第二節 自分そのもの

 ムヌケがルマの見合いに同席し始めてから数日がたった頃。

 ムヌケの不安は的中し、あの日から次々とやって来る見合い相手を二人で見定め続けた結果、ルマたちは惜しい人すら見つけられずにおり、婚約者探しは困難を極めていた。


「…………」


「…………」


 場所はヘターム商会本部の別館にあるルマの自室。

 その場の空気は前回とは比べ物にならない程重くなっており、今どちらかが口を開けば今日のお見合い相手の感想しか出てこないため、敢えて両者は黙っている状況だった。

 痺れを切らしたルマが叫ぶ。


「もぉおお! 帝国はこんなにも広いというのに、どうして良い男の一人も居ないの!?」


 いっそ従属国を含めた、帝国全土を巡る旅にでも出ようかとも考えていたルマだったが、ルマたちのように実力主義の帝国では有能な者ほど帝都に集まるのが自然の流れとなっており、徒労に終わるだけだとムヌケや両親に止められていた。


 確かに一昔前までは、確かな実力を持っていても出世欲が無いため、帝都に来ない者も大勢いた。

 しかし、今の皇帝側はそれを見越しており、その者の家族や推薦した者に対して破格の褒美を提示することによって、今ではすっかり優秀な人材は帝都に集まっている状態となっていたのだ。


 今の帝国で地方や従属国に優秀な人材が居るとすれば、それは帝都から派遣された者だろうし、ルマはそんな人たちとはとっくに会っていた。

 因みにその会った結果というのは、相手方の名誉の為に言わぬが花というものだろう。


「お嬢様。今やヘターム商会はこの帝国で一番の商会です。私が思いますに、今までのお見合い相手は貴族や将来性のある庶民の方が殆どでしたが、そろそろ武人の方にも目を向けられてみてもよろしいのではないでしょうか」


 ルマはムヌケの言葉遣いで自分が未だ正装だったことに気が付くと、急いで着替えを始め、着替えながらムヌケに向かって発言した。


「一時は私もそう思ったのよ? けど、私が今まで見た中での一番の武人は、未だ変わらずゼノン将軍なのよね……。あの人以上の人がいるとしたら、もうすっかり有名になっているはずだし、時間の無駄だから、それまでは武人とは会うまでも無いかなって」


「それでしたらゼノン将軍はどうなのですか?」


「無理。私より弱いもの」


 そう即答で淡々と言うルマだが、対するムヌケの方もあまり驚いていなかった。


「そうなのですか……」


 ルマがムヌケに向かって両手を広げ、早々に着替えが終わったことを伝える。


「ええ。というか、ムヌケもそうなのよ? 単純な力だけじゃなくて、将来性とか全部も全部。というか、ゼノン将軍って既に結婚されているじゃない。妾の方もいらっしゃるし、考えるまでも無いわ。……あーあ。いっそムヌケが男の子だったらなぁ~。私と同じくらい強いし、優しいし、何よりも私だけを愛してくれそう!」


「えぇ?」


「ほら、幼い時から仕えている女の子に惹かれる幼馴染の執事見習いの少年とか、おとぎ話みたいで素敵じゃない?」


「……う~ん」


 想像してみるムヌケだったが、それでも自分は変わらずルマに対しての忠義と、命を救ってくれた事による恩以外の心を持たないだろうと思い至り、首を横に振った。


「ありえないわね。もし仮に私が男だったとしても、今のような関係だったと思うわ」


「そっかぁー…………嘘でも頷いてくれてもいいじゃない!」


 ムヌケはその力の影響もあってか、人のつく嘘に対してひどい嫌悪感を抱いており、自分がされて嫌なことを他人、ましてやルマにしないと言えば分かりやすいだろうか。

 自分の嘘は相手への不義だと、この八年間でムヌケがルマを含む全ての人に対し、謙遜などの小さな嘘さえ言ったことは、これまで一度としてなかった。


「……ふふっ。ごめんね」


 唸るように不満を口にするルマに対し、ムヌケは軽く握った手で口元を隠しながら笑う。

 そんな美しい顔で微笑むムヌケに、ルマは男性が女性のどこに惹かれるのかを悟った。


 それまでの一連のやり取りにより、見るからに落胆するルマだったが、すぐに気持ちを切り替える。

 皇帝やゼノンを凌ぐ『自分たち』より強く、独身なのはもちろんのこと、優しくて自分に対して一途。

 そんな人物が存在するのかも怪しく、ルマ自身この頃から、その途方もない確率を前に、ある程度の妥協を視野に入れ始めていたのだ。


「そういえば、明日のお見合いってどうなっているの?」


「先日お話しした例の商会の御子息。二人居りますが……弟の方ではなく、兄の方ですね。……明日のお相手はこの方お一人だけですので、普段より比較的早めに終わると思われます」


「ムヌケ。また戻ってる」


「…………」


 不意に明日の日程という業務の話を持って来られたため、無意識に仕事口調に戻して話してしまうムヌケ。

 そんな若干の窮屈さを感じながらも、使用人としてのムヌケは主人の要望なのだからと素直に割り切るのだった。




 そして翌日。ルマはいつもの様にムヌケと二人で、本部の本館にあるいつもの部屋で相手方を待っていた。

 状況は、ルマが部屋中央に対となって置かれている片方の長椅子の中央に座り、ムヌケはその向かいの席の後方辺りの壁際で両手を前に組み、茶汲み一式の横に立つ形だ。


 しばらくすると時間になり、相手はムヌケの右側面の壁にある扉から入室して来た。

 部屋に入ってきた今日の一人のみの相手というのは、ヘターム商会と同じく帝国四大商会の一つに数えられ、新参者であるヘターム商会とは違い、何代にも渡ってその確固たる地位を築いてきたイカヘーケ商会会長の嫡男。

 まさしく御曹司だった。

 歳は十八で、十四歳のルマとしてもまだまだ許容範囲。

 ヘターム商会が帝国四大商会の筆頭とはいえ、決して蔑ろにしては良い相手ではなく、今日のお見合いがこの者一人だけだったのも、時間を気にしないための配慮だった。


「すみません。待たせてしまいましたか?」


 開口一番に相手がルマにそう謝罪する。

 時間はむしろ予定時刻より少し早いくらいなのだが、相手は準備万端なルマの様子を見て、予定より遅く来たと錯覚していた。


「いえいえ、時間通りです。それに、待つのは嫌いではありませんのでどうぞお気になさらないでください」


「ありがとうございます」


 相手はルマに対してお礼を言うと、主人の後方で控えていない前方の使用人に目を向け、それを少し不審に思いながらも、ルマに促される形で向かい側に腰を下ろす。

 そして礼儀ばかりの挨拶の後、会話が始まった。


「ルマさんは未だお若いのにもかかわらず、その年で商会の業務に携われているとお聞きしました。素直に尊敬します」


「いえいえ、実際はそんな大層な事ではなく、今はまだ簡単な雑務が中心です」


「充分凄いことですよ! ルマさんは普段業務以外では何をなされているんですか?」


「そうですね……。最近は、七年ほど前に寿退職した商会の侍女から教わった裁縫を……」


 この時、話の内容はともかくとして、ルマはどこまで本心かは分からないが、自分を女性だからと甘く見ず、久しぶりに普通の話を振ってくれた相手に対し好感を抱いた。


 確かにルマは、タレクにより寿退職となったオンノから、授業の合間に教えられていた裁縫を嗜んではいた。

 しかし実際の所、体を動かす方が業務での鬱憤を発散するのに最適だと発覚してから、ルマは裁縫よりも、商会の中庭でムヌケと共に秘密裏に木剣での打ち合いをよくしていたのだが、これはわざわざ素直に話すことでは無い。


「ルマさんはヘターム商会会長の一人娘ですからね。色々大変なんじゃないですか?」


「え?」


 そう聞かれたのは今までのお見合いの中で初めてだったため、ふとそう聞き返した。


「寄ってくる者は自分の家の富を狙って来る者ばかりで。けれども商会にかかる迷惑を考えれば強くも出られませんし……」


 ルマは互いに同じ苦労を感じている相手に共感を覚え、ムヌケの方も相手が嘘を言ってないのか、いつものような合図を送ってこない。


 この時、ルマの中には可能性が芽生え始めており、相手は自分やムヌケどころか、父よりも遥かに劣っていたが、この際自分が目を瞑ればいいと思っていた。

 相手は自分と同じ豪商の御曹司で、他の者と比べて富が目当てで近付いて来ていることは無いだろう。

 ルマ自身、一家だけでは使いきれない裕福さが原因で、金銭的欲求はもう既になくなっており、両親共に、相手に求めているのは家柄ではなく人柄だったが、やはりそういった人は必然的に同じ立場の者に絞られるのだと、そうひしひしと感じた。


「……お互い大変ですね」


「いえいえ! 自分は親が凄いというだけで、私自身はまだ何もしていません。それを言うならルマさんの方が凄いですよ。ヘターム商会は八年前まで地方の一商会に過ぎなかったのに、今や帝国の誰もが知る程に急成長を遂げたんですから」


「私は、何も……商会で働いてくださっている方々の努力の賜物です」


 謙遜をしようとしたルマだったが、ムヌケが視界に入った事で主旨を別へと移す。


「それだけではないはずです。私自身驚いたのですが、ルマさんは六歳の頃から商会に携わっていたと聞き及んでいますよ?」


「…………?」


 ルマは六歳から商会の新人採用の際、テルと共に面接の場に同席していたため、その不自然さから噂になっていてもおかしくはない。

 だがこの時、ルマは自分でも知らない内に、相手に対しての違和感を覚え始めていた。


「あなたが商会に関わり始めた時期と、商会が急成長した時期が偶然にも重なるんですが、果たしてこれは本当に偶然なのでしょうか?」


 誰よりも察しの良いテルを父に持ったルマは、既に結論に至った自分に言い聞かせる。

 そんなはずはない。相手は自分と同じで、一生かけても使いきれない富を持て余しているのだ。自分でももう結構と思う程なのだから、きっと相手もそうなのだ、と。


「何がおっしゃりたいのですか?」


「私はヘターム商会がこれ程までに異例の成長を遂げたのは、あなたの類い稀なる商才によるものだと確信しているのです。あなたには他の誰にもない何かがあるのでは、とね」


「……今回のお見合いを希望されたのはそのためですか?」


「いやまさか! 私はもう今の生活で充分に満足しています。流石に私もこれ以上は望みませんよ」


 ルマの質問に対し、相手は間を置かずにそう返答する――その時だった。


「――!!」


 その瞬間、今まで相手の後ろで微動だにしていなかったムヌケが、相手の視界外であることを逆手に取り、体の前に合わせている両手を逆に組み直す。

 ルマに合図を送って来たのだ。

 ムヌケのその合図を、視線はそのままに視界の端で捉えると、ルマの体はまるで凍り付いたかのように固まり、先程まで心の中で抱いていた違和感は確信へと変わった。


 ルマは目の前にいる男の強欲さに、これでもかというくらい呆れていた。

 相手は自分と同じ大商会の御曹司で、年季の違いなのだろう、単純な総資産で言うと自分たちのヘターム商会とほぼ同等の資産を持っている。

 にもかかわらず、目の前の男はまだ満たされていないというのだ。


 ルマの中にある呆れは次第に嫌悪に代わっていく。

 気付いてしまったのだ。

 自分が愛する人を求めていたのに対し、相手はただの商売の道具を求めていたのだという事に。


 その後も、ルマはその日の見合いが終わる時間まで相手との会話を続けるが、それからの会話の内容はよく覚えていなかった。




 見合いも終わりの頃合いとなり、相手は挨拶を済ませると帰って行った。


 部屋にはルマとムヌケが残され、最初に口を開いたのは他ならぬムヌケだった。


「……酷い人でしたね。今まで商会の財産目当てに来る者たちの中には、お嬢様の容姿も気に入る方が多かったですが、あれはその、なんと言いますか……」


 対するルマは一度出そうとしていた言葉を飲み込み、それとは別の言葉を言った。


「まあ……良いんじゃないの? 少なくともあの人は私にしかないものに惹かれたってことでしょ? それだけでも一歩前進したって感じね!」


 てっきりルマからは重々しい反応が返ってくると思っていたムヌケは呆気にとられる。


「そ、そうですか? お嬢様がそれでいいのでしたら私は構わないのですが……」


 ムヌケから見てルマは嘘をついてはいなかったが、何かを内に押し込んでいることは感じ取ってはいた。

 しかし、結局それが何なのかは、この時のムヌケには分からなかった。


「でもまあ。今回の件で庶民と貴族には期待できないって分かったし、後は武人の方に賭けるしかないわね。明日から当分の間はお見合いを全部白紙にするようにお父様にお願いしに行かないと! さっ、行きましょうか。ムヌケ」


 口調と同様に軽快に席を立ち、ムヌケを連れて会長室へと向かう為、部屋を出るルマ。

 しかしこの時、一見して活気良く見えるルマだったが、その心中はムヌケの感じ取っていた通り、ルマ本人でさえ許容できない程の苦悩に満ちていた。


 容姿や家の財という魅力は、自分を上回る者が長い年月を経た後で現れると、全くの意味をなさなくなるが、自分が持っている力に限っては、ルマは唯一性を感じていた。

 確かに今日の相手はルマにしかないものを求めていたし、ルマとしても相手に求めるものの一つが、他の誰でもない自分を愛してくれる事だった。

 それなのにどうしてルマは今苦悩しているのか。

 それは先程、ルマの持つ力とは無関係の、ルマの『胸の奥にある何か』が、その唯一性に惹かれた者を拒んだ事にあった。


 先に言っておくと、ルマは自他ともに認める面倒臭い性格の持ち主だ。

 そんなルマは今回、自分の唯一性に惹かれた人物をいざ目の前にしたその時、ふと考えてしまったのだ。――突然手に入れたこの力が、もしある日突然使えなくなってしまったのなら、相手は変わらず自分だけを愛してくれるのだろうか、と。


 もし違うと言うのなら、それは自分の容姿や家の財目当ての者らよりもタチが悪い。

 今まで自分自身の個性を表していたものが一気に崩れ、ルマは一つの壁にぶち当たる。

 相手にはありのままの自分を愛して欲しいが、そもそも本当の自分とは、自分そのものとは一体何なのだろう。

 イカヘーケ商会の御曹司とのお見合いの日から、ルマはそう考えるようになるのだった。

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