第5話 デューイ



ビビアンたちは応接間に通された。そこには既にこの邸の主人達が待っていた。




 思わず息を呑む。


 その光景は、ビビアンにとって幸せの象徴だったからだ。




 デューイの母、アークライト夫人とデューイがソファに腰かけて談笑している。窓から差し込む光が二人に降り注ぐのを見て、ビビアンの視界が滲んだ。




「いらっしゃいビビアンちゃん。来てくれて嬉しいわぁ」




 夫人がおっとりと微笑む。


 彼女はビビアンを実の娘のように可愛がり、ビビアンの奇行も笑って許容していた。




「お邪魔いたします、おばさま」




 ビビアンはスカートの裾をつまんで一礼する。


 声が震えてはいないだろうか? 唇に力を込め、口角を上げる。




「デューイ様も、ごきげんよう」


「全然機嫌は良くない。急すぎだ」




 デューイは不機嫌にビビアンの非礼を注意した。それすら懐かしく、ビビアンは微笑んでデューイの顔を見つめた。




 最後に見た時──婚約解消した時よりも若い。この時彼はまだ17歳だ。昔はずっとデューイが年上に感じていたけれど、こうして改めて見るとまだ青少年なのだと分かる。成人した彼に比べると、喉や手足が細くて、瑞々しい美しさを感じた。




 正直ビビアンは、彼に婚約解消されて恨みがましい気持ちもあった。彼を傷つけたことを申し訳ないと思う気持ちもある。ここに来るまでは複雑な感情から、喚き散らしてしまうかもしれない、と思っていたのに。




 顔を見たらもう胸がいっぱいで、余計な言葉が出て来ないのだ。


 彼女の常にない様子にデューイが眉をひそめる。




「どうした?」


「だって、お元気そうなお顔を見れて、嬉しいんですもの」




 ビビアンは一歩進んでデューイの胸に顔を埋めた。




 17歳の若人は赤面し大いに慌てた。婚約者とはいえ貴族らしく清く正しい接触しかしてこなかった。そして隣で母親が見ている。その母親が楽しそうに瞳を輝かせているのは気のせいだろうか。




 デューイが両手をさ迷わせているうちに、ビビアンはスッと身を引いた。満足したのか、デューイにとっていつもの表情に戻っている。




「いきなり押しかけてごめんあそばせ? ご迷惑ついでに、わたし、もう一つやりたいことがあるんです」


「うん?」




 デューイは嫌な予感がした。ビビアンが、何かを企んでいる時の表情だったからだ。ビビアンは体ごと夫人に向き直り、少女のような笑顔で告げた。




「お泊り会というものを、おばさまとやりたいの!」




 ビビアンは両手を合わせて夫人の表情を窺う。夫人は目を丸くする。後ろの方でマリーがお嬢様! と悲鳴を上げた。




「良い訳ないだろ!」




 良い訳が無かった。デューイが顔を赤くして叫ぶ。婚約者同士とはいえ未婚の男女が同じ屋根の下で一夜を過すのは醜聞だ。




「良いではないですか! 別にデューイ様と一緒に寝る訳じゃありませんわ!」


「当たり前だろ!」




 うーん、と夫人が悩む。



「お父様の取引で色んなお土産を頂いたので、おばさまに紹介したいの」


 ビビアンは後ろに視線をやる。荷物を持った男を見て、夫人も納得する。


「だからあんなに大きな荷物なのねぇ。……では客室の用意をさせるから、少し待って頂戴ね」

「母上」


 デューイが母親を咎める。夫人は穏やかに受け流した。


「デューイの、ではなく、わたくしのお客様としてビビアンちゃんを招待するのよ」


 でも、とビビアンに耳打ちする。


「次はもっと早く教えて頂戴ね? わたくしもビビアンちゃんを沢山もてなしたいもの」

「ありがとうございます、おばさま」


 夫人から優しく、きっちり釘を刺される。ビビアンは恭しく礼をした。






 夕食までの間、ビビアンの土産を披露した。珍しい牧草で育った乳牛の乳を持ってきたので夕食で使ってほしいと出せば、この真夏に正気か?! とデューイに驚かれる。


 もちろん氷と一緒に持ってきた。特注の鉄製の箱から氷と牛乳瓶が出てきたのを見て、デューイは眩暈がした。おそらく牛乳の代金より輸送費の方がかかっている。


 他にも見てくださいと次々に紹介する。


「ふうん、この香は、儀式のための香ではないんだな」

「ええ、香りを楽しむための物ですわ。でも外国でも儀式として使用することが多いんですって」


 東の土地で作られた香や、麻の中でも柔らかい生地でできた寝衣など。実はビビアンの計画の為の物がほとんどだが、デューイも夫人も興味深そうに話を聞いてくれることが嬉しく、饒舌になる。


 貿易品は珍しく高価だが、伝統的な貴族はまず忌避する。ビビアンの紹介したがりな性格も相まって、多くの貴族にはあまり良い顔はされなかった。


 アークライトの人々はそこが妙に素直で、珍しいものに「珍しいね」ということを厭わない。抵抗が無いから貿易商の父と交流できたのか、貿易商の父と交流したから抵抗がなくなったのかは分からないが、ビビアンは彼らの素直さを愛していた。




 夕食を終え、湯浴みが済み、夫人が不思議そうに麻の寝衣に袖を通す。


「今まで綿のものばかりだったけど、涼しくて夏には丁度良いわねぇ。素敵なお土産をありがとうね」

「喜んで頂けて嬉しいですわ。お父様にもお伝えしますね。このお香もぜひ寝る前に焚いてみてください。ラベンダーの香りがして安眠効果があるんですって」

「ええ、さっそく今夜試してみるわね」


 夫人はにこやかに頷く。是非、とビビアンが念を押す。


「では、わたくしはそろそろ寝ようかしらね。二人ともあんまり夜更かししちゃだめよ?」


 夫人がビビアンの背後に視線をやる。振り返ると湯浴みを終えたデューイが来ていた。


「分かってますよ、母上」

「ええ。おやすみなさいませ、おばさま」


 ビビアンはデューイを意識しないよう就寝の挨拶をする。夫人を見送り、二人きりになると(後ろにマリーが控えてはいるが)改めてデューイを見つめた。極力、


 湯上りのデューイ様! 手足が見えるのが新鮮! 好き!


 という内心が表情に出ないように気を付けながら。デューイが眉をひそめる。


「何をにやけてるんだ」


 表情に出ていた。彼は少し考え、返事を待たずに続ける。


「ビビアン、ちょっと良いか?」


 脳裏に計画のことがよぎりながらも、ビビアンは頷いてしまった。

 デューイの表情が妙に真剣な色を帯びていたので。

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