第111話

此処は迷宮『古代人の魔窟』の地下9層目。俺は魔物に攫われた少年ルエンを救出すべく、途中から同行することになったアリシス王女殿下と共に、迷宮の奥に向かって絶賛進行中だ。


そして俺達は今、特大の生命の危機に瀕している。

俺は今、迷宮の床に座った状態で彼女を背後から抱き抱えている。絵面だけ見ると一見実にうらやまけしからん体勢なのだが、当の俺は其れどころじゃねえ。どの道、彼女が鎧を身に纏っているせいで全く嬉しくないしな。


ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ


俺の目の前には、見覚えのある悍ましい巨大な甲殻が蠕動しながらゆっくりと動いている。現在、俺達が身を隠しているのは畳2畳分程度の迷宮の壁にあった窪みだ。そして、そのすぐ目の前を、あのハグレの巨体が絶賛通過中だ。


先程、迷宮の9層目に降りてから暫く通路を歩いていたところ、俺達の周囲から魔物の姿が消えた。直ぐに警戒心が跳ね上がる。不味い。恐らく、近くに奴が居る。今の俺は音や振動で奴の気配をある程度探ることが可能だが、俺は超脳力者ではないし漫画や小説のようなチートな索敵スキルなんぞ持ってはいない。その為、相応に接近しないと奴の位置を正確に察知するのは難しいのだ。更に折の悪い事に、現在迷宮内では大量に魔物が増殖している。そのせいで、邪魔なノイズが余りに多過ぎた。


周囲の異変を察知した俺は、直ぐに奴から離れようと辛うじて目星をつけた気配から離れる方向へ移動を試みたものの、隠形の技術が無く鎧のせいかガチでの移動速度も速くない王女様を連れてではやはり逃げ切るのは厳しかった。奴の動きが思いの外早かったこともあり、俺達は下手すると奴に視認されそうな近距離まで迫られてしまったのだ。


焦った俺は予め準備しておいた空の水筒にライターで着火した煙玉を放り込み、出来るだけ離れた場所に背負い籠を放り出すと、咄嗟にアリシス王女を背後から拘束してこの場所へ引きずり込んだ。それから間もなく、窪地に隠れる俺達の目の前に、移動する奴の巨大な胴体が現れた。未だ見つかっては・・・いねえよな。どうやら紙一重の差で、俺達は奴の視界から逃れられたらしい。今はこの窪地を見付けた俺の動体視力を全力で誉めてあげたい。


トクットクットクットクットクッ


彼女の胸を抑えた俺の手の平に、鎧の下からでも激しい動悸の音が伝わって来る。

背後から口を押えた手に感じる呼吸も乱れている。糞っ不味いな。気持ちは分かる。が、ビビり過ぎだ。逆に俺の鼓動は、寧ろ平時より静かに脈打っている。やんごとなき王女様に本気で隠形ムーブをしろとなどと言うのは土台無茶な話なんだろうけど。地球の神様仏様。どうか俺達が奴に見つかりませんように。あと、咄嗟に放り出した背負い籠も見付かりませんように。もしこいつが破壊されて食料と水を失ったら、もう脇目も振らず地上へ撤退するしかない。


実は彼女を同行させるにあたり元々決めた取り決めでは、もし俺達が運悪くハグレに見付かった場合、二手に分かれて逃走する手筈になっていた。そして、追われた側は死ぬなり抵抗するなり全て自己責任で対処する。他方への責任は一切問わない、と。


だが・・・ちっ。少々不本意だったとは言え此処まで関わってしまった以上、彼女を囮に逃げるような鬼畜野郎にはなるのは流石に無理過ぎる。なので最悪奴に見つかった場合、俺が囮になって奴を引き離すしかあるまい。煙玉は仕込んだし、俺は逃げ足には相当な自信がある。どうにかなるだろ、多分。そろそろ発煙し始める頃合いだが、よもや水筒から煙は漏れてこないだろうな。漏れたら見つかるのは元より、毒煙だから俺達の身もヤバイ。先日一応漏れないことは確認はしておいたけど。


恐らく実時間はほんの僅か。だが、体感では永遠とも思える時間を経て。巨大なハグレの胴体は俺達の視界から消え、その気配も何処ぞへ去って行った。だが、未だ他の魔物の姿は見えないので、油断は禁物だ。


俺は大きく一息付いた。

この世界に飛ばされて以来、死に物狂いで磨き上げた技術と精神が、また一つ俺の命を窮地から拾ってくれた。ついでに王女様の命も。すると、王女様の身体が俺の腕の中でカタカタと震え始めた。余程怖かったんだろう。俺の眼からは彼女の後頭部しか見えないので、表情までは伺い知れない。流石に此のまま放り出すのはあんまりなので、俺は王女様を後ろから抱き締めてやった。誠に残念ながら固ってえ鎧を着ているので、まるで金属パイプを締め上げているような気分だ。でも、彼女の後頭部は何故かとても良い香りがした。


俺は特に掛ける言葉も無いので無言でそのままでいると、何時しか彼女の震えは収まっていた。





____俺達はいよいよ当初の目的地がある迷宮の10層目に足を踏み入れた。隣を歩く王女様はハグレと遭遇してからはめっきり口数が少なくなり、黙々と魔物を斬り倒して魔石を回収している。余程怖かったんだろうな。分かる。


一方で俺は危機感を抱いていた。勿論その原因は先程遭遇したハグレだ。奴に遭遇するまで、俺は例え王女様を一緒に連れていてもそう簡単に襲われることは無い、例え奴が近付いて来てももう少し簡単に撒けると思っていたのだ。だが、先刻は想像以上にギリギリだった。次は毒煙玉で奴の進行方向を誘導する等、もう少し工夫して対処しなければ、今度こそ本当に詰むかもしれん。


俺達は襲ってくる魔物共を蹴散らしながら、事前に地図で確認しておいた場所に向かって歩き進んでいくと・・。


この先が、俺がかつて足を踏み入れたあの場所であることは直ぐに分かった。

忌まわしい記憶にあるアノ臭いを、俺の発達した嗅覚が捉えたからだ。どうやら1発目でアタリを引けたらしいな。


更に歩き進むに連れて、嫌な気配と共にその臭いはどんどん強くなってゆく。漸く王女様にもその臭いが捉えられたようで、俺の隣で顔を顰めている。そして更に、俺達は鼻がひん曲がりそうな程の強烈な死臭に向かってひたすら歩き続ける。俺と王女様は口と鼻を粗末な布切れで覆った。気休め程度でも無いよりマシだ。心配になって彼女の方を振り向くと、眉根を寄せてデカい目はウルウルと涙目になっている。先程から何度も嘔吐いているので、彼女は後方に残して俺だけ先に行くことも考えたが、流石にこの付近に独りで残すのはリスクが高すぎる。


そして遂に、俺は目的の部屋の入口を視認した。その景観は記憶とも合致する。

先刻、俺達は9階層目でハグレに遭遇した。奴が其処から上層に行ってくれていれば良いが、そうでなければあの部屋の中に居る可能性が非常に高い。俺は予め二人で決めておいたハンドサインで王女様の歩みを止めると、気配を散らしながら部屋の入口まで忍び足で素早く移動した。


鏡やCCDなどがあれば良いのだが、生憎とそんなモノは所有して居ない。俺は背負い籠を床に置いて腰のホルダーから両手で二本のナイフ引き抜くと、更に改良を施したスパイク付草履と併用して音を立てないよう壁の天井付近まで身体を一気に引き上げた。そして、上から見下ろす形でゆっくり部屋の中を覗き込んだ。


・・・・居ないな。

幸運なことに、広大な部屋の中にはハグレも階層守護者の姿も見当たらなかった。だが、記憶よりもかなり景観が変わっているものの、相変わらず胸糞悪い光景が一面に広がっている。最近新鮮な獲物を大量に補充しやがったからな。正直、王女様をこの地獄のような部屋に踏み入らせるのはかなり躊躇われる。


充分に部屋の中の様子を確認した俺は無音で床に着地すると、背負い籠を担ぎ直して、ハンドサインで王女様に此方に来るよう合図を送った。何れにせよ、通路に独りで彼女を置いておくのは危険だ。


部屋の中を一望した王女様は暫しの間完全に固まっていたが、フリーズが解けた直後に部屋から飛び出して、胃の内容物を盛大にリバースし始めた。・・・まあ仕方ないか。2度目の俺でも吐き気がかなりキツいくらいだし。


俺は彼女が落ち着くのを待ってから、二人で因縁の部屋の中へと踏み込んだ。



「ひいっ!?」

俺達は周りを警戒しつつハグレの巣の中を歩いて居ると、すでに半ばは骨になっている死体の山から、相変わらず元気なこの部屋のスカベンジャー共がビチビチと派手に飛び掛かってきた。今の俺は流石に素手でビシバシとこいつ等をシバくのはキモすぎるので、槍の柄の方でビシバシと叩き飛ばす。王女様は先程から俺の二の腕にピッタリとコバンザメの様にくっついたままだ。流石に彼女に手分けしようとは言い辛い。


部屋の中には、身なりから恐らくは迷宮の外から連れ込まれたと思われる死体が幾つも散見された。周囲から微かな呻き声が聞こえるので、どうやら辛うじて生きている者達も居るようだ。だが、可哀想だが俺には如何しようも無い。すまんが成仏してくれ。俺は歩きながら更に注意深く周囲を捜索する。ルエンの姿は未だ確認できない。


「ああっ!」

すると、突如脇に居た王女様が叫び声を上げると、俺の二の腕から離れていきなり死体山の一つに向かって走り出した。俺が慌ててその後を追うと、彼女は半狂乱になってスカベンジャー共をとある死体から引き剥がして放り捨てていた。


こいつは・・・。

この鎧の形状には見覚えがある。確か討伐隊に参加していた王女様の取り巻きの騎士の一人だったハズだ。


其処には、同性の俺から見ても見目麗しかった取り巻きの騎士の余りにも変わり果てた姿があった。眼球はスカベンジャーに食われたのか空洞になっており、肌は土器色に染まった上、水分が抜けて老人の様に皺だらけだ。俺にも左程精細な記憶が残っている訳では無いが、生前の面影は欠片も残っていないだろう。


アリシス王女は死体の頭に両手を添えたまま、ポロポロと涙を零していた。


俺は無残な死体の傍まで近付くと、片膝を地面に降ろしてその姿を見下ろした。

生前のこいつは恐らくモテモテのイケメンで、更に高貴な出自の超エリートだったんだろう。高名な王女様のお付きをしていたくらいなんだからな。


お前みたいなの、俺の大嫌いな人種だよ。

だけど、だけどだ。

大切な主君の為に全てを投げ打ってその命すら捧げる。それは、俺なんかには決して真似出来ない生き様だ。それをどうして貶めたり馬鹿にする事などできるもんかよ。


其処には既に眼球は無かったが、俺は固くなった瞼を閉じて、両手を合わせて黙とうを捧げた。


「・・・頑張ったんだな。アンタが命を賭して守った王女様は、まだちゃんと 生きているよ。」


アンタの頑張りに免じて、王女様は生きて地上までちゃんと送り届けるよ。

だからもう、心配すんな。












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