第25話 黎星学園という場所

「そ、そろそろ教室へ向かったほうがよろしいですわね」

 顔を真っ赤に染めた穂乃香がそう言って陽斗を促す。

 歩きながら息を整えているようだった。

 といっても校舎はすぐ目の前である。

「玄関は全生徒共通でこの場所です。一年生は向こう側ですわね。

 靴はここで脱いで、下駄箱の鍵を開けて上履きと替えます。鍵は各自で管理することになっていますわ」

 陽斗が外部進学組だからだろう、穂乃香は丁寧に説明してくれる。

 

 陽斗の下駄箱はすぐに見つかった。

 普通の学校のものよりも一つ一つが十分な大きさがあり、鍵まで付いている。

 そして、入学案内に書いてあったように中には既に新しい上履きが入っており、履き替えた後に鍵を掛けてポケットに入れておく。

 

「一年生の教室は3階ですわ」

 同じ一年生なのに穂乃香は校内の施設を把握しているようだ。

「穂乃香さんは高等部の校舎に来たことがあるんですか?」

「ええ。中等部からの内部進学の場合、3年生の秋頃に高等部の見学ができますの。それにわたくしは中等部で生徒会の役員を務めていましたので、業務として何度か来たこともありますわ。……あの、もしかして余計な世話を焼いてしまったのでしょうか」

 堂々とした返答の途中から急に自信なさげにトーンを落として訊く穂乃香に、陽斗はブンブンと首を横に振る。

「凄くありがたいです。僕、穂乃香さんに会えて良かったです」

「そ、そそそ、そうですか。ま、まぁ何か分からないことがあったらお声掛けくださいませ、その、陽斗さん」

 

 最初の印象では堂々としたお嬢様といった雰囲気だった穂乃香だが、陽斗と話をしているとコロコロと表情が変わる。

 世話好きのようで、訊くよりも先に色々なことを陽斗に説明していた。

 時折その手が陽斗の頭に伸ばされそうになったりしてプルプルしていたりもするのだが、陽斗自身が気づいていないので問題ないだろう。

 

 教室に着くと、そこはさすがに普通の学校とそれほど違いはないように思えた。

 ただ、教卓側の壁に据えられていたのは黒板ではなくホワイトボードだ。

 それに後部にはこちらも鍵付きのロッカーが全員分用意されている。

「ごきげんよう」

「穂乃香さま、ごきげんよう」

「四条院か、おはよう」

 穂乃香が教室に入るとそれに気付いた生徒が口々に挨拶してくる。

 と、同時に陽斗を怪訝そうに見る。

 

「あの、西蓮寺 陽斗です。外部進学で入学しました、よろしくお願いします!」

 最初が肝心、とばかりに恥ずかしさを堪えて精一杯の声で挨拶して頭を下げる陽斗。

「あら」

「あ、ああ」

「こ、こちらこそお願いしますわ」

 虚を突かれたように一瞬呆気にとられたが、それでも挨拶をしてくれた生徒達。

 ただ、中にはそうでない者もいる。

 

「ふん、外部進学か。だったら大した家じゃないんだろうな。黎星学園に来られただけで満足して僕たちの邪魔はしないでくれよ」

「やっぱり外部進学なんて制度は無くしたほうがいいな。育ちの悪い奴が来るだけでこの学園のブランド価値が下がる」

 嘲るように陽斗に向かって数人の男子生徒が冷笑した。

「貴方達、失礼ですわ!」

「穂乃香嬢も会話する相手は選んだほうが良い。四条院家の格が下がりますよ」

「その通りだな。まして、なんだあの子供みたいな男は。本当に試験に合格したのかすら疑わしいじゃないか。この学園は幼稚園じゃないんだ」

 穂乃香が一瞬にして表情を険しくして叱責するが、男子生徒達は意に介さず、さらに侮蔑的な発言を繰り返した。

 

「僕には君達のほうがよっぽど学園に相応しくないと思うけどね。

 人の家柄を批評できるほど君達の家が名家などとは聞いていないけど、成金風情がいくら偉そうな口を利いたところで性根は卑しいままだね。君達こそ幼稚園から礼儀作法をやり直したらどうだい?」

 穂乃香と男子生徒の間に割り込むように別の生徒が口を出した。

 しかもその内容はかなり辛辣だ。

「天宮?! き、君には関係ないだろう! 僕たちはあのみすぼらしい奴のことを言ってるんだ」

「いくら天宮家であっても無礼だろう!」

「無礼? 初対面の生徒に向かって無礼なのは君達のほうだろう? この学園に入学を、それも外部受験で許されたということは学力、財力、家柄、人格全てにおいて黎星学園に相応しいと認められたということだ。中等部へ入学するのに比較してかなり厳しい審査をされると聞いている。断言しても良いが、君達が受けたとしても絶対に認められないだろうね」

 

 嘲るでもなく、冷徹に淡々と言う天宮という生徒を音がするほど奥歯を噛みしめて睨み付けた後、男子生徒達は自分達の席に戻っていった。

 そして、話題の中心でありながら完全に蚊帳の外だった陽斗は、キョトンとした顔で穂乃香と天宮という生徒を見比べている。

 確かに暴言を吐かれたのだが、陽斗にとってあの程度の言葉は気にするにも及ばないレベルでしかない。

 幼い頃からもっと直接的で、もっと暴力的な言葉を浴びせ続けられてきたのだから気にするわけがないのだ。

 そもそも陽斗は自分が数百億円の資産を持つとか、それすら比較にならない程の資産家の祖父が居ることもまるで理解していない。

 自分はろくに教育を受けていない世間知らずの貧乏人という意識が強いので、こんなに凄そうな人がいっぱい居る学校に相応しくないとかみすぼらしいとか言われても『そうだよね』としか思わないのである。

 

「学園の生徒が失礼したね。皆が皆、あのように非常識な者ばかりではないから許してほしい」

「あ、えっと、大丈夫です。ありがとうございます」

 謝罪の言葉を口にしながらもそこには親愛の情は含まれていない。

「わたくしからもお礼を言っておきますわ」

「君に礼を言われる覚えはない。それに、あの程度の輩に好き勝手言わせるなど四条院家としてあまりに未熟だと思うがな。穂乃香嬢はもっと自覚を持ったほうが良い」

「……相変わらず口が悪いですわね」

 苦々しい表情で返す穂乃香に、ひとつ鼻を鳴らして天宮は踵を返した。

 

 天宮を見送り、穂乃香は改めて陽斗に向き直る。

「嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」

 謝られた陽斗は一瞬キョトンとして、すぐにブンブンと首を振った。

 陽斗は本当に気にしていないし、そもそも穂乃香に謝られることでもない。

 それよりも、と陽斗は天宮という生徒について聞いてみる。

「彼は天宮 壮史朗あまみや そうじろう。明治時代から続く造船業、今は重工業だけでなく商社や金融業も含む多角的企業を経営している家柄の、確か次男ですわ。プライドが高くて歯に衣着せぬ言動が欠点ですわね。

 努力家でもありますし、悪い人ではないのですけれど」

 そう語る穂乃香の表情は複雑だった。

 

 しかしそれを聞いた陽斗の表情はその逆にキラキラとしたものだ。

 陽斗から見て天宮の態度は堂々としていて誇りに溢れ、何者にも屈しない強さがあるように思えた。

 自分の弱さに自覚がある陽斗にとってはそれだけで憧れるには充分なのだろう。

 そんな会話をしていると、穂乃香と外部進学である陽斗が親しげにしているのが気になったのだろう、数人の女子生徒が近づいてくる。

 

「穂乃香さま、ご歓談の中失礼致します。わたくしにもご紹介いただけませんか?」

「私もご挨拶させてくださいませ。穂乃香さま、その子、いえ、その方とは以前からご交流が?」

 穂乃香の友人と思われる女子生徒達はありありと好奇心を顔に出して穂乃香と陽斗を囲む。

 家柄や育ちが良くてもやはり女性の本質は同じようで、互いに自己紹介をした後は穂乃香と陽斗の出会いなどに質問が集中した。

 それが落ち着くのを待って今度は陽斗も黎星学園について質問する。

 陽斗は普通の高校というのがどういうものなのかあまり知らないが、先ほど絡んできた男子生徒の言葉からもこの学校が特別な所だというのはわかったからだ。

 

「黎星学園はいわゆる良家の子女や資産家、実業家、その他将来を嘱望される才能を持った子女を多く受け入れている学校ですわ。

 そういった方々は色々と気をつけなければならないことが多くて、普通の学校では対応が難しいのです。例えばセキュリティーの面ですとか設備の面ですわね。

 必ずしも資産家の家である必要は無いのですが、私たちのいる普通科だとやはりそういった方々が多いのが実情です。

 美術や音楽のカリキュラムがある芸術科だと一般の、そうですわね、どちらかといえばご家庭での教育環境では才能を開花させることが難しい状況の方も多くいらっしゃいますわ」

「ただ、それだけに奇妙な選民意識を持った方もいらっしゃるようですが」

「穂乃香さまや壮史朗さま、それに生徒会長の琴乃さまといった由緒ある名家の方々はそのような浅ましい価値観はないのですけれど」

 

 黎星学園は入学金や授業料だけでなく、理事や父兄、OBOGの寄付で運営されているらしい。

 多くの資産家や実業家が名を連ねているだけに資金は潤沢で、だから才能を認められた特待生は学園に関わる全ての費用が免除になる。

 それ以外の生徒に関しては通常通り各家が規定の費用を支払っているということだった。

 もちろん陽斗は特待生ではないので重斗が全ての費用を支払っているし、普通の私立学校と比べても高額な費用が掛かるので、ある意味資産家の子女ばかりが在学しているというわけである。

 もちろん多くの資産家が学園の近隣に邸宅を構えているわけではないので学生寮もあり、そこで暮らしている生徒も多い。

 改めて凄い学校に通うことになったと陽斗は思ったが、重斗がここを勧めた以上は理由があるのだろうと自分なりに頑張っていこうと考えていた。

 

 早めに到着したのでそれなりにゆっくり話ができたのだが、それでも始業のチャイムは鳴る。

 陽斗は慌ててホワイトボードに張り出された席を確認してそこに座った。

 さすがに良家の子女ばかりとあって、チャイムが鳴ってからも話をするような様子はない。皆大人しく席に着き、担任教師が来るのを待っている。

 着席して数十秒、教室の扉が開き、教師が中に入ってきた。

 いよいよ始まると、緊張の面持ちでそれを見ていた陽斗だったが、教師の顔をみて驚く。


「全員揃っていますね。まずは、黎星学園高等部に入学おめでとうございます。

 今日から1年間担任を務めさせていただきます、筧 弘庸かけい ひろのぶです。担当教科は歴史。

 それから」

「初めまして、新しく黎星学園高等部でこのクラスの副担任を務めます、小坂 麻莉奈まりなです。

 赴任してきたばかりなので不慣れで皆様にご迷惑をお掛けすることもあるかと思いますが、よろしくお願いします。担当教科は数学となります」

 そう言って頭を下げたのは、陽斗の家庭教師だった麻莉奈であった。

 

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