万屋「唯野誰彼」
朝倉神社
第1話 万屋
姉が殺された。
私たち家族のもとに戻ってきた姉の体は不完全だった。
大半は永遠に失われてしまい、あまりにも無残な状態だったため、警察はそのまま荼毘に付したほうがいいと助言をするほどに。だから、父も母も最後の姿は見ていない。けれども、私は皆の制止を振り切って”ソレ”を見た。
姉は姉で無くなっていた。
透き通った瞳は、闇よりも深い眼窩だけに。
優しい声を紡いだ口はボロボロに。
少し尖っている可愛らしい耳は根元から抉られ。
眼鏡がずれるのを気にしていた低い鼻はそぎ落とされていた。
顔だけじゃない。
陶器のように白く繊細な指は欠け落ち。
服を着ていても主張していた胸部は女児のように平らだった。
葬式を終えて数日後、男が一人線香を上げにやってきた。
葬儀屋のように漆黒のスーツを着た昏い雰囲気の年齢不詳の男だ。感情を棺ととも火葬場で焼いてしまったかのように無表情だった。線香を丁寧に上げた男は、私たち家族に深々とお辞儀をして名刺を出してきた。
そこには『万屋 唯野誰彼』とあった。
「仇を討ちたくないですか?」
男の言葉に首を傾げるのが普通だと思う。しかし、姉を亡くしどこか現実感を失っていた私たちの心の隙間に男の言葉はするりと入り込んできた。万屋はこういう仕事をしているそうだ。警察とは別の方法で犯人を見つけ、被害者家族に引き合わせる。そこで復讐を果たさせ、秘密裏に死体を処理するそうだ。
どう考えても真っ当な人間ではない。
実は貴方のお姉さんを殺したのは自分です。と言ってきても信じられる気がした。
例え相手が人殺しであっても、殺人は許されないと人々は口にすると思う。だけど、それは実際に大切な誰かを奪われたことのない人間だけが言える傲慢な言葉だと思った。
大切な我が子を奪われた両親の覚えた憎悪は私以上だと思う。
でも、二人は復讐することを良しとしなかった。
復讐したところで姉が返って来ないのだという当たり前の理屈でもって私のことも説得しようとした。
「馬鹿なことを考えるんじゃありません」
「先のことを考えなさい」
両親の言葉は私には出来の悪い三流小説のセリフのようにしか聞こえなかった。
父や母がその考えに落ち着いたのはきっと、姉の最後を目にしなかったからだろう。もしもあの姿を目にしていれば、良識や良心なんてものは一瞬で消え失せ、犯罪行為というハードルはやすやすと飛び越えてしまうと思う。
両親の言っている言葉の意味は理解できていた。復讐が何も生まないことはわかっている。おそらく自己満足でしかないのだ。
でも、「先のことを考えなさい」と言った母の言葉を借りるなら、これは私が前を向いて歩いていくために必要な儀式なのだ。
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