第14話 入学試験

 1月27日。

 翌週には暦の上で春を迎えるが、実態としては一年で一番寒い時期である。

 空は晴れ間が見えているが、その分身を切るような冷たい風が吹いており、わざわざ好きこのんで出かけたいと思うのはウインタースポーツ好きくらいだろうが、それでも気分にかかわらず出かけなければならない人も当然居る

 

 陽斗の暮らす皇家の屋敷は朝から奇妙な緊張に包まれていた。

 というのもこの日が陽斗の第一志望である『黎星学園高等部』の入学試験日だからである。

 世界でも指折りの資産家であり国内外に大きな影響力を持っている重斗の力であればどれほどの名門校であろうが陽斗を入学させることなどは簡単なことだ。

 というか、陽斗のためだけに学校を作ることすら容易にできる。

 だが陽斗はそんなことは知らないし、そもそも高校入学に権力を使うこと自体想像の範疇にない。

 だからこそ重斗が勧めた『黎星学園』に合格するために懸命に努力を重ねていたし、重斗も周囲の者も不用意に安心させるようなことは言わず、実力で合格出来るようにサポートに徹していたのだ。

 それに、そもそも無理に入学させても学力が伴わなければ決して楽しい学校生活にはならないだろう。

 

 そんなわけで、家庭教師である麻莉奈の指導の下、多くの受験生と同様に一日のほとんどを勉強に費やしていたわけだが、この時期に偏差値を上げるというのは容易なことではない。

 偏差値というのは試験を受けた者の中でその人がどのくらいのレベルにあるかを数値化したもので、平均点ちょうどであれば偏差値は50となる。

 陽斗が志望する『黎星学園』の総合偏差値は70以上が求められていて、陽斗の学力を平均2、ある程度余裕を持たせるなら4~5は上げて総合偏差値72、3は確保しておきたい。

 だが偏差値73といえば大凡上位1.07%、72でも1.39%に入らなければならない。

 各地域で有名な難関進学校に合格出来るレベルであり、有名どころだと青山学院高等部が偏差値72だと言われている。

 

 当然だがこの時期になるとどの受験生も必死に勉強に打ち込んでいる。だから相当頑張っても簡単には偏差値は上がらない。

 事実、1月初旬に行われた模擬試験の結果では科目別平均で69、総合偏差値が70とギリギリ合格出来るかというレベルであり、試験日の他の受験生の調子次第でどうなるかわからない水準に留まっていた。

 その後は麻莉奈の『偏差値に振り回されないように』という方針で模擬試験は受けず、麻莉奈がチョイスする良問を中心に試験形式で問題を解き、弱点を潰し点の取りこぼしを無くすように勉強を進めてきたのだ。

 黎星学園の試験が終わっても2週間後には別の私立高校の入試、3月始めには公立高校の入学試験も受ける予定でいる。ただ、公立高校に関しては黎星学園の合格発表が2月終わり頃なのでその結果次第では受けないかもしれない。

 

「は、陽斗、なんだ、とにかく頑張ってきなさい」

「陽斗様、使用人一同ご健闘をお祈りしております」

 重斗と、比佐子を筆頭にメイド達が、黒服姿の執事達が勢揃いで見送るために整列していた。

(なにか、僕、戦争にでも徴兵されて行くみたい)などという感想が陽斗の脳裏に浮かぶが、普段から過剰に心配してくれている祖父と使用人達である。陽斗の人生の一大イベントである入学試験ともなればこうして激励してくれることもあるのだろうと、心からの感謝を込めて笑顔を浮かべて頭を下げ、試験会場まで送迎してくれる車に乗り込んだ。

 この後、メイド達は鼻血を出して倒れたり仕事が手に付かず高価な花瓶を粉砕したりと色々と大変だったようだ。

 

 

 

 入学試験は黎星学園の校舎ではなく、市の中心部にある公民館のような施設で行われる。

 会場へ向かうリムジンの中で陽斗は落ち着くことができず何度もカバンから受験票を取り出して確認したり、一番苦手な科目である英語の参考書を開いたりしていたが、当然頭になど入るわけがない。

 麻莉奈と彩音が付き添いとして一緒に来ており、気を紛らわせるために色々と話しかけたりもしたのだが、やはりそれもどこか上の空で曖昧な返事をするのが精一杯だった。

 

 移動すること40分。市の中心街に近い場所にある比較的新しい施設に到着し、麻莉奈と一緒に会場となる建物に入る。

 この日は試験会場として貸し切りになっているらしく、催し物を掲示しているパネルには『黎星学園高等部外部受験会場』とだけ書かれている。

 パネルの手前に受付が設置されており、陽斗が受験票を提示すると会場となっている部屋の場所を指示される。

 学力試験の会場は3つあり、受験番号で振り分けられているらしい。

 

 多くの私立高校の試験科目は3教科だが、黎星学園の場合は英語・数学・国語の3教科90分ずつの試験を午前中に行い、昼食を挟んで午後に1教科60分、歴史の試験がある。

 そして学力試験が終わると小休憩の後から面接試験という流れだ。

 受付を終えた後は付き添いの人とは別れ、試験を終えるか試験を辞退するまで建物から出ることはもちろん、電話やスマートフォンを使ってインターネットなどもできないらしい。

 昼食は弁当が配布されることになっているらしく、噂ではその食事のマナーや休憩中の態度なども選考の対象なのだとか。

 驚くべきことに、禁止されているにも関わらず、携帯電話などを持ち込むこと自体は制限されていないし、預ける必要もない。

 麻莉奈曰く、出来る出来ないに関わらず、決められたことを守れるかどうかも選考の基準となっている可能性がある、とのことだった。

 なので、もともとスマートフォンを持ち歩く習慣がない陽斗は自分の部屋に置いたまま持ってきていない。万が一の時に連絡が出来るように連絡先の番号を書いたメモはカバンに入れてあるが。

 

 案内図に従って試験会場に入る。

 学校の教室よりも一回りは広い部屋には長机が3列並んでおり、意外なことに一つの長机の真ん中に一つずつ椅子が置かれているだけだった。席の数は全部で20ほどしかない。

 3つの会場に均等に割り振られているとすると全体で60名ほどしか受験者が居ないことになる。

 もしかしたら他にも試験会場が設けられている可能性もあるが、推薦入試ではない一般入試でこれだけ受験者が少ないというのは何か特別な理由があるのだろう。

 当然、外部受験の合格枠自体も少ないのだろうと、陽斗は一層緊張してきてしまったのだった。

 

 開始時間が迫るにつれ、徐々に席が埋まっていく。

 こういった受験者には共通のことだろうが、陽斗には周囲の受験者が全員自分よりも頭が良さそうに見えてしまっている。

 それに、黎星学園の受験者の特徴なのだろうか、誰もが自信に満ちあふれているように感じられた。実際に陽斗のように緊張で顔が強張っている人はほとんど居ない様だった。

 ただ、時折興味深そうな視線が陽斗に投げかけられることがあったが、おそらくそれは陽斗の外見的な問題なのだろう。

 当の本人はそんな視線に気づけるような余裕は無かったが。

 

 やがて開始時間の5分前になると試験官の男性がふたり部屋に入ってきた。

「全員揃っているようですね。

 本日は黎星学園高等部の外部入学試験に来て頂き、ありがとうございます。

 まず、本日、この時をもって入学試験が開始されたと思ってください。

 我が黎星学園は将来の国を担う人材の育成を教育方針として掲げています。それは単に学力だけでなく人間性においても優れた人材であることを表しています。

 試験中だけでなく、試験後も、もし合格し我が校の生徒となってからは全ての生活でそれが求められています。

 ですので、選考の基準は『黎星学園の生徒として相応しいか』どうかです。

 それを理解し、努力される方の入学をお待ちしています」

 

 試験官の言葉に全員が真剣な顔で頷いた。

 陽斗も『黎星学園の生徒として相応しい』のがどんなことなのかわからないまでも、夢にまで見た高校受験であり、合格出来れば高校生活を始めることが出来るのだ。精一杯重斗の期待に応えられるように努力するつもりである。

「それでは試験問題を配ります。

 開始の合図までは問題を開かず、解答用紙に受験番号と名前を記入して待っていてください」

 お決まりの台詞と共に、試験が開始された。

 

 

 3教科の試験を終えると食事休憩に入る。

 場所はそのまま試験を受けた席である。

 部屋の一番前に置かれた箱から自分の分の弁当とペットボトルの水を取り、席に戻って開く。

 深さのある正方形の弁当の中身は色とりどりの料理が美しく盛りつけられており、別の容器に俵型のおにぎりが入れられていた。

 一般的な幕の内弁当ではなく松花堂弁当と呼ばれる種類だろう。普通に考えて試験会場で出されるような物ではない。

 今の家に来てから少しずつ食事量が増えてきた陽斗だったのでなんとか完食することが出来てホッとする。

 食事も選考に含まれるかもしれないと聞いていたので残さずにすんだのは幸いだった。

 

 食事を終えて弁当箱を元の箱の中に戻し、机の上をウエットティッシュで綺麗に拭いておく。水滴などが残って答案用紙が汚れてしまっては大変だ。

 一連の作業を終えて使用済みのゴミをバックのポケットに仕舞い、ひと息つく。

 ようやくほんの少し緊張がほぐれてきた感じだ。

 試験の半分を終えたことで周囲を見回す余裕が生まれる。

 といっても、休憩時間も選考対象と言われているので話をしたりしている人は誰もいない。

 陽斗にしても、少々人見知りの傾向があるので誰かに話しかけるような勇気はないし、こんな時に話しかけられては相手も迷惑だろうと視線を巡らすだけだ。

 それに休憩時間にもかかわらず試験官のひとりは部屋に居残っているから尚更である。

 

 身体を解しがてら視線をあちこちに向けていると、ひとりの受験者と目が合う。

 ハーフだろうか、彫りが深くはっきりとした面差しの大人っぽい女の子である。

 彼女は陽斗と目が合うと、ニッコリと笑顔を向けてきたので陽斗ははにかみながら会釈を返した。

 

 午後になり、最後の学力試験が行われた。

 高校の入学試験としては珍しく、幕末以降の近・現代史が中心で、日本だけでなく日本と関わりのある欧米諸国やアジアの歴史も範囲となっている。

 なので一般的な教科書や参考書での勉強では難しく、麻莉奈が入手した過去問題を中心に勉強してきた。ただ、陽斗は元々歴史関係の本を読むのが好きだったこともありさほど苦労することなく問題を解くことが出来たように思えていた。

 

 そして、いよいよ黎星学園の入学試験で最も重要だという話の面接が始まった。

 面接は集団面接ではなく個別で行うらしい。

 受験番号で6つの個室に割り振られて順に面接を行い、終わったらまた元の試験会場に戻って待機。

 全員の面接が終了してから最後に今後の説明が行われ、解散という流れだ。

 面接をする部屋の前の通路に椅子が並べられており、そこに座って名前を呼ばれるのを待つ。

 面接に関しては、どんなことを聞かれるのか、言われるのかはまったくわからない。だから麻莉奈としても対策の立てようがなく、とにかくハキハキと聞かれることに答えることと、答えられないことは「わかりません」とはっきりと告げるようにだけ言われた。

 

 陽斗の前の受験者が呼ばれ、どんどん緊張が増してくる。

 そしてとうとう陽斗の番が来た。

 前の人はあっという間に終わったような気がしていたが、実際にはわからない。

 陽斗はドアが開かれ名前を呼ばれてから立ち上がり部屋に入っていった。

「よろしくお願いします!」

「うむ。掛けてください」

 部屋に入ってすぐに深々と頭を下げる陽斗。

 

 部屋の中は長机が一つ置かれ、その向こうにふたりの男性が座っている。

 その手前にあったパイプ椅子に陽斗は座る。

「ん? ああ、君が西蓮寺君か。ああ、失礼。気にしないでくれ」

 受験者に関する書類なのだろう、それらを目にしながら正面の面接官が言う。

 事前に何か聞いていたかのような口ぶりだったが陽斗にそれを気にする精神的な余裕は無い。

 

「そう固くならないように、と言っても難しいでしょうが、まぁ慌てなくても大丈夫ですよ」

 そう言って優しげな眼差しで陽斗を見る面接官。

 その隣に座っているもうひとりの面接官も穏やかそうな雰囲気だ。

 面接が始まっても、特に厳しい言葉を投げかけられることもなく、黎星学園を志望した理由やこれまでの学校生活のことなど通り一遍の内容を訊かれる。

 陽斗はそれらに素直に、丁寧に答えていく。そこに印象を良くしようという気持ちはない。

 陽斗にはどんな答えが正しいのか分からないし、自分があまり普通の生活というものを知らないという自覚もある。だから、誤魔化すこともなく訊かれたことをただ答え続けた。

 時には『こういった場面にはどうしますか?』などといった心理テストめいたことを訊かれたりもしたが、これにも率直に思ったことを話すことができた。

 

 陽斗にとっては長く感じられた面接が終了し、試験会場に戻る。

 何かが抜け出てしまったかのように放心してしまった陽斗だったが、時間というのはどうしていようが関係なく流れていく。

 全員が試験会場に戻ってきてからほとんど時間を置かずに試験官が部屋に入ってきて、今後のスケジュールに関して説明を行い、黎星学園の入学試験が終了したのだった。

 

 陽斗が建物から出ると、すぐ目の前で麻莉奈と彩音が出迎えた。

「お疲れ様でした、陽斗君」

「陽斗様、お疲れ様です」

 なんの心配もいらないというふうに笑顔で迎えたふたりに、陽斗も笑顔を見せる。

 そして、ふたりに向かってピョコンと頭を下げた。

「あの、ありがとうございました。とりあえず黎星学園の試験を終えることが出来ました。まだこの後もよろしくお願いします!」

「そうね。次は滑り止めの私立、それから大丈夫だとは思うけど、一応公立高校の準備も頑張りましょう」

 麻莉奈の言葉に、決意を新たにした表情で陽斗は頷いた。

 

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