友人
勘吉
春
今日は私の友人の話をしよう。
彼女とは1年ほど前に知り合った。よく晴れた日、不意に私の家の庭に現れた彼女の姿は今でも覚えている。庭に咲いた花の間をするすると歩き、まるで踊るように陽光の中を飛び跳ねる様はさながら蝶のようでもあった。そのうち、池の近くに咲いている水仙の前で立ち止まると、急に蹲って動かなくなった。庭に続く戸のある書斎から彼女の様子を眺めていた私はひょっとして具合が悪いのではと思い、慌てて庭に飛び出した。すると彼女はこちらをぱっと振り向いて微笑んだ。
「すみません。こちらのお花があんまり美しいので」
裸足のまま間抜けな顔で佇む私に、彼女は軽やかな足取りで近づきながらそう言った。
「あの池の前に咲いているお花は何と言うのですか?」
あれは水仙と言うのです、と私が答えると、彼女はまぁ、と小さく声を上げて
「あれが水仙。素敵な形のお花ですね」
と、またにっこり微笑んだ。
彼女は実物の花を殆ど見たことが無いという。何でも両親が厳しく、なかなか外に出してもらえないままずっと家で本を読みながら幼少期を過ごしたらしい。今日は外に出して貰えたのかと尋ねると、彼女は嬉しそうに頷き「今日は私の誕生日なのです。もう十分大きくなったから、これからは自由にお外に出ても良いとお母様が」と言った。他人の教育にとやかくいうつもりは無いが、このご時世に随分と過保護な親が居たものである。
「庭で立ち話をしているのもなんですから、宜しければ中でお茶でもどうぞ。何がお好きですか」
私がそう言って書斎に招き入れると、彼女は恥ずかしそうに「失礼いたします」と小さな声で呟いてから
「では、コップ1杯のミルクを頂けますか?」
と言った。
彼女は私の差し出したコップの中のミルクを啜りながら、書斎をぐるりと見渡した。
「ここはあなたのお仕事部屋ですか?」
ただの趣味の部屋ですよ、と私が答えると、彼女はへぇ、と声を漏らして
「私のお父様はこんなお部屋にずっと籠って、いつも何か書いていらっしゃるのです。お母様は、お父様はあのお部屋でお仕事をしていらっしゃるから入っては駄目よといつも仰るのです」
どうやら彼女の父親は物書きか何からしい。
「でも、私がお庭の窓からそうっと見てたら、直ぐに気がついて中に入れてくださるんです。『好きな本をお読み』って、いつも笑顔でそう言って下さるのです。」
だから私、小さい頃からずっと本を読むのが好きなのです。そう言いながら彼女は棚に並んだ本の背をなぞった。
「ここでも好きな本を読んで構いませんよ」
恍惚にも似た表情で本棚を見回す彼女にそう言うと、彼女はぱっと顔を輝かせ、目を丸くしながら
「何故、私がここの本も読んでみたいと思っているのが分かったのですか」
と不思議そうに尋ねた。
本当に不思議そうに尋ねるので、私はなんだか可笑しくなって笑った。
それから彼女は毎週本を借りに私の書斎にやってくる。最近では借りに来るついでに庭を歩き回り、幼少期に覚えた花の名前と庭にある花とを照らし合わせて楽しんでいるようだ。
「あと少しでお庭のお花も全部調べ終わります」
縁側でミルクを啜りながら彼女は嬉しそうにそう言う。
「もっとお花が増えないかしら」
この小さな庭ではこれが限界ですよ、と私が言うと、「ではお庭を大きくしましょう!」と彼女は手を叩いた。
全く無茶をいうものである。私が声を上げて笑うと、彼女もくすくすと楽しそうに笑った。
ふと庭を見ると、陽光の中を2匹の蝶がくるくると飛んで行くところだった。
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