ゲーテ座の怪人①

 高島は、ちょっと困った顔をしていた。

 横須賀と鎌倉の報告を終えると、コンコが興奮気味に猫の会議を話すからである。

「あんなにたくさんの猫、初めて見たよ! 戸塚中の猫が集まったのかなぁ!」

「そんなにたくさん、か。しかし戸塚で猫とは、何かあったような……」

 ずっと何かを話したそうにしていた高島に気を遣い、横浜に変わりはないかとリュウが尋ねた。

 高島は思い出す素振りをして、そうそう、と話を切り出した。

「山下に西洋の芝居小屋があるのは、知っているかい?」


 横浜居留地に暮らした西洋人は娯楽を求めて、仮設の劇場を設けて素人芝居や音楽会を楽しんでいた。

 これに続いて中国人が、同志戯院という劇場を建てた。中国芝居が演じられたが、西洋人もこれを借りた。

 仮設や間借りに物足りなくなり、オランダ商人ヘフトが明治3年に山下居留地の元町寄り、本町通りの谷戸橋付近にギリシア神殿を模した本格的劇場を建てた。

 これがゲーテ座。しかし経営難により使用目的を広げて、パブリック・ホールと改称している。

 この9年後の明治18年。もっと広い劇場をと山手に新たに建てられ、明治41年にはゲーテ座の名を復活させる。

 しかし山下劇場は翌年に焼失、山手ゲーテ座も関東大震災で倒壊してしまう。

 時代は飛んで昭和55年。山手ゲーテ座跡地に服飾資料を中心とした博物館、岩崎ミュージアムが建てられた。

 山下の方は、それを示すものはない。


「そこで夜な夜な、妙な物音がするそうだ。仮面を被った男を見たという声もあって、近隣の者が気味悪がっている」

「警察の案件ではないだろうか」

「ふたりに話したのだから、わかるだろう。警察が何度踏み込んでも、鼠1匹いないのだよ」

 警察の手に負えないから、あやかしが疑われるということだ。辻斬りのときと同じである。


 ところで、あれから辻斬りの件はどうなったのだろうか。

 誰にも罪が及ばぬように高島が手を回したが、警察としては憑物のせいには出来ず、警部に何らかの処分があって、うやむやのまま処理をしたと聞く。

「リュウさん。目を付けられているから、気をつけておくれよ」

「警察にも立場がある、仕方ないことだ。建物内の夜警ならば、大丈夫だろう」


 公演を終えて無人になったパブリック・ホールを、ランプを手にして見回った。

 劇場からトットットッと、微かな音がする。

 誰かが舞台を踏み鳴らしているようだが、聞き逃してしまいそうなほど軽く小さな音だった。

 音を立てないよう、そっと扉を開けて劇場へと入ったが、殺したはずの気配を悟られ、横一列にズラリと並ぶ黄色い目玉が向けられた。


 低く重たい、ドスの利いた声が劇場内に響く。

『お前、何だニャー』

 猫だ。

 ランプで照らして確かめたが、やはり猫だ。

 貫禄たっぷりで目つきの悪い猫が、舞台中央にどっしりと構えている。

「猫又だ、尻尾がふたつある」

 その両翼には無数の猫がいた。よく見ると観客席も猫で埋め尽くされている。見渡す限りの猫、猫、猫にコンコもリュウも圧倒された。


「僕は稲荷狐のコンコ、こっちは妖刀遣いのリュウ。僕たちは、あやかし退治に来たんだ」

『退治される言われはないニャー。僕たちはここで芝居をやっているだけだニャー』

 猫又は眉間にしわを寄せ凄みを利かせた。ドスの利いた声も相まって、ちっとも可愛くない。

 それに続いて周りの猫たちが甲高い声で

『芝居したいニャー』『やらせろニャー』

と騒ぐので、芝居だけならばと観ることにした。


 コンコは「猫の芝居楽しみだね!」と目を輝かせている。

『食べるべきか寝るべきか、それが問題ニャー』

『時よ止まれ! 魚はあまりに美味しいニャー』

『いやさお富、かつお節だニャー』

といった調子で、リュウは呆れ返ってコンコの目は死んでいる。


「お前たち、こんなことをしに忍び込んだのか」

 くだらない芝居に我慢ならないリュウが放った一言に、猫たちは爪をたてて激怒した。

『こんなこととは何だニャー!』

『何だニャー! シャー!』

『わざわざ戸塚から出てきてやったニャー』

「君たち、やっぱり戸塚の踊り猫なんだ」

 戸塚には、手ぬぐいを盗まれるので調べてみたら、猫が手ぬぐいを使って踊っていた、といった話が伝わっている。

 つまり彼らは、その伝説の猫だ。

 その地には、踊場という名が駅や交差点に残されている。


「怪人の 正体見たり 猫だった、か」

 リュウのくたびれたような言葉に、猫又はキョトンとした。

『怪人って何だニャー』

『何だニャー!』

 コンコもすっかりくたびれ顔で、椅子からずり落ちそうになっている。

「夜な夜な、白い仮面を被った男が出るっていう話を聞いたから来たんだ。白猫が窓辺にいたら、そう見えるよね」

『そいつに芝居を教わったニャー』

『そもそも僕たち、今日着いたばかりだニャー』

『お前たちに着いて来たんだニャー』


 コンコとリュウが「何だって!?」と口を揃えると、1匹の猫がピアノに飛び乗りドロドロとした不気味な音楽を奏ではじめた。

 コンコとリュウ、猫たちにも緊張が走る。

 舞台袖のカーテンがひらりと舞うと、真っ黒なマントに身を包んだ仮面の男が姿を見せた。


 出たな、怪人!


 リュウが刀に手を掛けて、コンコは巫女装束に変化すると、薄ら笑いを浮かべる仮面がふたりに向けられた。

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