第126話

俺はまるでパワーショベルのバケットのようにド迫力で眼前に迫る巨大な鋏を、構えを崩さぬままケツで地面を叩く勢いで腰を落としてやり過ごす。続いて視界一杯に拡がってくる奴の顔面に向かって、真一文字に斬り込んだ。


バギイィ


激突、そして衝撃。凄まじい手応えと共に、俺はボレーされたサッカーボールのように豪快に弾き飛ばされた。


うがあああっ


しまっ


たっ 


俺は咄嗟に床に足底を叩き付けて、一瞬浮遊して制御を失った体の軌道を咄嗟にズラす。間髪入れず横っ飛びで回避運動。耳元で怖気が走る風切り音が連続して響き、丸太のような影が俺の身体を掠めるように通過する。遅れて来る風圧と共に胃の奥がキュッと締め付けられ、慄いたタマが意識と無関係にヒュンと縮む。


辛うじて奴の追撃を躱しながら、俺は歯噛みした。


ぐうううっ痛ってえええええ。腕がっ腕が捥げるかと思った。

しまった。ハイになって変なテンションのまま正面から殴り合っちまった。


渾身の一撃の反動をまともに受けた腕は、ビリビリと酷く痺れて感覚が無い。我ながらよくもまあ相棒を弾き飛ばされなかったモノだ。以前の轍を踏まないよう、咄嗟に刺突を止めて斬り掛かったのが幸いした。下手に突き込んでいたら再び一発で腕が破壊されるか、或いは肩が抜けていたかもしれん。


「くうおっ」

俺を狙ってぶん回される巨体を、再び身を沈めて躱す。


あの巨体による奴の間合いは想像以上に広い。俺は討伐隊とハグレとの戦闘から入手した奴の能力に修正を加えてゆく。だが、イケる。奴の動きは速いが、手数はあの黒蜘蛛ほどじゃねえ。幾らか代償は払ったものの、奴の顔面にはたった今、俺が刻み込んだ傷が一直線に走っているのが見える。今の俺の力量と相棒の強度ならば、奴の外殻を削る事が出来るのだ。それに何より。


突如奴の動きが止まり、巨体がビックンビックンと痙攣し始めた。


「らああっ!」


ズガガッ


俺は此の絶好の隙を逃すこと無く、甲殻の継ぎ目に連撃を叩き込んだ。奴は討伐隊と戦った時の半分、いや恐らく三分の一も動けてねえ。いいぞ、デーモンパウダーが効きまくってやがるんだ。まさに千載一遇の好機。今こそ攻めて攻めて攻めまくりたい処なのだが・・・ちっ、訂正だ。生憎と今の俺の膂力と技術だけでは、奴の外殻を貫くのは不可能なのかもしれん。リスク覚悟でかなり深く踏み込んだ今の連撃でも、奴の外殻の表面に浅い傷しか入っていない。


カウンターだ。やはり最初の一撃のように、奴の力を利用して深い一撃をぶち込むしかない。だが、其れには重大な問題がある。一撃の威力がデカければデカい程に俺の身体や相棒へと降りかかる反動も大きくなるのだ。


なにせ相手のサイズは故郷の4tトラック程もある巨体だ。目方は俺の10倍どころか、下手すりゃ100倍でも効かないだろう。デカさは強さに直結する。俺の故郷では地上でイチバン強い生物は何れかと問われれば。その答えは知恵と道具を武器とする人間を除けば、獅子でも熊でも虎でも無く、圧倒的にアフリカ像だ。この世界には地球と違っていくらでも例外が転がっていると聞くが、デカいのが強いという原則に変わりは無い。


先程の感触から鑑みて例え幾らカウンターを喰らわせたとしても、あの巨体とマトモに正面衝突など繰り返したら、壊れるのは奴の外殻より俺の肉体の方が遥かに先だろう。ならばどうするか。試みの一つとして真正面からブチ当たるのではなく、奴の攻撃に対応して角度を付けて撫でる様に斬り込み、カウンターの威力をコントロールしつつ過剰な負荷を逃がしてやるのだ。無論、そんな技術鍛錬した事など無い。だが出来るかどうかじゃねえ。今、やるしかない。出来無きゃ敗走か、或いは死ぬだけだ。


ギチギチギチッ


絶好の隙が目に前に晒られていたのはほんの数瞬の間でしかない。再び動き出した奴は、何処からか不気味な威嚇音を鳴らしながら再び攻撃の体勢を取る。あの音は尻尾からか。毒を持ってるのは何も此方だけじゃない。無論警戒を怠って居る訳では無いが、流石にタイマンで今更あのデカい尻尾を見失う事は無い。だが、見境なしに毒を撒き散らされでもしたら非常に厄介だ。


ひたと俺を見据える奴のその眼は憎悪に濁り切っている。人面も獣面も揃って眉間に幾本もの皺が寄り、歯茎をムキ出しにして憤怒の形相だ。


さあ、来やがれっ。

俺の戦意に呼応するかのように、ハグレの巨体が再びヌラリと鎌首を持ち上げた。迷宮の薄暗い光を遮って、俺の全身が巨大な影に包まれる。そして。


「おおおおっ!」


俺は再び、裂帛の気声を発してハグレの突進を迎え撃った。



________鞭のような尻尾の一撃を半身になって躱し様、返す刀で一撃を叩き込む。堅牢な手応え。腕を通して身体に衝撃と痺れが突き抜ける。吹き出す汗と共に、奴の破片か此方の破片だか最早判別不能な欠片が周囲に飛び散る。もう何度奴にカウンターをぶち込んだか、既に数えるのは止めた。


威力を調整しながらカウンターをぶち込む試みは半ば成功、半ば失敗だ。俺の両腕は深刻な痛手を抱えてはいるものの、未だぶっ壊れてはいない。だが、奴の外殻には切創こそ無数に刻んでやったものの、貫通出来そうな気配はまるで無い。何よりぶっつけでカウンターの威力のコントロールなど、俺にはとても無理な芸当だ。俺は天才でも何でもないし、相手が俺の動きに合わせてくれる訳も無い。所詮は拙い思い付きな脳内空論でしかない。


奴は反動で俺の体が崩れた見るや一転、追い縋って巨体を俺に叩き付けようと迫るが、俺は既にバックステップして間合いを外している。奴の動きは背中に刺さった槍から伸びる鎖に引っ張られて不発に終わった。相当に苛立っているのか、奴の顔面から唸り声と共に歯ぎしりの音がギリギリと聞こえてくる。


全く狡いぜ。さっきから一方的に殴りまくってるのは俺の方だってのに。腕の感覚は痛みを通り越して薄れ、度重なる衝撃を受けた身体の芯はズキズキと鈍痛を訴えている。俺が何度ぶった斬っても奴はピンピンしてるどころか、殴ってる俺の身体と相棒の穂先の方がボロボロになってやがる。


「ぐうっ」

頭上から叩き付けられた鋏を跳んで躱すも、砕けた床材の破片が被弾する。クソッ、痛ってえぇ。


先程から奴の猛攻を辛うじて凌げている所以は、今しがた活躍した化け物槍に仕込んだ拘束用の鎖の一助に加え、超猛毒のデーモンパウダーをたっぷり取り込んだ奴の動きが悪いからというのもある。それに、事前に討伐隊の戦いを観戦して奴の癖や間合いを把握した恩恵も大きい。そのお陰で、俺は常に奴の一つ先手で動くことが出来ている。


だが、此のままでは不味い。ジリ貧だ。一旦引いて回復魔法を使うべきか?

いや・・・・駄目だ。


俺の回復魔法は確かに有用ではあるが、正直言って弱点も目白押しだ。まず致命的な傷は癒すことが出来ない。それに、未だ両手からしか発動できない為、両手が潰されたら発動は出来ない。更には未だ試してはいないものの、恐らく異物では無く共生に近い寄生虫に対しては逆効果だ。そして何より、回復魔法は基本戦闘では使えない。


其れは何故か。理由は集中力と発動時間だ。まず回復魔法を発動させる為には相当な集中力が必要だ。今の俺はかなりの苦痛の最中でも発動させることが可能だが、その際完全に無防備になる事に変わりは無い。また、発動時間も相応にかかる。一時期発動時間の短縮に傾倒していた俺は、その時間を十秒足らずまで短縮することに成功した・・かのように思えたが、その後結局十数秒程度に落ち着いた。


その理由は魔力の練り上げにある。全身を巡る魔力を肚の下で圧縮して練り上げる工程は、どれ程鍛錬しようがある程度の時間は如何しても必要になる。発動の速度だけに拘泥して練り上げを怠ってしまうと、ロクに回復効果の無いスカスカの魔法になってしまうのだ。最低限の効果を保持しつつ発動までかかる時間は現状最低でも十数秒。魔力の変質については研鑽により未だ短縮の余地があると考えているが、それは0.5秒を0.4秒に短縮できるとかそんなレベルである。練り上げ時間の短縮に至っては、例え今後100年鍛錬してもこれ以上は大して変わらないように思う。100mの短距離走で15秒を14秒に縮めるのと、11秒を10秒に縮めるのでは難易度の次元が違うように。


そんな訳で、回復魔法の効果に対して集中力及び発動時間はトレードオフ。完全に無防備になる時間はどうあっても発生してしまう。いや、それどころか回復効果を高める為にはその分より高い集中力と時間を必要とし、より無防備となってしまう。


今、俺はハグレに刺さった化け物槍の鎖が奴の動きを拘束するギリギリの間合いで攻防を繰り広げている。身のこなしも殆ど左右の横方向にしかしておらず、ヤバい時だけ後退して奴の追撃を凌いでいる。俺からすればあの鎖は一種の安全マージン、或いは生命線とも言える。また奴からすれば、事あるごとに身体を引っ張られる背中の鎖はウザいことこの上ないだろう。だが、その鎖は奴の巨大な鋏が一番届きにくい位置から伸びている上、奴が鎖に意識を向けたと感じたら、俺が間髪入れずチクチク攻撃を加えて邪魔をしている。勿論、化け物槍をぶっ刺した箇所も偶然ではない。奴の腕が届きにくい位置を狙っての事である。


だがもし回復魔法を使おうとするならば、俺はどうあっても奴の攻撃が完全に届かない後方迄一旦下がる必要がある。そして回復魔法の発動までの間、俺は完全に無防備な状態となる。その時、もし奴が助走をつけて突進して来て鎖が引き千切られたら。もしあの巨大な鋏で鎖を切断して飛び掛かってきたら。俺は生命線を失った上、あっと言う間に挽肉にされてしまうだろう。余りにもリスクが高すぎる。


だが、既に迷っている時間は余り無いのかもしれねえ。

何度も奴の攻撃を躱しているうちに、俺は恐ろしい事実に気付きつつある。もしやとは思っていたが・・。


「危ぶっっ!?」

尻尾の一撃を躱した俺の足運びを見抜かれていたかのように、追撃の鋏が俺の上半身を薙ぎ払う。その追撃は咄嗟に庇った左手の盾を掠めたものの、俺は身を捻って辛うじて回避に成功した。ぶわりと全身の毛穴から冷や汗が吹き出る。


やはり、そうなのか!?

気のせいじゃねえ。開戦当初、俺は奴に容易くカウンターをぶち込んでいたが、段々と回避に余裕が無くなってきている。先程から奴はその攻撃を、僅かずつだが俺の動きに合わせてきている。俺の動きが、読まれ始めている。


その事実を確信した俺は、内心背筋が凍った。オツムが足りない魔物の癖に、まさか俺より早く学習して成長してやがるのかよ。冗談じゃあねえぞ!


俺は崩れた体勢から、形振り構わず奴の連続攻撃を四つ足になって地を這うように躱した。だが辛うじて俺が逃れた先には、既に奴の鋏が迫っていた。


あ、マズい。此れは躱せない。

受け止めちゃ、駄目だ。流せ。


バガンッ


「がああっ」

俺は迫る巨腕に対して相棒を当てて力を逸らそうと試みるも、土管でガツンとブン殴られたような衝撃と共に視界がブレて吹き飛ばされた。だが辛うじて直撃は避けられた為、直ぐに体勢を立て直して跳ね起きる。全身どこもかしこも糞痛え。殴られた衝撃で頭がチカチカする。手にはヌルリとした感触と血の臭い。糞っ身体の何処かがやられたか。


駄目だ。とても受け流せねえ。手数はともかく、此奴の攻撃は重すぎる。マトモに流そうとしたら腕ごともっていかれちまう。


俺は高速で思考を回しながらも、身体を休むこと無く動かし続ける。だが、既に奴の追撃は目の前・・。


ギャリリリリッ

重すぎる一撃に対して、俺は苦し紛れに相棒を横から叩き付けて回避を試みる。

渾身の力で押し込んだ相棒は不自然に撓み、外殻と接触した穂先から金属片が飛び散る。まるで花火の様に火花が眩くスパークする。糞おおおっコイツの甲羅って一体何で出来てんだよぉっ。


俺はビリビリと痺れる腕に鞭打ってそのまま奴を突き離すと、死に物狂いで後ろに転がって距離を取った。今のは滅茶苦茶ヤバかった。もう少しでぶち殺されるところだったが、ギリギリ紙一重で逃げ切った。再び双方の睨み合いが始まり、互いの隙を伺い合う。


だが、既に俺の身体は満身創痍に近い。全身痛みに苛まれ、両腕の感覚は既に無い。足元はおぼつかず、何時しか呼吸も乱れに乱れ、絶対の自信があった体力すら限界を迎えつつある。絶好と思われた勝機は、最早彼方へと遠ざかり。


俺の脳裏に撤退の二文字が浮かぶ。


何でこれ以上、怖くて痛くて苦しい思いをせにゃならんのだ。俺、もう十分過ぎる程頑張っただろ。こんな所で死にたくない。此処で逃げてしまっても、何れ俺なんかより遥かに強い誰かがコイツを倒してくれるだろう。大切な自分の命を投げ捨てる奴なんて、唯の馬鹿かクズだ。もう、逃げよう。全部忘れて、地上に戻ろう。


・・・ああ、その囁きは抗し難い程の誘惑。


それなのに、俺の中の何かがその誘惑に頑強に抵抗する。自分でも驚くほどに、頑なに抗う。其れで良いのかと。本当にお前は其れで良いのかと。


逃げることは悪くない。恥でもない。心からそう思う。だから逃げ道も念入りに準備した。だが、だがしかしだ。恐らく俺が奴を殺るこれ程の機会は、もう二度と巡っては来ないだろう。だから今イモ引いて逃げちまったら。ココで此奴から逃げちまったら。俺は恐らく生涯、此の事を引き摺る。俺の心根と魂に致命的なまでに、昏い後悔の念と逃げ癖がべっとりとこびり付いちまうような気がするんだ。そうなればこの先人生の重大な岐路において、俺は必ずまた逃げを選択するようになるだろう。そしてそんなヘドロのような汚泥で魂を濁したまま生きてゆくことは、其れは恐らく俺にとって、此処で死ぬ事よりももっと耐え難い事だ。


まだ、俺にはやれる事がある。だが此の先は、文字通り俺の命をベットする行為だ。デーモンパウダーで奴の動きが鈍重になっている事を考慮しても、これ以上身体が損傷すれば、俺は最早逃げる事も儘ならなくなるだろう。


だが、其れでも。

やってみせるさ。再び肚を括り直して。褌を限界まで締め抜いて。


俺は漲る闘争心で肉体と精神に活を入れ直すと、奴に向かって決意の一歩を踏み出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る