四章 ジョンソン男爵家の三男坊
第20話 ウォード邸の虫干し①
湿気と古い本特有の臭いが立ち込める。窓は日差しを抑える造りになっている為、室内は薄暗く、秋口にも関わらずひんやりとしていた。
ウォード邸には敷地内に書庫が建てられている。豪商であるウォード家当主、つまりビビアンの父は蒐集家であり読書家でもある。彼は商売の傍ら気になる書物を次々に買い漁り、満足したらその管理をビビアンに丸投げしていた。
その為、毎年関係者総出で書庫の整理をするのが恒例になっている。というのも、古い本などは湿気や虫に弱く、年に一度日陰に干してやる「虫干し」という作業をしてやらねばならないのだ。
『前回』はアークライト夫人が寝たきりになってからなんとなく中止となっており、ビビアンの体感で言えば実に5年ぶりの行事である。
ビビアン、デューイ、マリーが書庫へ入る。その後を倉庫管理者からデューイの秘書へと転向したバートが、逞しい体を屈めて恐る恐る足を踏み入れた。
圧倒的な蔵書、見渡す限りの並び立つ本棚に気圧される。しかしその表情は少年のように輝いており、興奮で赤らんでいた。
夢見心地、という顔で辺りを見回すバートにビビアンは説明する。
「一日では終わらないから数日に掛けて行うわ。バート、あなたには、上段の高い所にある本や、重いものを重点的に頼みたいの」
「ビビアンさん、これは、終わったら読んでも良いんですか?」
「構わなくてよ」
「ありがとうございます」
バートは出会った中で一番素直に答えた。デューイから話は聞いていたが、本当に読書家なのだと内心で意外に思う。
デューイから彼を部下にしたいと聞かされた時、自分が提案したにも関わらずビビアンは驚いた。考えが受け入れられると思わなかったのだ。本当に、一瞬でデューイが変わってしまったような心地がする。
それに彼はビビアンに対して、婚約者として「明日から頑張る」と言った。
頑張るとは、具体的にどうなるのだろうか。ビビアンは彼に甘い言葉をちょっと言われただけでときめいてしまう女である。頑張られてしまったらときめきでどうにかなってしまいそうである。
一方で「頑張られてみたい」という期待もある。大いにある。
いつでも待ってますからね! という念をデューイに送った。思念が届いたのか、デューイがビビアンに視線を向ける。
目が合い、照れを誤魔化すようにデューイが微笑んだ。ビビアンはぶわ、と顔が熱を持つのを感じた。思わず緩む口元を慌てて隠す。
ゴホンッ。
後ろでマリーが咳き込んだ。デューイがびくりと身を竦める。ビビアンは熱くなった頬を手で扇ぎ、マリーを振り返る。
「マリー大丈夫? ここは埃っぽいものね」
「大丈夫ですよ、お嬢様。ありがとうございます。それよりお嬢様、準備された物があるのでは?」
マリーは一瞬デューイに視線を向けてから微笑んだ。
そうだわ、とビビアンは思い出した。デューイのことを考えて忘れていたが、新しいアークライトの一員に渡すものがあるのだ。
「バート、これを受け取って頂戴。就職祝いよ」
包装された小箱を差し出す。バートは訝しみつつも受け取り、蓋を開いた。
「これは……」
「眼鏡よ。あなたの目つきの悪さは視力によるものだと聞いたわ」
「こんな高価なもの……良いんですか?」
「勘違いなさらないでね。デューイ様の隣に居る人の目つきが悪いと、デューイ様の評判に関わるでしょう?」
これは普通勘違いをしてよい台詞なのだが、ビビアンの場合は言葉の通りの意味だった。バートは頷いて眼鏡を掛ける。ビビアンとデューイはバートをまじまじと見つめた。
表情を邪魔しない薄い金に縁どられたレンズが鋭く光る。刻まれていた眉間のしわが解かれ、人相の悪い青年から知性的な印象に変わる。屈強な肉体に理知的な顔つきが合わさり、妙な威圧感を醸し出している。
バートは慣れない眼鏡の縁を中指で押し上げた。
「これは……」
デューイは彼の相貌を見上げて言い淀む。ビビアンも想定していたものと違う出来に首を捻る。
綺麗だが勝気な顔つきのビビアン、艶のあるデューイと並んでいたら、これは何というか。
「悪の幹部みたいになってしまったわ」
デューイは噴き出さないように息を止めた。バートはせっかく開いた眉根をギュッと寄せる。
「それでは悪の女王はビビアンさんじゃないですかね」
デューイはむせた。ビビアンとバートからの冷ややかな視線を受け、慌てて息を整える。
「うん。まあ、凄まじく似合っている」
「そうね。箔が付いたって感じね」
悪の夫婦から絶賛され、バートはものすごく微妙な顔になった。
「あなたの印象を伝えたら、うちの職人が張り切って作ったのよ。調整が必要ならいつでも言ってね。気に入ってくれると嬉しいわ」
「ありがとうございます。大切にします」
バートの素直な礼にビビアンは満足そうに頷く。デューイはウォード邸お抱えの職人に思いを馳せる。どんな印象でこういう出来になったのだろうか。強盗事件の時にビビアンが持参した、牛乳を入れる為の小型保冷箱も職人に作らせていた物だと後から聞いたのを思い出した。商品化はしにくいが拘りのある作品を作ることにやりがいを感じるのだろうか。
「それより。早く作業を始めましょう」
バートの言葉に二人は気を取り直すのだった。
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