どうしたいとかは分からない、かな。でもすごく素敵な演奏だったからいろんな人に聴いてもらいたいなとは思うけど」

「そう思うなら説得してみたらどうだ? プロになるというのは本人がそれなりの覚悟をもって努力する必要があるだろうが、演奏会くらいなら出てもいいと思うかも知れないだろう」

「そうそう、羽島さんだって陽斗くんには『考えておく』って言ってたんでしょ? 意固地になってた天宮くんのお兄さんも説得できたんだから大丈夫じゃない?」

 いきなり自分の兄の話題に飛び火して嫌そうな壮史朗。


 先日の対面の後、壮史朗の兄である京太郎は一旦跡継ぎになるかどうかの結論を先送りしたらしい。

 まずは大学を卒業し、天宮の所有する企業に就職してから先のことを考えることにしたそうだ。ある意味普通の跡継ぎの道を歩いてみるということだ。それもまた必要なプロセスと言えるだろう。

 京太郎自身は陽斗との会話の結果だとは言っていないが、誰が見ても陽斗の言葉や態度が切っ掛けになったことは間違いない。壮史朗も後日陽斗に礼を言っていた。


「陽斗くんは人たらしだからねぇ。無愛想がデフォルトになってる天宮くんをデレさせるくらいだし」

 セラの言葉に穂乃香が吹き出す。

「ぼ、僕はデレてなんていないぞ! いい加減なことを言うな!」

「えぇ~、最初はあんなに塩対応だったのに今じゃ陽斗くんに甘々じゃん。それでデレてないって、お姉さんは信じられませ~ん」

「いつから都津葉が僕の姉になったんだ!」

 なんだかんだ言っても壮史朗が他の同級生達と打ち解けているのも陽斗の影響が大きい。

 中等部の頃の壮史朗は誰に対しても冷淡で皮肉屋だったのに、今ではこうしてセラに揶揄われることも多く、それを見た同級生達も割と気さくに接してくるようになっている。

 壮史朗の態度そのものはあまり変わっていないのだが、セラや陽斗に対する接し方を見て意外と冗談が通じるところや面倒見の良さが知られるようになったということだろう。


 陽斗も壮史朗とセラの掛け合いを見てクスクスと明るく笑みをこぼしている。

「でもセラさんの言い様ではありませんが、天宮さんも随分と印象が変わりましたわ。これも陽斗さんと接したからですわね」

「そんなことないよ。壮史朗くんは最初から優しかったし」

 壮史朗の態度を見て優しかったと言えること自体が希有なのだが、陽斗にその自覚はないようだ。

「それも陽斗さんの魅力のひとつなのですけれど、きっと他の方も同じように感じられているでしょうから心配になりますわね」

「? 穂乃香さん?」

 小さな呟きに、陽斗が聞き返したが穂乃香は曖昧に微笑んで首を振った。


「失礼します。ここに、居た」

 陽斗達が談笑しながらも仕事を進めていると、会議室のドアが開かれて一人の女子生徒が顔を覗かせ、そして部屋の中を見回して陽斗に目を留めた。

「え? あ、羽島さん?」

 会議室に訪れた生徒は先ほどまで口の端に上がっていた羽島華音だ。

 彼女は陽斗の姿を見つけると、他の生徒会役員がいる中を躊躇うことなくスタスタ突っ切って歩いてきた。


「副会長、今いい?」

「う、うん、羽島さんどうかしたんですか?」

「華音でいい」

「え?」

「名前、ウチは華音、だからそう呼ぶ」

「か、華音さん」

「同級生に『さん』は、いらない。華音で」

「あ、はい」

「……」

「?」

「呼んで」

「えっと、か、華音?」

 華音がようやく頷く。

 ちなみにここまで華音の表情は一切動いていない。


「なんだかこの娘、少し変わってるね」

「わたくしも中等部で何度か見かけたことはありましたけれど、話をしているのを見るのは初めてですわ。こういう方だったのですね」

「それはいいが、なにしに来たんだ?」

 奇妙なやりとりに穂乃香達があっけにとられる。

「あの、それで僕になにか?」

「そう、用事がある。この間の話、送別会? 出ても良い」

 唐突な申し出に陽斗が目を丸くする。

 最初にあったときはにべもなく断っているのだから当然だろう。


「で、でも大丈夫なの? 華音さん」

「華音」

「っ、華音、は嫌だったんじゃ。無理はしなくても良いと思うけど」

 徹底して訂正する華音に言い直し、陽斗は自分が無理強いをしたのかと思って慌てる。

「無理じゃない。単に面倒だったから出ないって言ってただけ。でも条件がある」

 条件、という言葉に陽斗だけでなく穂乃香と壮史朗も表情を厳しくして華音を見る。

「演奏会の時に副会長は演奏を聴きに来ること。それから時間のあるときは練習も見学に来てほしい」

 淡々とした口調ながら華音の目は陽斗をしっかりと見つめて言った。


「ちょっとお待ちになってください。陽斗さんに演奏を聴かせたいということですの? それは何故?」

 穂乃香が割って入ると陽斗も同じ疑問を持ったのかウンウンと頷いてみせる。

 華音はチラリと穂乃香を見てから陽斗に視線を戻して再び口を開いた。

「副会長、は、ふたり居るから紛らわしい。ウチも陽斗って呼ぶ。いい?」

「あ、うん」

「陽斗はウチの演奏を素敵だと言ってくれた。もっと聴きたいって。ウチは陽斗が気に入った。陽斗が聴いてくれるなら演奏会にも出て本気の演奏聴かせてあげる」

 口調は変わらず、それでも本心から言っているのがわかる。


「き、気に入ったとはどういう意味でしょう」

「もう一人の副会長、たしか四条院家のご令嬢、だっけ?」

「そう、ですわ」

「言葉通りの意味。ウチは陽斗が演奏を聴く姿勢とか態度とかが気に入った。陽斗に演奏を聴かせるのは気持ちが良い。演奏して良かったと思う。だから聴かせたい」

 華音の言葉に安心して良いのか今ひとつ判然とせず微妙な表情を返すしかない穂乃香。

 そんな彼女を見て華音が首をかしげる。


「四条院、陽斗の彼女?」

「か? い、いえ、彼女では」

 ストレートな問いに穂乃香が慌てる。

 その様子を見てなにか言いたげにモニョモニョと口を動かすセラと呆れたように半眼になる壮史朗。

 そのふたりの態度に、華音は何事か納得したように小さく頷いた。

「なるほど、ウチにもチャンス、ある」

 そこで初めて華音の表情が動いた。

 どことなく嬉しそうな、楽しそうな、そんな笑みを少しだけ口元に浮かべたのだ。


「陽斗は意外に女たらし。きっとこれから先も」

「えぇ?!」

 前回合ったときと同じ事を言われ、そんなことはないと首をブンブン振る。

 陽斗にはそんな意識はないのだから当然だろう。

「それで、返事は? 演奏、聴きに来る?」

「聴く、だけで良いんだったらまた華音の演奏は聴きたいです」

 その返答に華音が満足そうに頷いて踵を返そうとして止まる。


「演奏会の練習日と場所が決まったら連絡する。だから連絡先教えて。メッセージアプリは使ってないから電話番号とメールアドレス」

 ポケットからスマホを取り出して陽斗の顔の前にズイッと近づける。

 その仕草がどうにも慣れていないように感じられて、陽斗は思わずクスリと笑い声を零してしまう。

「……ウチは友達少ないからスマホは音楽アプリと電話しか使ってない。笑ってないで早く教える」

「うん、わかった。電話番号教えてくれる? SMSで番号とアドレス送るね」

 華音が設定画面から番号を表示させると、陽斗がショートメールで自分の電話番号とメールアドレスを入力して送信した。

 それが無事に表示されたのを確認すると満足そうに華音は部屋を出て行ったのだった。


「ライバル登場、かな?」

「どう、なんでしょう。陽斗さんの交友関係に口を出してはいけませんけれど」

 セラの呟きに穂乃香が複雑そうな口調で返した。

「羽島さんの本音は分からないけど、陽斗くんに直接アプローチしてくる娘って初めてだしねぇ。今のところ陽斗くんにその気はなさそうだから大丈夫じゃないかな」

 セラのそんな言葉にも穂乃香は素直に頷けないでいた。



 数日後、陽斗と穂乃香は演奏会の練習を見学するために音楽クラスの練習ホールを訪れていた。

 芸術科の音楽クラス棟の1階には練習用の小ホールが二つあり、そこにはグランドピアノの他様々な楽器の演奏を合同で行うことができる。

 演奏会は送別会の中盤に行われる音楽クラスによる約1時間のミニコンサートだ。

 演目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第2楽章、皇帝の通称で知られるベートーベンのピアノ協奏曲5番第一楽章、ヴィヴァルディのフルート協奏曲「海の嵐」など、主要な楽器を用いたオーケストラ形式の演奏会となっている。

 生徒一人一人がソロパートを受け持つ変則的な編成だがそれは生徒がアピールの場としているのに配慮したものなのだろう。


 全体練習としてはまだ2回目ということなのだが、元々音楽的な素養の高い生徒を全国から集めているだけに専門ではない楽器を担当することになった生徒も見事な演奏を披露している。

 その中でも一際耳目を引きつけたのが華音のピアノ演奏だった。

 教師がどうしても演奏会に参加させたいと言っていた理由がよく分かる。

「陽斗さんの言っていたとおり、羽島さんの演奏は素晴らしいですわね」

 ピアノ協奏曲の演奏が終わると穂乃香が感心したように陽斗に言った。

 もちろんクラシックのコンサートや有名ピアニストの演奏を何度も聞いたことのある彼女にしてみれば我を忘れて感動するとまではいかない。

 だがまだ16歳の少女の演奏であるということを考慮すれば驚くほどと形容できる見事な演奏だったのは確かだ。


「うん、僕は最初に聴いたときすごく素敵だなって思って」

「確かに陽斗さんが他の方にも聴いてほしいと思われたのも納得ですわ。プロを目指さないのはもったいないくらいです」

 芸術にも造詣の深い穂乃香の言葉に、自分の感性が認められた気がして陽斗は嬉しそうに笑みをこぼす。

 陽斗自身は華音がプロの演奏家になるかどうかは気にしていない。というよりはそういうことは本人が決めることだと思っているので口にはしないのだ。


「それで、その、陽斗さんは羽島さんのことをどう……」

「陽斗、演奏どうだった?」

 穂乃香がなにかを言いかけたが、それは別の方向から掛けられた声によって遮られた。

「華音さ、華音、とってもすごかったよ。ずっと聴いていたいと思うくらいだった」

 穂乃香の表情には気づかず、陽斗は華音にそう言いながら先ほどの演奏を思い出してウットリとした顔をする。


「陽斗が望むならいつでもどれだけでも聴かせてあげる」

「?」

 華音のなにかを含むような口調に陽斗は首をかしげる。

 と、指揮をしていた教師が華音の名を呼ぶのが聞こえてきた。

「残念。それじゃ陽斗、また後で」

「あっ、ごめんなさい。僕達この後に他の場所に行かなきゃならないから」

「そう。ならまた来て。練習の予定はまたメールするから」

 そう言って華音は練習に戻っていった。


 陽斗は穂乃香と一緒に練習ホールを出る。この後に普通科での進捗確認があるためだ。

「穂乃香さん? どうかしたの?」

 無言のまま並んで歩く様子が気になった陽斗が訊ねると、穂乃香はハッとした後、ものすごく言いづらそうに口を開く。

「あの、羽鳥さんは陽斗さんのことを随分と気にされているようですけれど、陽斗さんは彼女のことをどう思っていらっしゃるの?」

「へ?」

 陽斗はその言葉の意味が理解できず間の抜けた声を上げてしまった。


「い、いえ、ほんの数回会っただけなのに随分と打ち解けておられるようですので、その、なにか特別な理由があるのかと」

 そこまで言われて陽斗はようやく言外に込められた内容を理解する。

 が、理解はしても陽斗の表情はキョトンとしたままだ。

「あの、華音さんはとても凄くて面白い人だなと思うけど。それに僕によく話しかけてくれてるから」

「それだけ、ですか?」

 陽斗が言い終わるや否や穂乃香がズイッと顔を寄せて聞き返す。


 額同士が触れ合いそうなほど端正な顔が近づき、陽斗の顔に熱が集まる。

「あぅ、ほ、穂乃香さん」

 真剣な表情で覗き込まれ、互いの視線が絡み合って離せなくなる。

「陽斗さん、あの」

 自分の大胆にも見える行動に、今更ながら気づき穂乃香の顔も赤くなる。

 何か言わなければと思った直後、すぐそばから咳払いの音が響いた。


「あの~、お二人さん? 仲が良いのはいいことなんだけど、もう少し場所を考えてくれないかしら」

「きゃっ!」

「うひゃぁ?! 小坂先生!」

 飛び上がって驚く二人に呆れた目を向ける陽斗達の副担任である小坂麻莉奈先生。

 実に久しぶりのご登場である。


「あ、あれ?」

 陽斗が周囲を見回すと、いつの間にか普通化棟まで戻ってきていたらしい。

 麻莉奈が立っているのも普通科の職員室前だ。

「それで、今日は生徒会じゃないの? 職員室になにか用事?」

「い、いえ、通りかかっただけです。申し訳ありません」

「ごめんなさい」

 穂乃香と陽斗は口々に謝罪すると、赤い顔のままそそくさとその場を後にしたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る