第36話 披露宴①

 ビビアンの左手の薬指には、デューイと揃いの指輪が光っている。




 ビビアンからの求婚に動揺しつつも、デューイは是と応えた。


 そこからは慌ただしかった。




 彼女が提案したのは挙式を前倒しすることである。


 本来であれば次の夏にビビアンが16歳を迎え、正式な結婚となる筈だったのだが、それを早めての成婚となる。


 両家から反対を受けたが、それぞれに説得し、なんとか許可を得た。




 今日もウォード邸には多くの業者が出入りし、諸々の準備を進めている。ドレス職人と図案を見ながら細々と指示を出す。




「レースの目はもっと細かくして頂戴。重くないように、でも複雑で繊細で豪奢なデザインにしなさい」


「はい。そしてこちらがタキシードの案ですが」




 差し出された図案を見てビビアンは膝から崩れ落ちた。職人が一歩後退る。




「お嬢様!?」


「なんて素敵なの……。この姿のデューイ様が世間に知られたら、今後30年の紳士服の流行が決まってしまうわ……!」




 披露宴だから世間に知らせるための場である、という言葉を職人は心のうちにおいた。




「とっても素敵よ。あなたに任せて良かったわ。生地は光沢のあるものにして、刺繍はわたしとお揃いにして。デューイ様の脚の長さが引き立つようにね。色味はもう少し抑えても良いわ。でも他の色の衣装もきっと素敵よね。ああ、お色直しって何回までして良いのかしら」




 ビビアンは幸福な溜息をついた。後ろで聞いていたマリーも溜息が出る。花嫁よりも注文の多い花婿の衣装があるだろうか? それでもビビアンがここ最近で一番楽しそうなので、マリーは何も言えないでいる。


 そんな中、デューイが書類の束を持ってやってきた。ビビアンは職人に一言告げてデューイを迎える。




「招待客案をまとめてきた。目を通してくれ」


「はい。席も慎重に決めなくてはなりませんね」


「ああ。基本的には俺たちと同世代で家格も近い、昔から親交のあるやつか、分別があって口が堅い者を中心にしている」


「まあ、そんなまともな方がいらっしゃるのかしら」




 ビビアンはわざとらしく驚いた表情を作った。なにせデューイの一番の友達がジョン・ジョンソンである。賭け事が好きで借金歴があり、軟派だ。


 デューイは苦々しく顔を歪め、ビビアンの額を小突くふりをする。ビビアンはいたずらが成功したように口角を上げた。




「問題が起きたら全部ジョンにとりなしてもらうつもりだから大丈夫だ」


「まあ! それはとっても責任重大ね!」




 ビビアンは今度こそおかしくて笑ってしまった。


 それはなんとも仲の良さそうな印象を、準備をしている職人や業者たちに与えた。もちろん彼らはこの幸福な話題を黙っている訳もなく、他の貴族にもつい話してしまうものである。










 こうしてアークライト男爵家の前倒しの成婚は、多くの貴族の知る所となった。


 同時に、ビビアンたちはパーティーなどの社交の場にも頻繁に顔を出すようになった。


 ビビアン達がパーティーに出席すると、明らかに周囲はこの話題が気になるようだった。半年も待てばビビアンが成人するのに、わざわざ時期を早めること。


 数か月前、伯爵家での夜会で注目を集めた二人が、いかにも仲睦まじそうに腕を組んでいる様子は人々の好奇心を刺激した。




 直接彼らに尋ねられない者は、ジョンに聞いてくるのだ。


 本当に時期を早めてまで結婚するのか? ちょっと前まではビビアンの一方的な好意しか感じられなかった二人が、いつの間にこんなに仲良くなっていたのか。


 聞かれるたびに、待ってましたと言わんばかりにジョンは答える。




「デューイとビビアン嬢はめちゃくちゃ仲良しだぜ! 結婚式も早めるってさぁ」




 満面の笑みで、周囲に聞こえるように大きな声で。その場にいる、伯爵家や公爵家に繋がるような面々の耳にも入るように。












 ◆




 晴れきらぬ冬の始まり、ビビアンはその日を迎えた。




 通常とは異なり、教会で行う儀式は後日にし、先に披露宴のみを独立して行う。


 アークライト邸で開かれる披露宴には、──あれ程噂を広げた割には、少人数が招待されている。


 親戚筋やウォード商会のごく近しい者、そして近隣に領地を持つ貴族たちだ。


 アークライト邸の控室で着付けを終えたビビアンは、着付けの最中からずっと涙目だったマリーを振り返った。




 マリーは潤んだ瞳で改めてビビアンの姿を見る。




 薄紫を基調としたドレスには、音が鳴りそうな程ふんだんに金のレースや刺繍があしらわれている。肘まである手袋や結い上げた髪にも金細工が施され、その姿は初々しくも淑女然としている。


 普段とは違う雰囲気を纏った少女の姿にマリーは声を震わせた。




「お嬢様……美しいです。ううっ、全ての花嫁の中でこんなにも可憐で麗しくて凛とした方がいるかしら……!」


「あらマリー、お嬢様だなんて。わたし、もう若奥様になるのよ?」




 ビビアンが笑いながら言った言葉に、マリーはとうとう決壊した。慌てたビビアンがマリーの目尻にハンカチを当ててやる。




「お父様にも散々泣かれたけれど、事情も説明したし、わたしの家とアークライト邸は馬車で5分の距離なのよ? それにマリーはわたしについて来てくれるのでしょう?」


「そうですけどぉ」




 鼻を鳴らすマリーにビビアンは微笑んだ。正直ここまで思ってくれているのは悪い気はしない。というか、ビビアンだって感無量なのだ。




「お嬢様は本当にいつも無茶ばかりで、今日だって心配ばかりなんですよ? それでも……こんな立派なお姿を見ると、寂しいやら感慨深いやら……」




 ビビアンは手袋を外して、涙で濡れたマリーの頬に手を添えた。




「マリー、大丈夫よ。絶対に上手くやるわ。わたし、絶対に幸せになってみせるからね」




 コンコン。


 そんな中、控室のドアが控えめに叩かれる。中の様子を察してか、デューイが気まずそうに声をかけてきた。




「ビビアン、入っても大丈夫か?」




 ビビアンはマリーの顔を整えてやってからデューイに応じる。




「ええ、どうぞ、デューイ様」




 入ってきたデューイの姿を見て、ビビアンは溜息をついた。


 紺を基調としたタキシードには、紳士服には珍しくビビアンと同様の金の刺繍が施されている。普段は下ろしている前髪を後ろに流すことで、端正な顔立ちが際立っている。


 いつもは白いその頬が、ビビアンの姿を見て薄く染まっていた。




 ──なんて素敵で綺麗で格好良いの!




 この格好良い人がわたしの結婚する人。ビビアンは震えた。




「美の歴史が動いてしまうわ……! 有識者を呼んだ方が良いんじゃないのかしら!?」


「お嬢様、落ち着いてくださいませ。デューイ様も何か仰ってください」




 マリーに言われ、デューイは惚けたまま言葉を探した。




「えっと……綺麗だ」


「そうではありません! いえ、そうなんですけれど!」


「あの、そろそろ時間です」




 部屋の外からバートが声をかける。2人はハッと意識を現実に戻した。




「ではマリー、行ってくるわ。無事に終わらせて帰ってくるから、待っていて頂戴」




 マリーが全力で頷く。


 それを見届け、デューイはビビアンに手を差し出した。ビビアンが手を取り、歩き出す。




 これから始まる、捕り物の会場へと。








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