第17話
いつものように夕方に山の手前に来ると、今まで見たことのない犬がそこにはいた。
「おや、珍しいね。ここに犬がいるのは」
「かわいいわね。おいでおいでー」
珍しいものを見る顔で静人が見ている横で、かなではその場にしゃがみこんで手招きして待つ。犬は首を傾げるしぐさを見せた後、とてとてと近づいてくる。
「警戒心が少なすぎないか? よしよし」
「この子飼ってもいいかしら!?」
「いや、まぁ、飼うのはいいけど。ここに来るとき一人ぼっちになってしまうよ?」
「あ……、それはさすがに可愛そうよね。でも、こんなに人懐っこいのに飼い犬とかではないみたいだし……」
犬の首を見ても首輪は見当たらず、不思議そうな顔をしているといつもの時間になりもみじが現れた。
「お兄さん、お姉さん。こんばんは! 迎えに来たよ……? あれ、お師匠?」
「も、もみじ……。この人間は」
「え!? え!?」
急に話し出した犬に目が点になり動揺するかなでとは対照的にそこまで驚いた様子を見せなかった静人がかなでに近寄る。それで落ち着いたのか首を傾げながら犬を見る。犬はかなで達のことに気が付いていないのかもみじと話し込んでいた。
「お兄さんとお姉さんだよ!」
「いや、そういうことを聞いてるのではないのだ。というか、もしかしてもみじ達の正体を知ってたりするのだ……?」
「もちろん、知ってるよ!」
「教えたらダメだとあれほど……」
「でも、おうちにたどり着いた人で正体を見破った人には教えていいってお師匠が」
「え!? ばれたの! うそ、ホントに?」
口調の崩れたお師匠に対して何も反応しないまま普通に話しかける。
「ホントだよ! 狐の私を見てもみじちゃん? って言われたもん!」
「おうちにたどり着いたのなら大丈夫か……。それに嫌な臭いはしないのだ」
「あ、お兄さんお姉さん! 家に上がって!」
静人達はもみじと一緒にいつものように家に向かい、その後ろから犬がついてくる。犬も先程までの動揺はなかったかのように話しかけてくる。
「ふむ、人間よ。わしのことはお師匠と呼ぶがよいのだ」
「分かったわ。とりあえず撫でていい? あと、いろいろと言いたいことがあるんだけど」
「う、うむ? 分かった。もみじ、先に家で待ってなさい。私は少し話してから行くのだ」
「分かった! お兄さんお姉さんまたね!」
もみじは駄々をこねることなくすぐに頷くと、笑顔で手を振りながら家の中に入っていった。それを確認した後犬は静人達に向かい合う。かなでは犬が離れられないようにしっかりと抱きしめながら撫で始める。犬は気にしないことにしたのか先ほどまでと違い厳かな口調で話し始める。
「それで、聞きたいこととは何なのだ?」
「お師匠はハンバーグ食べたことある?」
「うむ? 無いが……、あ! いや、ある! あるぞ!」
「ホントに? じゃあ、どんな味だったか教えて?」
「うむ、その、温かくてだな。肉汁があふれてだな……」
犬は慌てた様子で説明しようとしていたが、じーっと見てくるかなでの圧力に少しずつ声が小さくなっていき、最後には俯いたまま声が聞こえなくなった。かなではなんとなく予想していたのかため息をついて犬の頭を優しくなでる。
「お師匠、ホントは食べたことないでしょ?」
「……うむ」
「なんで嘘ついたの?」
「……もみじ達ががっかりすると思って。お師匠なのにそんなのも食べたことないのって、がっかりさせたくなかった。また仲間外れにされるのは嫌だから」
「仲間外れ? もみじちゃん達に?」
「違う! もみじ達はそんな子じゃない! 昔の話だ、昔の」
「そんなに力強く否定できるなら信じてあげればいいのに」
「それは……」
「まぁ、分かるけどね。信じたくても信じきれないのは。私たちだってそうだもの」
犬の頭を優しくなでる。犬は言葉に詰まりながらもうつむいていた顔を上げ耳を傾ける。
「そうなのか? お前たちも」
「そうよ。私だって信じたいけど信じきれなくなることだってあるわ。それでも、信じているんでしょ? だったら最後まで信じなくちゃね」
「最後まで……、うん。そうだな。信じる。わしはな、本当はもみじ達のお師匠じゃなくて友達になりたかったのだ。でも、一人きりで寂しそうにしてるもみじを見て、このままだと死んでしまうって思って頑張ったらな、お友達じゃなくてお師匠になっておったのだ」
悲しそうな笑みを浮かべる犬にそっとよりそって頭を撫でる。
「そう……。今は? お友達になりたい?」
「当たり前だ! お友達になって一緒にいたいのだ……」
「それなら、お友達になりましょう。簡単よ、お友達になりたいって言えばいいの。意地を張らずに素直にね」
優しくなでてくるかなでに、犬は心許したのか目を細め気持ちよさそうな声をだし、しばらくして気持ちが固まったのか起き上がりやる気をみなぎらせていた。
「うむ。頑張ってみるのだ! ありがとう、人間」
「お兄さんお姉さんでいいのよ? お姉ちゃんでもいいわ」
「ふふ、それならお姉ちゃんと呼ぼう。わしのことは桔梗と呼ぶのだ」
桔梗と名乗った犬は、優しく光ったかと思うと人の子供の姿になっていた。髪の色と瞳の色、巫女服の色までもが桔梗色のもみじ達より少し身長の高い女の子だ。
「桔梗ちゃんね。よろしく。抱っこして運んでいい?」
「さすがに恥ずかしいからいやなのだ。そんな姿で今までお師匠と呼んでくれたものの前に出るのはな……。今からもみじ達のところに行って友達になってくる。お姉ちゃんたちは少し経ってから来てほしいのだ」
「分かったわ。待っているから友達になったらこっちに来なさい」
「うむ! では行ってくるのだ!」
元気な声で走り出した桔梗に手を軽く振って送り出す。しばらく時間が経った後、満面の笑みの桔梗が出てきた。その後ろからもみじと青藍がついてくる。
「えへへ、お友達が増えたよ。しかもお師匠!」
「まぁ、前からなんとなく察してたけど」
「え? 察してた?」
「友達になりたいのかなって。さすがにここまでしてくれるから他に目的があるって思ってたんだけど……」
「ふふふ、無くてびっくり?」
「うん。私たちを食べたりするのかと思ってた」
「そんな風に思われてたのだ!?」
驚愕のあまり大声を出し取り乱す桔梗に、青藍は表情を変えずにため息をつく。
「だって、あまりにももみじちゃんに都合よすぎたし」
「むぅ……、これからは気を付けるのだ。これからは友達……なのだ?」
「うん。よろしく。お師匠。……桔梗のほうがいい?」
「できれば桔梗のほうが嬉しいのだ」
不安そうに手を差し出す桔梗に、ためらいを見せることなく手を取る青藍。そのことに嬉しそうににやける桔梗だったが、次の青藍の言葉に少し固まる。
「分かった。桔梗、よろしく。というわけでおにいさん、今日はハンバーグがいい」
「いきなりだね。食材は別のを用意してたんだけど……、しょうがない」
何となくハンバーグが食べたい理由を察した静人は、頬をかき苦笑しながらも青藍の期待のまなざしに負け、最後には承諾した。かなではここに残ることにしたみたいで、静人だけがハンバーグの材料を買いに出かける。
「ハンバーグ! お師匠! お兄さんたちのハンバーグはとてもおいしいんですよ!」
「そうか、それは楽しみなのだ。その、もみじもわしのことは桔梗と呼んでもいいのだぞ?」
「桔梗? うーん、あ、桔梗お姉ちゃん!」
「お、お姉ちゃん……。うむ、それはそれで……。いや、じゃが、お姉ちゃんは友達として認識されておるのか……?」
「どうしたの? 桔梗お姉ちゃん?」
「うむ! 何でもないのだ!」
「結局お姉ちゃんになっちゃった。まぁ、いいよね。桔梗、私は友達」
「うむ! ……やはりお姉ちゃんはお姉ちゃんなのだ?」
「あんまり気にしなくてもいいとは思う。多分、年上だから呼び捨てにしてないだけ」
「見た目の年齢で考えたらそうかもしれんが、本当の年齢はわしとあまり変わらんだろうに」
「まぁ、精神年齢は見た目通りだから。しょうがない」
「そう言われるとそうなるのかのう。気にせんでもよいか」
桔梗は気にしてもしょうがないと悟ったのか頭を振って疑問を追い出す。
「よかったね、桔梗ちゃん。あ、そうだ、もみじちゃん。ここってかまどとかってある?」
「あるよ! あ、でも、最近は使ってないから掃除しないと無理かも」
「そうなの?」
「うむ? 昔は使っておったろう?」
「料理しようにも、食材が、ついでに言うと包丁とかもないし」
「私一人だけなのに料理を作るのはもったいない気がして」
「あれ? 青藍ちゃんは一緒にいなかったの?」
かなでは青藍を見ながら首を傾げると、もみじが首を横に振りながら答える。
「青藍ちゃんは青藍ちゃんで自分の家があるから。前はたまにやってきて遊ぶだけだったから」
「遊んで、夜になる前に帰ってた。たまにお風呂借りてたけど」
「今では毎日来るようになったよね!」
「お風呂があって、ご飯があるのに来ないわけがない。あ、あともみじちゃん」
「なんか私だけついでみたいな扱い。青藍ちゃんだし仕方ないか」
「諦められた。おにいさんまだかな」
「しず君もさっき出たばっかりだしね。もう少し待っとこうか」
「しょうがない、待つ」
「えへへ、楽しみ」
「早く食べたいのだ」
「今更だけど、ハンバーグ食べたことないって教えたの?」
「うむ、さっき全部言ったのだ。怒られたのだ……」
「だって、嘘ついてたってことだし。嘘はダメ」
「う、うむ、ごめんなのだ」
「まぁ、見栄っ張りなのは分かったから話半分で聞いとく」
青藍の言葉に呆然としている桔梗だったが、言い返せなかったのか口をパクパクさせるだけで何も言わなかった。そんな調子で、四人で話しているといつの間にか時間が経っていたらしく急にもみじが立ち上がると走りだした。
「あら、しず君が帰ってきたのかしら。……忘れてたわ」
「おしゃべりが楽しいからと言って、自分の旦那のことを忘れるのはどうなのだ?」
「おにいさん可哀そう」
「う、ふ、二人だって忘れてたでしょ?」
「ご飯のことを忘れるわけがない」
「私はまぁ、そこまで接点がないからのう。しょうがない」
「青藍ちゃんにとってしず君ってご飯の人なの?」
「それだけではないけど。うーん、父親みたいな?」
「ということは私がお母さんね!」
かなでが胸を張って嬉しそうにしていたが、青藍はキョトンとした顔でそんなかなでを見ていた。
「え? おねえさんはおねえさんかな」
「なんでー!?」
「そういうところだと思うよ? かなで」
呆れた声を出しながらもみじと一緒に静人が近づいてくる。
「あ、しず君おかえりー。もみじちゃんもおかえり」
「ただいまー!」
「ただいま。料理作るから手伝ってね、かなで」
「はーい。もみじちゃん達は?」
「今日はどうしようか」
「一緒に作りたい! 桔梗お姉ちゃんに食べてもらうの!」
「お、おう……」
「嬉しそう。え、私も?」
桔梗がもみじの言葉に顔をほころばせている横で青藍が驚いた声を出して自分の顔を指差している。驚いた様子だったが、逃げるのは無理だと悟ったのかうなだれながらも静人についていった。桔梗はそわそわしながらかなでについていった。
「桔梗ちゃんは私と一緒に食器出しておこうか。これも立派な手伝いだからね」
「分かったのだ」
そわそわしながらもかなでの後ろについていき一緒に準備をして待つことにした。
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