頭ん中バグってんじゃないの

睦月紅葉

怒りという感情の出処

 未来。

 エックス商事で働くワイ氏は、今日も今日とて1番大きな窓のある会議室でだらしのない部下を怒鳴りつけていました。

『報告は簡潔にわかりやすく!』

『そんなこといちいち聞くんじゃない!』

『どうしてそれを上司に相談しないんだ!』

 叱られた部下はみな一様に『すみません!』とコメツキバッタ。萎縮しきってしまって、さながらその姿さえも一回り小さく見えるほどです。

 ワイ氏は、憤懣やるかたないといったふうに会議室のチェアに腰かけ、まるでそこが玉座と言わんばかりにふんぞり返って、今後の社会を憂います。

 

 ワイ氏のプライベート。仕事一筋だったワイ氏ですが、奥さんがいます。ここでは、『ワイフ』としておきましょう。

 ワイ氏は家にいる間、何もしません。電源を切られたロボットみたいに、ただ無為に同じチャンネルを流し続けているテレビの前に横たわっているばかりです。ですが、完全に無反応という訳ではありません。ワイフが家事をしていれば避けますし、買い物があると言えば『おう』と返事をします。

 それだけではありません。きちんと自分から意志も発します。

『飯!』

『風呂!』

『寝る!』

 ワイフは、そういったシンプルな注文に対し、いつも柔和な笑みで『はいはい』と速やかに食卓を飾り付け、湯を沸かし、寝床を整え準備をします。ワイ氏は、ワイフのことを、よく働いてくれていると感心しています。口にはしませんが。

 

 『退職、おめでとうございます!』

 社員一同に見送られ、ワイ氏はエックス商事をあとにしました。今日はワイ氏の定年退職日。ずっと働いてきた会社に別れを告げなくてはなりません。ワイ氏は周りの面々を眺め回しました。皆、満面の笑みです。ワイ氏の新たな出立を、心の底から歓迎しているのでしょう。ワイ氏は大いに気を良くして、にっこりと大きく頷き、がっはっはと笑いました。皆も、ワイ氏が聞いたことないくらい明るい笑い声を上げました。その日はみんなハッピーでした。

 帰宅後。ワイ氏が異変に気づいたのは夜のことでした。

『飯!』

『飯!』

『おい!飯!!』

 どれだけ叫んでも、食卓は一向にからっけつです。ワイ氏が寝室を見に行くと、ワイフが横たわっていました。ワイ氏は憤慨します。

『飯!』

 ワイフは黙するばかりです。

『おい!聞こえないのか!!飯だって言ってんだろ!!』

 ワイフはなお、黙するばかりです。

『もういい!おれを無視するなんていい度胸だ』

 ワイ氏は肩を怒らせ、勢いよく寝室のドアを閉めました。ワイフは最後まで、沈黙を貫きました。


 ワイフの死が発覚したのは、その1週間後のことでした。


 葬儀を終えたあと、ワイ氏は帰宅しましたが、いつも通りの日常は待っていませんでした。息子が常に一緒にいるのです。ワイ氏は面白くありませんでした。それはなぜなら。

『飯!』

『今仕事してるから、30分くらい待っててくれよ父さん』

『飯!!』

 このように、ワイフの代わりが来たのにも関わらずも、すぐには食卓が彩られず、湯船に湯がたまらず、寝室が乱れたままだったからです。

 やがてワイ氏の息子は、申し訳なさそうに一人の男を連れてきました。

 男は、何やら精密そうな機械や工具をたくさん持っていました。ワイ氏の家へ上がり込んだ男は、躊躇なくワイ氏の延髄あたりを探ります。すると、なんということでしょう。今まで喚いて暴れていたワイ氏は、ぐったりと動かなくなってしまったのです。男は、ワイ氏の息子に尋ねます。

『こういった症状は以前から?』

『ええ。恐らくは。母はとても柔和で温厚な人だったので、トラブルにはなっていなかったようですが······』

『なるほど』

 男は、ふむ、といったふうに少しの間顎に手をやり悩むポーズ。やがて、持ってきたバッグから機材を取り出しました。

『私が確認してもいいかな?』

『ええ』

 ワイ氏の息子が了承すると、男は手にした機材でワイ氏の頭を開けてしまいました。それはあまりにも淡白な動作で、無理やりどころか、元々開くように出来ていたかのようです。そして、普通の人間であれば脳があるべきところに······。これまた何やら複雑な回路が組み込まれていました。ワイ氏の息子もこれを知っていたのか、反応は薄いものです。

 男は尋ねました。

『ワイ氏が脱却手術を受けたのはいつ頃かね?』

 脱却手術、というのは、現在、世界の6割ほどの人間が受けている手術のことです。正式名称を、生体反応脱却手術。

 過去、あまりにも爆発的に広がったウイルスがありました。そのウイルスの怖いところは、症状のランダムさと感染のしやすさ、そして変異のしやすさでした。当時の人間のテクノロジーでは、そのウイルスに打ち勝つ免疫を獲得したり、特効薬を開発することは出来ませんでした。ですが、その代わりに、『ウイルスにかかる生身の肉体を捨て、記憶や意思を義骸に組み込む』手術がメジャーに行われました。それが脱却手術です。

 ワイ氏の息子は答えました。

『40年くらい前のことだと思います』

『ふゥン······では初期も初期だね。定期メンテナンスなどは?』

『会社での定期検診は受けていたようですが、本格的な回路スキャンなどは行っていなかったようです』

『なるほどね』

 いくつか質問を交わしながら、男はワイ氏の頭の中を弄ります。

 しばらくそういった作業が続いたあと。ワイ氏の息子は尋ねました。

『父は、健康になりますでしょうか?』

 無情にも、男は首を横に振ります。

『そんな』

 無表情に嘆くワイ氏の息子。男は回路の中のひとつのパーツを指し示します。

『これがエラーの元になっていてね。入出力端子なんだけれども』

『ええ』

『これにはいくつか種類があって······といっても、ワイ氏の購入した時期には2つしか出回っていなかったでしょうが』

『その2つというのは?』

『単独入出力専用端子と並列処理入出力端子。国民の多くは後者を推奨されたんだよ』

『父のものは?』

 問うワイ氏の息子に、男は詳しく説明をはじめました。

『前者だね。この端子は、いわゆる会話などの受け答えを司る部分になっていて、ここに生身の身体の記憶の多くを保存しているんだ。それはどの種類でも、今の入出力端子でも変わらない』

『はあ』

 頷くワイ氏の息子を見て、男は説明を続けます。

『そして、ワイ氏の単独入出力専用端子だけれども、こちらは非常に安価なもので、脱却手術の際のエコノミーパックにのみ組み込まれていたもののようだね。アフターケアや動作保証などが一緒についていないやつ。ワイ氏の手術は40年前。手術の過渡期に行われている。本来であれば、正当な手続きを踏んで、より後に開発されたより性能の良いものに乗り換えるのが普通だけれども、ワイ氏のものは初期ロットのままなんだよ』

『すると······どうなるんです?』

『平たくいえば、前時代的な人間になる。当たり前だけれど、生身でないとはいえ人間社会。重視する考え方や世代ごとの価値観は違う。そういうものへのアップデートを物理的にかけていくのが、この時代のスタンダードだよ』

『今から、並列処理入出力端子に変えることは出来ないのですか?』

 ワイ氏の息子の質問に、男はこれまた首を横に振ります。

『無理だろうね。当たり前ながらこれは相当古く、既に廃盤となっている型なんだ。本来であれば、段階的なモデルチェンジをかけるべきなのだが······ほら、ここを』

 男はワイ氏の頭の中をライトで照らしました。ワイ氏の息子は身を乗り出し、そこを覗きます。見れば、古く錆び付いた回路は、その一部は溶けてさえいるように見えます。

『そう、このように、長年の使用によって磨耗、劣化してしまっている。何度もオーバーヒートしたのだろう。回路の一部が焼き切れてすらいる。これでは、正当な交換は不可能だよ』

 男はワイ氏の息子に向き直ります。

『単独入出力専用端子は、本来であれば【AならばB】【AでなければC】······という処理が可能なものなんだ。でも、ワイ氏のものは既にエラーを起こしていて、【AならばB】【Aでなければ参照先が見つからない】というように、はじめに出した仮定が間違っている、という判断をそもそも行えなくなっている。これではまともな生活を送れっこないよね』

『じゃあ······父が今まで生きてこれたのは』

『周りの人に、相当恵まれていたんだろう。ワイ氏の言うことに我慢するか、YESと言うか、そんな人しか周りにいなかったのかもしれないね』

 ワイ氏の息子は愕然として声も出ません。その様子を見た男は、憐憫の情を多分に含んだ声で言いました。

『······どうするかい?このまま、再起動しないことも出来るけれど』

『再起動······しない?』

 繰り返すワイ氏の息子に言い聞かすように、男は屈んで目を合わせます。

『正直、ワイ氏の状態の改善や復旧は不可能に近い。一か八かで手術をするにしても、それはもとの回路をすげ替えることになるから、記憶や意思がもとのワイ氏である保証はどこにもない。······単刀直入に言おう。ワイ氏は、すでに人間としては死んでいると言っていい』

『な······』

『例えば、脳死状態や植物状態の人間を生きていると定義付けることは出来るかな?······まあ、定義のしようにもよるとは思うけれど、正常な実生活を送れているとは言い難いだろう。ワイ氏もそうだ。自分が頓珍漢な認識や反応をしていることを、自分自身で認識できなければ反応もできていない。まだ、先にあげた脳死や植物状態ならば救いはある。奇跡的な回復の余地があるのだから。ヒトの身体、生命力というのは未だ我々自身の理解を超えている部分がある。けれどね、ワイ氏の場合はそういう訳にもいかない』

 あくまで冷静に語る男に心ならずか気圧されたように、ワイ氏の息子は黙ります。情だけで反論できるような問題でないことを、ワイ氏の息子は理解したのです。

『むしろワイ氏のこの状態は【故障】と言える。それも、代替パーツもない、知識を持つエンジニアもいない、オーパーツの故障と言ってもいい。きみは、この時代の科学者の粋を結集したとして、壊れたアンティキティラ島の機械を完全に元通り直せると思うかい?』

 ワイ氏の息子には、男が何を言っているか、半分くらいしか分かってはいませんでしたが、彼の真剣さは重く受け止めていました。

 暫くの間、沈黙が場を支配しました。そのうち、その重さに耐えられなくなったのか、はあ、と一つ大きなため息をついてから、ワイ氏の息子はとうとう口を開きました。

『僕は······父のことを、何も知りません。仕事一辺倒で、家庭を顧みないひとでしたから。僕も、それを当たり前だと思ってましたし、父を、ただ父という立場でしか見ていませんでした。父の趣味や好きな食べ物、お気に入りの店や若い頃の思い出話一つ、聞いたことがありませんでした。ただ、父という役目をこなしているワイという人間を尊び、敬い、立てていたように思います』

『ふむ』

『僕の半分は、ろくに知らない相手をどうして心配するんだ、と思っています。それと同時に、もう半分は父を息子が見捨てるのもおかしいと主張しています』

 目線をあちらこちらに漂わせながら、必死に言葉を探して語るワイ氏の息子の様子に、男は時折頷いたりしながら続きを促します。

『倫理的な常識と、論理的な情。僕には、どちらを優先するべきか、分からないのです』

『ふゥム······』

 男は腕を組みます。ワイ氏の息子の告白は想定外でした。少し悩んで、男は答えました。

『あくまでも社会的な判断をするなら、だ。正直、君の父······ワイ氏は、大衆に歓迎されるような人間ではない。先に言った通り、回路のエラーがそのまま彼の立ち振る舞いをおかしくしてしまっている。当然、周りの人間はそれを見て良くは思わないだろう。恨みこそ買うことはなかったかもしれないが、損得勘定や立場を抜きにしてワイ氏を慕っていた人間は、数少ないだろうね』

『はい』

『キミもなんだろう?だからこそ、実の父を【処分】するかどうかの決定権を持ちながらも、それを手のひらの上で無為に転がす羽目になっている』

『······』

 ワイ氏の息子は押し黙りながら、ふと目を閉じた父を見ます。ワイ氏の息子の記憶にはない、とても安らかな表情でした。ワイ氏の息子は、ワイ氏が不機嫌であるか、退屈そうにしている表情しか見た事がなかったので、なんだか胸がぎゅっとなりました。できるならば、ずっとこのままで······安らかでいて欲しいと、本心から思いました。

『あの』

『ゥん?』

『父を······ワイを、このまま眠らせてあげてください。息子である、僕からのお願いです』

 先程とは打って変わって、毅然とした表情で男を見つめ、頭を下げるワイ氏の息子。男は尋ねます。

『本当にいいのかい?先程まであんなに焚き付けておいて、こんなことを言うのはナンセンスだと我ながら思うのだけれど······ふつう、親には生きていて欲しいと思うのが子の心というものではないのかな?』

『それは、本当にそう思います。父がどんな人であれ、どんな人か知らないとはいえ、生きていて欲しいです。死んで欲しくはありません。ですが、それはあくまで健康に楽しく、という前置きがあった上でのことです。常になにかに怒り、不満を感じ、思い通りにならないと思いながら生きていくということを考えると、僕はそれを、死ぬことよりも恐ろしいことだと思うのです。できるならば、この安らかな顔のまま、憤る必要など無くしてあげたい』

 なので、お願いします、と再度頭を下げたのを見て、男はワイ氏の息子の決心とその揺るがなさを知りました。男は意識的に目を閉じ、開いて、一秒、呼吸を止めて深く吐き出しました。

『······わかった。それでは、ワイ氏は私が責任を持って安楽死させよう』

 男の言葉にワイ氏の息子は一瞬、動揺しましたが、口を真一文字に閉じたまま、動きそうになる目線を何とか抑えて震える瞳で父を見つめます。そして、すっと男に向き直ると、無言で三度、深く深く頭を下げました。

 男も、何も言わずにワイ氏の身体を抱え、目を瞑りました。今度は、長いこと瞑っていました。

 暗闇の中で、男は考えます。実の息子にさえ、【生きている方が辛い】という判断をされるワイ氏のことを。実の父親に対し、個人という立場と息子という立場で思い悩んだワイ氏の息子のことを。

 男はこの道のベテランです。数多くの義骸をメンテナンスし、数多くの回路を組み上げ、数多くの手術を成功させてきました。それでも、何度経験しても、やはり一人の人間を······人間だったものの電源を永遠に落とす、殺すというのは、慣れるものではありません。慣れてはいけないと感じていました。

 暗闇から帰ってきた時、目の前にあるのは自身が抱えているワイ氏の肉体。ワイ氏は、男の腕の中で姿勢よく目を瞑っています。ワイ氏の息子が言う通り、ワイ氏はリラックスして眠っているように安らかな表情です。

 ······それでは。

 男は、誰にともなく心中で呟き、震える右手の指先で、先程触れた延髄、その奥にある義骸の主電源スイッチを探り当てます。皮膚におおわれていないその人工的な部分に触れ、その重さを実感します。決意が揺るがぬうちに、男は延髄の人工的なスイッチを押し込みました。意外な程に、軽い感触でした。

 ずしっと、男の腕には命ひとつ分の重みがかかりました。

 

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頭ん中バグってんじゃないの 睦月紅葉 @mutukikureha

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