よろこんで!①

 高島の依頼を聞いたリュウは、あやかしの仕業とは思えず顔をしかめた。

 ビール会社の経営が苦しいから、調べてほしいというものなのだ。

「商いのことは知らぬが、あの見た目では売れぬだろう」

「今は身を引いているが、私は商売人だ。リュウさんの言うように時期尚早かも知れないし、帳簿を見たが給金の割に売値が安すぎる。見直すように進言した。しかしな」

「しかし……?」

「工場から酒樽が盗まれていたのだよ」


 リュウが眉をひそめて、泥棒なら警察の仕事だと言いかけると、それを遮るようにコンコが立ち上がって食いついた。

「間違いなく、あやかしの仕業だよ! リュウ、早速夜警をしよう!」

 ふたりは言葉を失うほどコンコに圧倒された。輝く瞳とよだれから目が離せない。

 依頼を受けてくれたことは、ありがたい。ただ去りゆくコンコの尻尾が嬉しそうに踊っており、高島は一抹の不安を覚えるばかりだった。


 産業としてのビールは明治2年、横浜山手に工場を建てたノルウェー生まれのアメリカ人コープランドの手による。

 コープランドが作ったビールは、東京や長崎に出荷されるほどの評判となるが、近隣に出来たビール会社と価格競争になってしまう。

 このままでは共倒れになるからと、2社はこの明治9年に商事組合を結成するが、わずか3年半で解散。経営不振も祟り、ビール会社を公売に出すが、コープランド自身が購入する。

 しかし経営不振は解消することなく、再び公売に出されて明治18年、ビール工場はジャパンブルワリーが購入。現在のキリンビールである。


 見回りのため、工場へと入る。

 大きな金属樽がいくつも並び、それらが金属管でつながっている。味噌や醤油や酒を仕込む木樽を想像していたふたりは、本当に酒を作っているのかと疑うばかりだ。

 そんな樽の隙間から、蛇の尻尾が覗いていた。

 これはもしやとコンコが掴み、引っ張り出すと丸太のような大蛇であった。

「やっぱり……。うわばみだよ」

「本当に、あやかしの仕業だったのか」


 うわばみは、不快感を露わにした。気持ちよく伸びていたところ、突然引きずり出されたのだから当然だ。

『よくも邪魔をしてくれたな。子狐も侍も、まとめて丸呑みにしてくれる』

 うわばみが鎌首をもたげ牙を剥いて威嚇する。

 リュウは刀を抜いて、コンコは巫女装束に変化した。

 いざ、勝負!

 体勢が整ったところで、うわばみは不敵な笑みを浮かべながら、酒呑みらしい提案をしてきた。


『と、思ったが俺を斬っても減った酒はそのままだ。呑み続けたから俺の血は、すっかりビールになっている。俺が負けたら生き血を樽に詰めればいい、俺が勝ったらふたりもろとも丸呑みにしてやる。どうだ、呑み比べをしてみないか?』


 生き血がビール? そんなことがあるものか、呑みたいだけではないだろうか。

「何を馬鹿な「受けて立とうじゃないか!」

 再びリュウを遮って、コンコが勝負に名乗りを上げた。尻尾は嬉々として跳ねており、瞳は爛々らんらんと輝いていた。呑みたいだけではないだろうか。


 コンコとうわばみでは、口も身体もまるで違いすぎる。勝負を公平にするため、お互い1杯呑み干してから、次の分を呑むことにした。

 盃代わりの鉢に注いだビールを見つめるコンコの顔が苦々しい。やはり黄色く泡立つ見た目が嫌なのだ。

 300年を生き、御神酒も呑む稲荷狐のコンコであるが、10歳ばかりの見た目が良くない。本当に大丈夫かと、リュウはハラハラしている。


 うわばみが鉢を咥えて、カパッとビールを飲み干した。

『どうした子狐、早く次を呑ませろ』

 コンコは鉢に口をつけ、ちょぴっとなめて味を見た。

「ぶべー! 苦ぁあー! まずぅぅぇぇえー!!」

 眉間にしわ寄せ涙を浮かべ、舌を出したコンコの様子が、うわばみには面白くて仕方ない。

『大人の味というやつだ。子狐は子供らしく甘酒でも呑んでいろ』

 カチンときたコンコは両手で鉢を持ち上げて、舌舐めずりするうわばみを睨みつけた。

「さっきから子狐子狐うるさいんだよ! 今に見てろ!」


 んくんくんくんくんくんくんくんくんく……。


 コンコが呑み干した鉢を誇らしく掲げると、うわばみは「やるな子狐」と満足そうにしていた。リュウは呆気にとられ、床から立ち上がれない。

 

 それから2杯3杯と呑み続け、5杯目にして様子が変わった。

 ビールを注いだ鉢を持ったコンコは、リュウの膝に腰掛けた。目はトロンとし、顔全体がポーッと赤くなっている。身体が熱くなっているのも、よくわかる。

「さすがに、しんどいか?」

 稲荷狐の神様とはいえ、こんな小さな身体だ。リュウは、丸呑みにされてから倒す方法を考えることにした。

 コンコはビールを呑み干した。

「ずぇんっぜん! しんろくらんかないのら!」

 どう見てもダメそうなコンコは、空の鉢を手にしてビールを注ぎに行った。


 樽のビールを注ぐコンコは、並んで注いでいるうわばみに激しく絡んでいた。

「おらー! 呑んでるか、うわばみー!」

 バシバシと背中を叩かれたうわばみは、コンコにすっかり閉口している。

「うわばみぃ、お前全っ……然酔ってないな!?」

『お、俺は呑み足りないんだ! 早く呑め、子狐め!』

 言われたそばからコンコは鉢を干して、次の酒を注いだ。うわばみは慌てて酒を煽る。見ているだけで悪酔いしてしまいそうだ。


 地獄絵図の終わりが見えず震え上がるリュウの膝に、酔わないお酒はつまらないと不機嫌そうにブツブツとつぶやきながら、コンコが当たり前のように腰掛けた。

 リュウは強く祈った。

 早く終われ、と。

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