第88話

壮絶に散っていったリザードマンズへの祈りを済ませた俺は、間を置かずに次の行動に移った。勿論、彼等の無残な最期に対して思う所は多々ある。それに、何処かへ逃げてしまったポルコの事も気にならないワケが無い。だが、今はその事に拘泥している時じゃない。あと半歩の距離まで差し迫った落命の危機はどうにか回避した。とはいえ、今の状況は最悪。俺のケツには火が付いた挙句、ボーボーに燃え盛って既に重度の熱傷になっている状態だ。無理矢理でも気持ちを切り替えて動かねば、直ぐにリザードマンズの後を追うことになっちまうだろう。


俺は目の前に転がる彼らの亡骸から、4号が持っていた円形盾と迷宮の地図、3号の武器である鉄棒、後は目に付いた道具の幾つかを手早く回収した。本当は遺品としてリザードマンズの身分証を回収してあげたかったのだが、完全にスプラッターな見た目の遺体に手を掛けて探し回るのは正直無理だ。俺のグロ耐性は其処まで限界を突破してはいない。それに、身分証と言っても実際どんなものかも良く分からない。実の所、リザードマンズの面々は狩人ギルドでは無く傭兵ギルドの所属なのだ。


リーダーが持っていた肉切り包丁のような蛮刀は回収を諦めた。見るからに業物ではあったが、小柄な俺が扱うにはサイズが大きすぎる上、耐久性を考えると刃の付いた得物を選択するのは今は的確とは言い難い。更に言うなら、あの武器は持ち運ぶには少々重量が嵩む。俺は戦闘中に壁際に放り出した荷物を担ぎ直すと、後ろ髪を引かれつつも振り返ることなく此の場を後にした。


惨劇の現場から暫く歩いて距離を取った俺は、丁度良い塩梅に袋道になっている通路を見付けた。奥行きは目視で5mてところか。その行き止まりで荷物を降ろした俺は、其の中からとある道具を取り出した。俺がこの迷宮に持ち込んだ臭い玉である。此の臭い玉は、俺がビタの集落に居た頃に貰った先輩狩人のゼネスさん謹製の狩り道具である。こいつは水をぶっ掛けると化学反応らしきものを起こし、強烈なアンモニアのような臭いを発散する。その臭いは動物や魔物除けになるのだ。その取扱いは慎重を要する。下手を打って汗などが染み込むと大惨事になるからだ。因みに、俺はゼネスさんに作り方を一応教えてもらったのだが、材料にビタの集落周辺でしか見掛けなかったモノがあるため、今の所手持ちの物を使い尽くしたらそれきりである。


俺は袋道から外に出ると、右の通路に臭い玉を置いて皮の水筒から丁寧に水を垂らした。貴重な貴重な水だが、今は背に腹は代えられない。この臭い玉の優れたところは、一度使っても表面を削れば再利用できるところだ。更に左側の元来た通路を少し戻り、ハグレと戦った場所から来た道へ臭い玉をナイフで4つに割って置いて水を垂らした。こうすれば臭い玉は一度きりの使い切りとなってしまうが、その効果は何倍にもなる。今は周りに魔物の気配は感じられないが、此の先にあるリザードマンズの死体には、相当数のスカベンジャーや魔物が直ぐに群がるはず。貴重な臭い玉を使い潰してでも用心するに越したことは無い。


袋道の奥へ戻った俺は、壁を背にズルズルと倒れる様に腰を下ろした。戦闘時の興奮はすっかり収まり、脳内物質の分泌もタネ切れのようだ。先程から右手だけでなく身体中が堪らなく痛む。それに酷く怠い。恐らくは発熱もしているだろう。一刻の猶予も無い。この後の処置が上手くいくかどうかで、今後の俺の命運が決まる。失敗すれば確実な死だ。


俺は止血の為にきつく縛ってある右手の布をゆっくりと剥がしてゆく。


べリベリベリ

ぐおおおおおお痛ってえええええ。


固まった血液と脂肪で固着した布を剥がしてゆくと、とてつもない激痛と共に再び血がドバドバ出てきた。その後、剥がした布で手首を縛って血流を止めた俺は、意を決して右手の処置に取り掛かる。まずは飛び出した骨を丁寧に成型しながら押し込んでゆく。正直、気が狂いそうな程痛い。目と鼻から貴重な水分がドバドバ溢れる。勿論出来る限り舐め取る。汚いと言う無かれ。コッチはガチで命賭けなんだよ。


その後、何度も何度も深呼吸して心を落ち着けた俺は、右手の甲に左手を添えて魔力を練り始める。そして、練り上げた魔力を左手に送り込んで、保持しながらゆっくりと変質していく。


すると、俺の左手が少しずつ淡く光り始めた。よしっイケるぞ!

同時に、ミシミシミシミシと不快な音と共に、右手の組織が癒着を始める。くうああああああ痛ってえええええええ。俺はプルプルと震えながらも歯を食い縛り、死に物狂いで回復魔法を維持し続ける。利き手である右手と比べれば回復力はかなり落ちるが、今はこれに頼るしかない。鍛錬は続けているが、俺はまだ頭や尻から回復魔法を発動することは出来ていない。左手迄潰されていたら完全にアウトだった。


そして相応の時間を必要としたものの、結果として右手の傷は少なくとも見た目は綺麗に治癒することができた。ふ~何度見てもマジで凄いわ回復魔法。試しに手をにぎにぎしてみたり指を様々な形にしてみたが、ちゃんと動く。骨も腱もどうにか繋がったようだ。そういえば先程回復している最中、一度魔物の気配がこの場所へ迫って来た。咄嗟に回復魔法を中断して鉄棒をひっ掴んだが、正直生きた心地がしなかったぜ。幸い、魔物の気配は臭い玉を仕掛けた辺りで方向転換して消えていった。ゼネスさんマジで命の恩人だわ。


そして、お次はいよいよ潰された左目である。俺がかつて試みた動物実験では、眼球の再生は問題なく成功した。それに左目の付近を触った感触では、眼球は轢き裂かれただけで抉り取られた訳では無いようだ。だが、不安要素はある。其れは左目を潰されてから随分と時間が経過してしまっている事だ。例えばこの世界のウサネズミなどの動物の腕なんかだと、切断してから体感1時間くらいであれば回復魔法でくっつけることが出来たが、2時間以上経過すると元に戻すことは出来なかった。今回の俺のケースでは眼球は欠損しては居ないので、回復魔法の効果が無い可能性は低いだろうが、正直不安は拭えない。


俺は治癒した右手を左目付近に当てて、再び何時ものように魔力を練り上げる。そして、今迄数え切れないくらい実践してきた回復魔法は、今回も淀み無く発動した。異音と共に左目に激痛が走る。それは即ち回復魔法の効果が現れている証拠だ。俺は思わず安堵の息を吐いた。


その後、たっぷり時間をかけて魔法の光を左目に存分に注ぎ込んだ俺は、恐る恐るその左目の瞼を開いてみた。


・・・おおぉ見える。

左の視界が開けた。近視、乱視、視野の欠損等の症状は無い。色も右目と同じように見える。


良かった。マジで良かった。

ちょっと泣きそうになった。昔、日本で読んだ漫画や小説じゃ主人公の片目が無くなるなんて大した事が無い様に扱われていたモノだが、リアルじゃとんでもない一大事である。当たり前だが。下手すりゃ其処で俺の人生ほぼ詰んでたかもしれねえ。勿論、魔物なんて居ない福祉環境や医療技術の発達した日本じゃ話は全く異なるだろう。だが、弱肉強食で生々しい生存競争剥き出しのこんな世界でもし片目を失ってしまったら、戦闘職としての俺の将来性はほぼ絶望に近いのではないだろうか。少なくとも高ランクの狩人に上り詰めるのは難しいだろう。それ程に視界の半分を失うということは影響がデカい。幾ら他の感覚器官で補ったとしても、人間は外部の情報の8割は視覚から得ているのだ。其の悪影響と戦闘能力の低下は計り知れないだろう。回復魔法を教えてもらって本当に助かった。ビタには何度感謝してもし切れないな。


だが、何時までも喜びに浸っているワケにはいかねえ。

今の俺は迷宮の奥深くで独りぼっち。生き残る為の生存戦略は寧ろ此処からが本番なのだ。幸い、6人分の食料や飲料水の過半は俺が担いでいたのでまだ余裕はある。だが、問題なのは迷宮を徘徊する恐ろしい魔物どもだ。


実はあのハグレに関してはそれ程心配してはいない。先の状況がイレギュラーでなければ、奴の周りでは他の魔物の気配が一切消える。しかも奴自身は迷宮の主を気取っているのか、一切その気配を隠す様子が無い。俺から見れば、鈴をジャラジャラ鳴らしながら移動しているようなものだ。しかも、リザードマンズの遺体の強烈な臭いや戦闘の余韻が残っていたことを考慮しても、奴は俺の不完全な隠形を全く看破できていなかった。なので、奴の獲物の索敵能力はそこまで高くは無いと見た。そんな訳で、ハグレに見つからない様にやり過ごすのは左程難しくないと見ている。だが、他の迷宮の魔物どもは話が別だ。果たして俺は、たった独りで魔物共を全部排除するなりやり過ごすなりして地上まで戻れんのか?迷い無く真っ直ぐズンズン進んだにも関わらず、此の階層まで来るのに数日掛かったんだぜ。その間何回魔物に襲われたよ。


・・・正直、コレもう詰んでんじゃね。

ふと、心の片隅を浸食した昏い諦観が、俺にそっと囁いた気がした。俺はそんな弱気を頭を振って必死で振り払った。



気を取り直した俺は、体内回復魔法を何度かぶっ放して肉体の他の損傷を癒した後、兎にも角にも4号の遺体から回収した此の迷宮の地図を広げてみた。



そして、俺は絶望した。

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