よろこんで!②

 大量の酒が小さな身体のどこに入っているのかと、リュウは不思議でならなかった。

 するとコンコが虚ろな目をしたまま、スクっと立ち上がった。

「おしっこ」

「厠は奥に」

と言ったそばからズボンに手を掛けた。

 リュウは血相を変えてコンコの手を引き、奥の厠に押し込んだ。


 用を済ませたコンコは鉢を取り、一目散に樽へと向かうと、入れ替わりに巨大な白狐がぬおっと現れた。

 コンコの後見、鎌倉の佐助稲荷である。

『嫌な予感がしたので来たが、まさかうわばみと呑み比べとは……』

「佐助、コンコは強いのか?」

『いくら呑んでも潰れぬ、翌日にはケロッとして何ひとつ覚えておらん。ザルというよりワクだ、酒を受け止めもせん。ただ……』

「酒乱なのか……」


 注ぎ終えてこちらを振り返ったコンコがハッとして、ビールが邪魔だと一気に煽り、佐助に飛びつき号泣した。

「あああああ! 佐助さぁぁぁぁぁん!」

『よしよし、どうした、コンコ』

「もふもふだぁぁぁ! 気持ちいいよぉぉぉ!」  

 泣く理由はなかった。酒癖の博覧会である。

『コンコの尻尾も、もふもふしておるぞ』

「……本当だ」

 泣き止むと再びビールを取りに行き、リュウの膝へと戻ってきた。もう、すっかり定位置だ。


 んくんくんくんくんくんくんくんくんく……。


 リュウが干した鉢を見下ろしていると、コンコがニヤリと笑って見上げてきた。

「リュウ、僕の……見たでしょう?」

 恐らくズボンに手を掛けたときのことだ。すぐ厠に連れて行ったから、肌は少しも見ていない。

「見ておらぬ」

「ええ〜? かまいたちのときはぁ!?」

「尻尾を巻いて、隠しておっただろう」

 コンコは膝の上でくるりと回り、リュウと正面で向かい合う形となった。

「七沢だぁ! 七沢で見たぁ!」

 リュウが視線を逸して黙り込んだので、コンコはくるりと回って膝に座り、ニシシと笑いながら脚をバタバタさせていた。

 背後では佐助が牙を剥き、唸りを上げている。これ以上余計なことを喋るなと強く念じた。


 助平〜助平〜破廉恥侍、と歌いながらビールを取りに行くコンコを見兼ねた佐助が、勝負を終わらせると言って工場を出ていった。

「あれ? 佐助さんは?」

「出ていったが、じき戻ってくるだろう」

 ビールを煽ったコンコは、艶っぽく瞳を潤ませリュウの膝に正面から座り、腕を首に絡ませた。胸が高鳴りそうだったが、吐息の酒臭さで平静を保つことが出来た。

「ねぇ、リュウは僕をどうしたいのかな……?」

 耳元で囁かれる声が、リュウの心をくすぐる。

「サトリが言っていたでしょう? もう、リュウったら、何を考えているのかな……」

 コンコの指が、リュウの胸板をくりくりといじりはじめた。佐助がいたら、命がない。


 コンコが突然、うわばみを指差した。

「うわばみぃ! こんな薄い酒で満足するな!」

『その通りだ、こんな勝負は早く終わらせろ』

 帰ってきた佐助の一言に、もう終わりかとコンコはぷぅっと頬を膨らませた。

『違う、うわばみに言っている。こんな勝負は、やめた方がいい。コンコは底無しだぞ』

 目が点となり、開いた口が塞がらないうわばみに、コンコはビールを流し込んでゲラゲラ笑い、自身も鉢を呑み干した。


 佐助はふたりの元へ行き、酒樽をいくつも並べはじめた。コンコは期待の眼差しを向け、尻尾を踊らせている。

『横浜で手に入れられた諸国の酒だ、これで勝敗を決するがいい。やめておくなら今のうちだぞ』

 コンコが舌舐めずりしながら鉢を差し出すと、うわばみもそれに続いた。


 まず注がれたのは、西洋の茶色い酒だ。ふたりとも軽々と呑み干したが、コンコはいい香りだと満足している。

 これだけ呑んで味がわかることが、リュウには信じられない。コンコは酒乱というだけで、本当に強いのだ。

 次は中国の赤い酒。色が綺麗だと、コンコは上機嫌である。これも、ふたりによって一瞬で空けられた。強く珍しい酒が嬉しいのだろう、コンコは大人しく呑んでいる。

 そして朝鮮の白い酒。

「もしかしてだけど、これって日本のどぶろくなんじゃないの?」

『違うぞ、マッコリと言うそうだ』

 佐助が用意した酒のどれを呑んでも、ふたりの調子はまったく変わらない。このまま朝を迎えてしまうのだろうか。


 佐助が仕方なさそうに朱塗りの手桶を差し出すと、コンコが飛びつきよだれを垂らした。

「これこれ! やっぱりこれだよ!」

 注がれる酒の塩梅に、コンコは上出来上出来と尻尾を振った。注ぎ終わりが待ち遠しいのかウズウズしている。

 手桶からポタッと雫が落ちた瞬間、コンコは鉢に口をつけ、うわばみもそれに追随した。


 んくんくんくんくんくんくんくんくんく……。


「やっぱり、日本のお酒が一番だね」

 幸せそうに口を拭うコンコのそばで、うわばみが鎌首をぐるぐる回し、ついには仰向けに倒れ、いびきをかいた。

 酒量のせいか、チャンポンしたせいか、最後の酒が御神酒だったせいかは、わからない。とりあえずコンコが勝った。

「生き血を出すぞ。コンコ、祝詞を頼む」

「たらまなあらに」

高天原たかまがはらに、だ。しっかりしろ」


 尻尾の先を斬ると、本当にビールが出てきた。ふたりが空にした樽に詰めると、佐助がリュウに話し掛けてきた。

『リュウ殿は酒を呑まぬのか』

「ああ……あまり好かんのだ」

 春風楼で用心棒を務めていたとき、遊女たちに浴びるほど呑まされた。

 翌朝、気付くと遊女たちと寝床にいた。

 主人の耳に入ればクビでは済まない。頭を下げて口止めをすると同時に、金輪際酒は呑まないと誓い、それきりだ。


 生き血を出し切り、抜け殻になったうわばみを封じると、コンコは「眠い」と言って横になり、気持ちよさそうに寝息を立てた。

『リュウ殿、迷惑を掛けたな。あまり使いたくはないが、今日はあまりにひどい。コンコにこれを飲ませるといい』

 佐助はリュウにふたつの丸薬を手渡すと、鎌倉に向かい走り去った。


 コンコはゲッソリして目を覚ました。

「頭痛い……ゔぁぁ気持ち悪い……」

 コンコにお灸を据えようと佐助が渡したひとつは、頭痛の種。酒が抜ければ治まるから、放っておいていいそうだ。

 助けを求めてリュウに目を向けた瞬間、コンコの顔から火が吹いて、頭のてっぺんまで布団に潜り簀巻きの芋虫になった。

「僕は何ていうことを……」

 ふたつ目は、恥の種だ。呑んでいたときの記憶が呼び起こされるそうで、このようにしっかりと効いている。


「酒はたしなむ程度が一番だな」

 手間のかかる神様に、リュウは酔い醒ましの粥をお供えした。

 これでコンコの酒乱も治ることだろう。

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