第116話

アリシス王女と別れた俺は、回り道をしつつも迷宮の中をつっ走って一足先に迷宮から地上へと帰還した。久しぶりに見たこの世界の眩しい太陽は、未だ頭上の東側にあった。長く迷宮の中に居ると時間の感覚が曖昧になりがちだが、どうやら今の時間は午前中のようだ。その後、迷宮のゲートで手続きを済ませた俺は、物陰に隠れて彼女等が出てくるのを待った。彼女と別れたのは迷宮の出入り口まであと僅かな地点ではあったが、其処から地上までの間でハグレに襲われないという保障は無いからな。何だか嫌な予感がした俺は、一応念押しをしておくことにしたのだ。勿論、無駄に格好付けて見送った手前、再び彼女の前にノコノコ姿を見せるような真似は出来ない。


それから小一時間程待ったであろうか。迷宮の出入り口付近でちょっとした騒ぎが起こり、俺は王女様救出隊ご一行が無事迷宮から脱出したのを見届けることが出来た。どうやら高確率で外れる俺の嫌な予感は、今回も無事空振りに終わったようだ。迷宮の外は以前とは比べ物に成らない程警備が厳重になっている。例えハグレが外へ這い出てきたとしても、此処から先は俺が余計な世話を焼く余地など無いであろう。


その様子を遠目に眺めながら一息付いた俺は、誰にも見られないよう密かにその場を立ち去った。俺にはまだ、やることがある。


その後、幾日かぶりに迷宮都市ベニスへと舞い戻ってきた俺は、一路スラム街へと足を向けた。正直言うと、気持ちも足取りも鉛のように重い。だが、其れは決して避けては通れない道だ。ならば尻込みしてないで、直ぐにでも行くべきだろう。


スラム街の饐えた悪臭を掻き分けて路地を暫く歩き進むと、いつか見覚えのあるボロボロのあばら家が見えて来た。あばら家の前で立ち止まった俺は、以前のようにいきなり中に突入したりはせず、入り口の前に立って声を張り上げた。


「おおい 誰か中に居ないか?」


それから暫くの間、此れと言った応答は無かった。だが俺の発達した感覚器官は、家の中でゴソゴソと何者かが動く気配を既に捉えている。


「誰?・・・あっ、カトゥー!」

簾のような入口から警戒心を露わにした小猫のごとく顔を覗かせたのは、このあばら家の住人の一人であるルミーだ。


「よう。」


「帰ってきたんだ!それで、ルエンは!?ルエンはどうしたの?」

ルミーは大声を上げながら駆け出すと、躊躇無く俺に向かって飛び付いて来た。どうやら俺がルエンを救出する為に迷宮に入った話は、既に誰かに聞かされているようだ。と、同時にもう一人の住人のザガルも入口から勢い良く飛び出して来た。


俺は腰にしがみ付くルミーの肩に手を置いて引き離すと、そのまま中腰になって二人の子供に目を合わせた。


そして、二人に包み隠さずルエンの死を告げた。



俺の話を聞いたザガルの目尻に、たちまち涙が盛り上がった。耐え切れずに頬に幾筋かの雫が零れ落ちるが、健気にも俯いたまま嗚咽を上げるのは懸命に堪えている。ああ、まだガキなのに強い奴だなあお前は。俺はこんな時にも拘わらず少しだけ顔が綻びそうになり、震えるザガルの頭に手を乗せて撫でてやった。お前なら例え今は悲しみに打ちのめされていたって、直ぐに前を向いていけるだろう。


「うああああああんっ!」

一方ルミーを見ると、ワンワンと大声で泣きじゃくっている。ルエンの為に人目も憚らず泣いてくれるコイツは、本当に心根が優しい子なんだろう。願わくばザガルの分まで、あいつの為に沢山泣いてあげて欲しい。


反応は其々だが、それでも二人にはルエンの死を真っ直ぐに受け止めることが出来ているようだ。恐らくはこの生き辛いスラム街で生まれ育った二人にとって、日常は人の死と無縁では居られなかったのだろう。良くも悪くも、辛い現実を受け入れざる得ない程の経験を積んで生きて来たのだ。まだ幼い二人だが、此れならルエンがこの先もう居ない現実を、きちんと心の中で消化して受け入れることが出来ると思いたい。


などと暫くそのまま考え込んでいると、突如俺の視界が塞がれた。

こいつはルミーか。どうした、急に俺の頭を抱え込んで。鼻水垂らしてギャン泣きしているのが恥ずかしくなったのだろうか?


すると、頭の上から小さく震える声が聞こえて来た。


「カトゥー。辛いなら、無理しなくてもいいんだよ。」


・・・・。

空きっ歯の癖に、生意気な。でも、ありがとよ。


けどな、俺は無理なんかしてねえ。何時までもウジウジメソメソしてたって何の意味も無いし、そいつは俺の遣り方じゃねえ。苦しい時程肚と脚に力を入れるんだ。悲しい時程心に活を入れるんだ。でなきゃこの殺伐とした異界で独り生き抜くことなんてとても出来やしねえ。


俺は一瞬だけ力の抜けた精神こころに再び活を入れ直すと、躊躇い無く俺の頭を抱えるルミーを引き剥がした。


その時。


「カトゥー!」

背後から聞き覚えのある叫び声と、小柄な人間が猛烈な勢いで突進してくる足音が、俺の耳に飛び込んで来た。


俺は直ぐさま立ち上がって後ろを振り返ると、其処には思った通り息を切らしたスエンが俺を真っ直ぐに見上げていた。


「カトゥー!ルエンは。ルエンは無事なの!? 早く、早く教えてよっ!」

スエンは今にも俺に掴みかかってきそうな勢いで、俺に金切り声で詰問してきた。


「スエン。ああ、そうだな。あっちで話そう。ルミー、ザガル。二人は家の中で 待っててくれないか。」

激しく詰め寄って来たスエンの表情を見た俺はそう提案し、ルミーとザガルにはあばら家で待って居てもらうよう頼んだ。俺達の様子を見た二人は、異論を唱える事も無く一つ頷くと、大人しく家の中に入って行った。



___此処は俺とスエン達が初めて取引をした人気の無いスラムの空地だ。二人でこの場所まで歩いて来た俺達は、暫し無言のまま向かい合っていた。頭の良いスエンはとうに事情をある程度察しているのだろう。眉間に皺を寄せて険しい表情をしている。俺は頃合いを見て懐からある物を取り出すと、スエンに向かって差し出した。


「受け取れ。ルエンの形見だ。」


「・・・っ!」


一瞬、身体を大きく震わせたスエンは俺の手からルエンの遺髪をひったくると、俯きながら両手でソレを握り締めた。


「ルエンは、迷宮の奥で 見つけた。だが、間に合わなかった。」

俺はスエンにハッキリと救出が間に合わなかった事を告げた。

でも、謝罪とかはしない。こんな時、故郷の癖で直ぐに謝ってしまいそうになる。だが、其れは何か違うような気がした。


「教えて。迷宮の中で、何があったの。」

スエンは俯いたまま、震える声で俺に問い掛けて来た。


「ああ。」


勿論、黙っている理由など無い。俺は俯いたままのスエンを真っ直ぐ見ながら口を開くと、事の顛末を淡々と話し始めた。そして、特に脚色することも配慮することもせず、ありのまま起きた出来事を淡々と話し続けた。但し、回復魔法の事は伏せたが。


「・・・そして、俺は迷宮から地上に 戻って来たんだ。俺の話は、此処までだ。」

長い話の間、スエンは俯いたままピクリとも動かずに俺の話を聞いていた。だが。


「・・・カトゥーはあの時、俺に任せろって 言ったよね。」

俺に問い質すスエンの声は、子供とは思えない程低く嗄れていた。


「ああ。言ったな。」


「それなら、何でルエンを助けてくれなかった。何でルエンは死んじゃったんだ。」


「さっき話しただろう。俺が見付けた時にはもう、手遅れだったんだ。」


「嘘つきっ!!」

俺の言葉を聞いたスエンは、激高して叫んだ。そして、俯いた顔を上げて俺を真っ直ぐに睨みつけた。その瞳は、何処までも昏く濁っているように見えた。


「俺に任せろって、言ったじゃないか!助けてくれるって、言ったじゃないか!」


「・・・・。」


「ルエン。何で、何でなんだよぉ。僕達、ずっと一緒だって。いつか一緒に夢を叶えるんだって、あんなに・・・畜生!なんでえぇ。」

スエンはルエンの遺髪を握り締めながら、顔をくしゃくしゃに歪めてボロボロと涙を流し始めた。


「・・・いや、お前だ。お前のせいだ。お前がウスノロだから、王女なんか助けてるから、ルエンは死んだんだ。ルエンはお前が殺したんだっ!」


「スエン。」


「五月蠅いっ!!」

スエンは俺が思わず伸ばした手を打ち払った。


「返せっ ルエンを返せよっ!アイツは僕のたった一人の・・!ぐ、ぐううぅぅ・・うううううぅぅ!!お前の、お前のせいで・・。うがあああっ!!」

スエンは泣き叫びながらも、俺に向かって殴り掛かってきた。


俺は暫くの間、スエンの好きなようにさせていた。だが、此のままどれだけ続けたところで、スエンの気が晴れる事が無いのは分かっている。俺は頃合いを見て半身になってスエンの攻撃を躱すと、泣きながら俺を殴り続けていたスエンは、足を縺れさせて地面に倒れた。


「ううううっ。許さないっ。お前のせいだっ。お前の・・・。」

スエンは地面に突っ伏したまま、俺に対して怨嗟の声を吐き続けていた。


「・・・そうかい。」

そんなスエンを暫くの間見据えていた俺は踵を返すと、スエンに背を向けて歩き始めた。


俺はスエンに何を言われても、理不尽だとは思わなかった。言い訳する気も、怒る気にもなれなかった。何故なら俺にも分かるから。大切な人を失う気持ち。恐らくは二度と会えない寂しさ。どれだけ悔やんでも、後悔してもどうにもならない、そのやるせない気持ちが。


今はもう朧げになりつつある家族の顔を思い浮かべる。俺とてアリシス王女に偉そうにご高説を垂れたにも拘らず、時折考えずには居られないのだ。もしあの時、あの瞬間。親友の大吾と一緒に教室の外に出ていれば、と。


それに、スエンの目を見ていて何となく判った。あの化け物に連れ去られてしまった時点で、ルエンの死が恐らくはどうにもならぬ不可避な運命であったことは、こいつも本当は分かっているんだろう。でも、そんな事簡単に認められる訳が無い。たった一人残された肉親の喪失。せめて誰かを恨みでもしなきゃ、まだ幼い心がとてもじゃないが正気を保てないんだろう。


「僕はお前を許さない。絶対に、絶対に許さないからなっ・・・!」


その場を去る俺の背に、スエンの呪詛の声が叩き付けられた。

俺は一度も振り返る事無く、立ち止まることも無くその場を後にした。


スラム街を去った俺は、歩きながらスエンが俺を睨み付ける眼を思い浮かべた。その瞳は一見昏く濁っているように見えたが、ギラギラと鈍い光を放ってもいた。


そうだ。それでいい。

俺はガキの一人や二人に恨まれようが憎まれようがビクともしねえし、それでどうにかなるようなヤワな男じゃねえ。だからスエンよ。俺を憎め。俺を恨め。


それがお前の生きる為の力になるなら、それでいいさ。







____あれから数日後。俺は以前リハビリの為に身体を鍛え直した、あの茸岩の群生地にやって来ていた。今、俺が立っているのはこの周辺でも恐らく一番デカい茸岩の頂上だ。その高さは一千メートルくらいはあるんじゃないだろうか。眼下には無数の茸岩と、遥か彼方には超巨大な怪物茸岩が遠望できる。控えめに見ても絶景だ。勿論、此処まではフリークライムで一気に直登してきた。その目的は、ルエンの墓を建てる為だ。


此の数日間の間、俺は頂上の石を割って削って小さな日本風な墓石を造った。風化を避ける為に岩をガンガン削ってその中に墓石を収めた為、その風情は小さな石窟である。墓石の中には骨壺の代わりにルエンの遺髪を納めた。


「すまねえなルエンよ。本当は俺の旅に連れて行ってやりたいが、俺の手はそんなに広くは無いんだ。のぶさんだけで手一杯だよ。嫌な想像だが、こんな殺伐とした世界で知り合いが死ぬ度に遺髪を身に付けてたら、その内荷物が遺髪だらけになりかねんからな。悪いがこの場所で我慢してくれ。でも、良い眺めだろ。」

俺は手慰みに余った石を手で弄びながら、ルエンの墓に馴染んだ日本語で語り掛けた。風雨に耐えて頂上に残った暗灰色の緻密な結晶の石は、地球の玄武岩のような固い石だ。


あいつ等への訃報は済ませた。ルエンの墓も建てた。

だが、俺にはまだやることがある。


そう、奴だ。あのハグレの野郎だ。

奴を此のままにしてはおけない。


だが何故、今更俺は奴をぶっ殺そうと考えているのか。其の恐ろしいリスクを考慮すれば、およそ俺らしくも無いではないか。


別にルエンやリザードマンズやポルコの敵討ちって訳じゃあ無い。リザードマンズやポルコはともかく、ルエンはそんな危険を犯して敵討ちをする事なんぞ望まないだろうしな。ましてや、世の為人の為などというご立派な理由なんかじゃ間違っても無い。


そう、それはもっと身勝手な理由だ。今の俺を突き動かすのこの気持ちは、俺の胸の内から溢れそうな、もう誤魔化し切れないこの気持ちは。言葉では説明し辛いが、もっとドロドロとしたドス黒いモノだ。


俺は仲間や恩人を殺した奴を赦せないのだろうか。・・・いや、少し違うな。俺は我慢ならねえんだ。あの野郎が今ものうのうとあの迷宮の中で生きていることに、俺の心が、魂が、どうしても我慢がならねえんだ。だから。


俺は感情の導くまま、手慰みに石を握る手にどこまでも力を込めてゆく。

どこまでも。どこまでも。


そして。


パァンッ


鋭い音とともに、石の中央に亀裂が走った。




貴様が積み上げた業とその命、この俺が断ち斬る。

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