勢揃い狸御殿③

 隠神刑部は強かった、さすが八百八狸の主。

 小さななたから繰り出される斬撃は、熊のように力強い。リュウが押される格好だ。

 一瞬の隙を突いて刀を振るが、ひらりひらりとかわされてしまう。

 今は傍観しているが、隠神刑部を斬ってしまえば化け狸たちが一斉に襲って来るかも知れない。

 そう判断してコンコは祝詞を唱えないのか、刀は輝く気配がない。

 チラリとコンコに目をやると、部屋の隅で背中を向けて、手で顔を覆い丸くなっていた。


 リュウが「ちょっと待ってくれ」と隠神刑部に休戦を申し出て、コンコの元に向かっていった。

「コンコ、何をやっている」

「だって……隠神刑部さんが……」

 少しだけ覗かせた顔は真っ赤になっており、隠神刑部に視線が合うと、キャッと微かな声を出し再び壁を向いてしまった。

 リュウの斬撃を、伸ばした金玉袋で躱していたのが見ていられなかったらしい。


 困ったものだとリュウがため息をつくと『これで終わりか』と隠神刑部が煽ってきた。

 封印を諦めて、リュウは刀を構えた。

 この一物はなまくらだ、急所に当たらなければ死ぬことはない。隠神刑部の心を折れば、化け狸たちが襲って来ることもないだろう。 


 だが命を取りに来る隠神刑部と、急所を避けるリュウとでは、斬撃の鋭さに差があった。

『侍、手を抜いているな!? この無礼者め、本気で掛かって来い!!』

 こちらも同じようにしなければ倒すことは叶わなそうだが、それで急所に当ててみろ。

 化け狸たちが一斉に金玉袋を伸ばしてみれば、コンコはこの場を逃げてしまうに違いない。

 苦しいところだが、勝ち方を選ばなければいけないのだ。


 それが仇となった。

 隠神刑部は机に飛び上がる。鉈を狙って刀を振るが、そこから更に飛び跳ねた。

 リュウの頭上を舞う隠神刑部、上段に構えた鉈が、脳天目掛けて襲いかかる。

 すぐさま刀で受けの姿勢を取りに行く。

 刃よ、間に合え!


 コォォォォォォォォォォォォオォンンン……。


 間に合った。

 が、当たったのは鉈ではない。

 交わる刃の間には、分福茶釜が挟まっていた。身体の茶釜が振動し、頭も手足も尻尾まで、ビリビリブルブルと震えている。

 分福茶釜がポトリと落ちると、その音に驚いたたぬおも、化け狸たちも、隠神刑部でさえも気絶した。

 震えが止んだ分福茶釜は、狸をひとりずつ揺り起こしたので、コンコもリュウも同じようにして手伝った。


 隠神刑部を起こした分福茶釜は、辺りを見回しながら説得を試みた。

『見てください、少しの音でも気絶するほど狸は臆病な獣なんです。刑部様、狸は戦に向かない獣なのです』

『しかし、山を荒らす人間に屈服するなど!』

 ここでも、天狗や鬼と同じ葛藤があったのだ。

 文明開化を享受するコンコとリュウは、複雑な気持ちでたたずむことしか出来なかった。


 この場を動かしたのが、たぬおだった。

「そんな難しいことは考えないで、仲良くしたらいいんですよぅ」

 考えた結果、1日ぼーっと過ごすことになったから、妙な説得力がある。

「巫女さんのご飯を食べれば、みんなの気持ちも変わります。ご飯と寝床があることが一番の幸せですよぅ」

 ご飯と聞いて、狸たちが一斉に腹を鳴らした。


 そうと聞いては、居ても立っても居られない狸たち。たぬおの後を着いていき、元町の神社へとやって来た。

 小さな神社だ、境内は狸で埋め尽くされた。

「まぁ! こんなにたくさん、どうしたの!?」

 出勤早々驚かされた巫女に、早速たぬおがすり寄っておねだりしはじめた。

 コンコがいると巫女は隠神刑部でさえも蔑ろにするだろうからと、ふたりは物陰から様子を覗うことにした。

「何やら、有耶無耶になっただけの気がするのだが……」

「100年先を見据えるなら、100年考えればいいんじゃないかな?」


「おはようございます、巫女さん! みんな私の友達なんです、お腹を空かせているので、ご飯を作ってくれませんか?」

「宮司さんたら。お米が無くなっちゃうわ」

 そう言いつつも、巫女は狸に合う大きさの握り飯を作りはじめた。

 たぬおは巫女のそばで、分福茶釜が沸かした茶を淹れながら、狸の寄合について話をしていた。

「そんなに大事なことなら、話してください。私に出来ることがあれば、手伝いますよ」

「巫女さんは優しいですねぃ、うへへへへ」


 化け狸たちは、美味しい美味しいと言いながら握り飯を頬張っている。

「最後になって、すみません。隠神刑部様は身体が大きいから、一番大きいおにぎりですよ」

 隠神刑部は『かたじけない』ともごもご言って握り飯を一口かじった。炊き加減も握り具合も、硬すぎず柔らかすぎず、塩味も狸に丁度いい。

 礼を言おうと巫女を見つめると、朝日を浴びて輝く微笑みに心を奪われ、言葉が喉に詰まってしまった。

「巫女さん、お腹が苦しいんですぅ。新しい袴を縫ってくださいよぅ」

「宮司さんのは食べ過ぎです。少し節制してください」

『この装束も、そなたが繕ったのか』

「ええ。狸に合う着物は、どこの呉服屋にもありませんもの」


 隠神刑部は少しうつむき、ガバっと顔を上げて巫女の肩を掴んだ。意を決したことが、手に取るようにわかる。

『そなたは美しい、そのすべてがだ。今、逢ったばかりだが、心から美しいと思える』

 突然のことに、巫女は丸くした目を泳がせた。

「刑部様、どうしたんですか、急に」

『驚くのも無理はない。しかし俺にとって、これは運命さだめとしか思えない。どうか俺と夫婦になってほしい』

 隠神刑部の情熱的な告白に、巫女は困りながら頭を下げた。

「せっかくのお気持ちですが……」


 急な話だから無理はないし、やはり種族の壁は高すぎる。そう思ってみたものの、消え入りそうな言葉の続きに、淡い期待を胸にした。

「私は狐が好きなんです」

 種族の壁は呆気なく崩れ、新たな壁が立ちはだかった。

「狐でもコンコちゃんに限ります。幼いながらも男と女の魅力を兼ね備えて、どちらでもないから神々しくて、ぴこぴこ動く耳、ふさふさの尻尾、おいなりさんに輝く瞳、抱きついたときの困った顔、薄い肩、薄い胸板……」

 一時は茫然自失だった隠神刑部。巫女が身悶えしながらする話を聞くうちに、わなわなと全身を震わせはじめた。

『どこだ稲荷狐!! 巫女殿を賭けて勝負せい!!』

「コンコちゃんがいるの!? どこどこどこ!?」

 よだれを垂らして駆け出す巫女に、隠神刑部は軽く踏み潰されてしまった。

 これは不味いことになったと、コンコとリュウは神社をこっそり後にした。

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