秘仏の阿修羅ちゃん②

 入ってきたのは仏像だった。自ら歩いているのではない、誰かが後ろから押しているのだ。

 そんなことを微塵も気にすることなく、リュウは仏像を眺めはじめた。

「これは吽形、あの阿形の片割れか!」

「見とれている場合じゃないよ! リュウ、刀を構えて!」

「これを斬れとは、酷なことを……」

 惜しそうな顔をするリュウに、コンコは苛立ちを隠せなかった。まったく、どれだけ仏像が好きなんだ。

「そうじゃないよ! この仏像を誰かが押しているんだって!」


「そうだ、わしが押しておるのだ」

 吽形の影から姿を現せたのは、見覚えある老人だった。

「赤い靴……」

 そう、コンコに赤い靴を贈った老人。

「青い金剛石……」

 そう、ふたりに相応しいと青いダイヤモンドを贈った老人。

「そして今度は金剛力士像だ。ここの主人が廃寺のものを買い付けた」


 リュウは柄に手を掛けたまま、動けずにいる。

 コンコも祝詞が思い浮かばず、青ざめている。

 そうしているうちに、吽形は蔵の中へと運び込まれた。

 老人は額の汗を拭うと、吽形をしげしげと眺めはじめた。

「ここの主人は、ものの価値がよくわかっておるわい。どの仏像も一級品だ。しかしお若いのも、ずいぶん詳しいのう」

「仁王は慶派が一番だ。たくましい身体、憤怒の表情、今にも動き出しそうではないか」

 違う! こんなことを言いたいのではない!


「その通り、見向きもしない日本の民の気が知れぬ。まったく、嘆かわしいことだ」

 口を開こうとすると、舌がしびれそうになる。放つ言葉を選ばされているようだ。

「この仏像は、みんなお前が売ったのか」

「左様。廃寺にあったものだ、二束三文の値しかつけられないが、打ち捨てられるより遥かにマシだ。ふたりとも、そう思うだろう」

 確かにコンコもリュウも同じことを思っていたが、今はこの老人に同調するのは危険に感じて、言葉を発せぬようにギュッと口を結んだ。


 コンコが唇を震わせながら、必死になって自分の言葉を発した。

「人を、襲う仏…像を売り、つけたな!?」

 それだけ言うとコンコは目を見開いて、苦しそうに肩を上下させていた。


 老人は片眉を上げ、知らぬ素振りをしている。

「人を襲う? さあ、どうだろうな」

 言葉にならぬ言葉の代わりに、コンコは老人を睨みつけた。それでも老人は喜怒哀楽のひとつもなく、淡々とした態度を変えずにいる。

「何、西洋人の信心が足らぬだけだ」


 立ち去ろうとする老人に、コンコは胸を抑えながら声を掛けた。

「何、者なん…だ! 名を……名乗れ!」

 扉に手を掛けたところで足を止め、チラリと目をやりポツリとつぶやいた。

「人はわしを、ぬらりひょんと呼ぶ」


 扉が閉められた瞬間、強張っていた身体から力が抜けて、吊り糸が切れるように崩れ落ちた。

「コンコ、ぬらりひょんとは何者だ」

「人の心に入り込むあやかしだよ。勝手に人の家に上がり込んで、知り合いとして振る舞うんだ。家の人も、知り合いと思って接してしまう。ある意味、一番恐ろしいあやかしだよ」

「コンコ! 逃げろ!」

 ついに吽形が動き出した。

 棚の隙間に逃げ込むコンコは諦めて、リュウに狙いを定めてきた。


 リュウを目掛けて拳が幾度となく飛んでくる。

 紙一重で何とか躱しているが、これがリュウの精一杯だ。

 耳元をなぶる風切音に戦慄させられる。

 これが当たれば命はない。

「コンコ! ここに厨子が無いか探してくれ!」

 小さな身体を隙間隙間に潜り込ませて、コンコは厨子を探し回った。

 厨子と言っても、その大きさは様々だ。大きなものは大人の背丈ほど、小さなものなら手で提げられる。


 ふと、赤い光が目についた。

 厨子に納められた手の平ほどの仏像が、その目を輝かせていたのだ。

 あれだ! あれに違いない!

「リュウ! 見つけたよ!」

「秘仏だ! 扉を閉じて封じろ!」


 吽形の拳を躱すリュウの姿が遮られた。

 毘沙門天が立ちはだかって剣を抜き、切っ先をコンコに向けてきた。

 ヒィッ! とコンコはうめくと厨子の扉を勢いよく閉め、札を取り出し貼り付けた。

 コンコ目掛けて振りかざした剣は、リュウの頭を砕こうとした拳は、すんでのところでピタリと止まって固まった。

 ふたりともヘナヘナヘナとへたり込み、力ない乾いた笑いを上げていた。


 朝になったら蔵の主人が来る約束だ。異様な形の仁王像と不動明王、毘沙門天に囲まれて、秘仏を前に時が過ぎるのを待っていた。

「お世話になったお坊さんって、東京の?」

「……うむ。幼い頃から世話になっていたのだ。動乱の折には仏門に入るか相談したこともある」

 リュウは寝転び、幼い頃に思いを馳せた。

「へぇ。リュウにも、そんなときがあったんだ」

「今は廃仏毀釈だ、どうなっていることか……」


 ゴロンと横を向き、閉ざされ封じられた厨子を見つめた。

「しかし、何が納められていたのか……」

「手がいっぱい生えていて、怒った顔で」

 ガバっと起き上がったリュウは「阿修羅か!」と声を上げ興奮していた。

「御開帳はいつなのか……是非とも見たい。寺を突き止められないだろうか」

 子供のようにワクワクしているリュウの姿に、コンコはやれやれと両手を広げた。

「リュウのは信心じゃなくて、煩悩だよ」

「同じことを坊主に言われて、諦めたのだ」


 リュウは再び寝転び、ガッカリしていた。本気で仏門に入ることを考えていたらしい。

「今は稲荷神の氏子うじこでしょう? 僕をもっとうやまってよね」

「コンコをか?」

 リュウは意外そうな顔を見せてから、いたずらっぽく笑いかけた。

 コンコは怒った素振りをしてみたが、どうしても笑顔がこぼれてしまうのだった。

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