第53話

宿屋に戻った俺は、森に帰るために荷物を纏めていた。俺がズタボロの痣だらけの姿で宿屋に戻ってくるのにもすっかり慣れたもので、宿屋の親父は何も言わなくなっていた。部屋の中で日用品を背負い籠に詰め込んで、貫頭衣を脱ぎ捨てた俺は、ふと自分の身体に目を落とす。


そこには恐るべきモノがあった。


元々弛んでいたわけではなかった俺の身体ではあったが、そこにはバッキバキになったとんでもねえ肉体が威容を放っていた。地球のボディビルダー程のバルクは無いが、カットのキレはそれを上回るかもしれねえ。盛り上がった大胸筋に毎日ゾルゲの蹴りやパンチを食らっていたせいか、カッチコチに固まった綺麗な6パックに腹斜筋もバキバキに盛り上がっている。


体質的に自分の6パックなんて一生お目に掛かれないと思っていた俺だが、こんな異界で初めて目にすることになるとはな。僅か3か月でこの肉体の変貌は異常すぎる。恐らくはゾルゲの狂気のシゴキによる肉体の徹底した破壊と回復魔法による超回復を繰り返しまくったことによる肉体改造の成れの果てと言った所か。


こうして改めて目に見えた成果を見ると俄然やる気が出てくるというものだ。

翌朝、通常では身体が保たないので3人前に増量してもらっていた朝食を搔き込んだ俺は、意気揚々と背負い籠を担いで森へ向かった。


久しぶりに訪れた建造中の俺の簡易拠点は、雑草や蔦のようなものに覆われてはいたものの、思いのほか荒れてはいなかった。他の人間が侵入した痕跡も無い。

隠してあった石斧や大切な弓の状態を確認した俺は、早速馴染んだ原始人スタイルに戻って拠点の修繕に取り掛かった。



俺が森の拠点に帰ってから1か月後。

俺は狩人ギルドの受付カウンターで、再び見習い狩人の教育実習の申し込みをしている。ギルド職員は物凄く嫌そうな顔をしたが、俺が懇願すると渋々手続きをしてくれた。因みに俺の前に居るのは初めてギルドに来た時に世話になった人事担当のおばちゃんだ。この数か月で顔見知りになったおばちゃんが押しに弱いことは把握済みだ。ついでに担当教官をゾルゲにして欲しいと頼み込む。


通常、見習い側から教官を指名することは出来ないが、声が掛かればゾルゲが仕事を受けるのは間違いないだろう。引退したゾルゲはどうせヒマだろうし、その為に煽っておいたんだしな。


そして俺の目論見通り、今回も教育実習の担当教官の一人はゾルゲに確定した。もう一人はシャーレさんではなく長身の男である。灰色の髪を後ろで束ね、狐顔の釣り上がった眼は鋭い光を放っている。使い込まれた皮鎧に身を包んでいかにも強者て感じの見た目をしている。


早朝に訓練所へとやって来た俺は、次々と現れる他の見習いにゾルゲのヤバさを切々と語り聞かせた。そのお陰で他の見習いの8名は狐顔のもう一人の教官を選んでくれた。だが、一人の粗末な身なりの貧乏そうな少年が此方に来てしまった。可哀想だがご愁傷さまだ。あちらの8名はあれだけヤバさを語ったにも拘らずゾルゲを選んだ俺を胡散臭そうに眺めている。そして、


「付いてこい。」

ギルド職員が去ると、まるであの時のリプレイのごとくゾルゲはズンズンと俺達に背を向けて歩き出した。


「振れ。」

ゾルゲの端的過ぎる合図を耳にした俺は、目の前に投げ渡されたデカい丸太剣の柄を掴む。おっこれは1月前まで俺が振ってた奴だな。少しは気が利くじゃねえか。

すっかり手に馴染んだ柄を握り込むと、俺は何時ものようにブンッブンッと丸太剣の素振りを始めた。一振り一振り入魂の素振りである。少しでも手を抜いたらゾルゲの蹴りか拳が襲ってくる。


貧乏少年は一連の流れに呆然と固まっていたが、俺がブンブンと丸太剣を振りまくっているのを見て慌てて自分も剣を手に取った。が、その重さにヨロけて青ざめている。貧乏でゾルゲを選ぶしかなかったのは同情するが、俺は貧乏少年に一切手を貸す気はない。此処から先は自分次第だし、ゾルゲの狂気のシゴキは俺が手を貸した所でどうこうできるモノじゃない。それに、下手すりゃ無断で手を貸した俺がゾルゲにぶん殴られる。


「やめろ。」

素振りきっかり2000本でゾルゲの声が掛かった。

俺は今では1振り2秒くらいで振れるので、地球時間にすると都合1時間余りになるだろうか。4か月間コイツを振り続けた俺だが、今でも素振りが終わる頃には身体は泥のように疲れ切って腕の感覚は一切無くなる。


因みに俺は拠点に戻ってからも、森の大木の枝を石刀で削り出して素振りを継続した。それは自作の丸太剣の作成期間を除けば1日も欠かさず続けている。


そういえば、小説なんかで毎朝1万本素振りするなどと寝言を言っていてるのを見たことがあるが、そんなことしてたら其れだけで1日終わってしまうだろう。顎をピコピコ上下する腕立て伏せのような適当な素振りでもしてるんだろうか。


早々にぶっ倒れた貧乏少年はゲロに塗れて俺の横で転がっている。トドメはゾルゲの蹴りだったようだ。バレない程度に軽く回復魔法でも掛けておいてやろうか。


その前に、疲労困憊息も絶え絶えで胸に手を当てたフリをした俺は、偽装回復を発動させる。いや、疲労困憊なのはフリでは無いか。そして、貧乏少年を介抱するフリをして再び抑え気味に偽装回復を発動させた。


俺の回復魔法は回復力こそ以前と左程変化は無いが、練度は飛躍的に向上した。今では発動までの時間はなんと10秒を割っている。さらに言えば、身体に多少の痛みや疲労があってもそれを物ともせず発動できるようになった。自主鍛錬ではどれだけ反復練習をしても一向に向上しなかったのに、我ながら追い詰められた時の人間の適応力には恐れ入る。


回復魔法が効いたのか、どうにか起き上がることが出来た貧乏少年であったが、待ち受けていたのは更なる地獄であった。模擬戦でゾルゲにあっという間に叩きのめされた貧乏少年は、泡を吹いて痙攣しながら地面に転がった。こいつはヤバイと判断した俺は、介抱しながら再び偽装回復を発動させる。致命傷ではないと思うが、いけるか?・・と、どうにか危機は脱したようだ。


おいおいもしあのまま逝っちゃったらどうするつもりだったんだよゾルゲ。相変わらずヤバすぎるだろ。


・・・いや、別にどうも成らないかもしれん。見習いの生き死になど所詮その程度のものだ。ゾルゲのような教官の存在が許されているのがその証明であろう。薄々分かっちゃいたことだが、俺はこの世界の人間の命の軽さに戦慄した。いや、軽いというよりは身分や立場で命の重さがきっちりと選別されているというべきか。


それはさておき。その後、何時ものように何度もゾルゲに叩きのめされた俺は、グースカ気絶してた貧乏少年を文字通り叩き起こすと、宿屋に戻って回復魔法で身体を癒した後、ゾルゲにリベンジを誓って就寝した。


翌朝。貧乏少年は案の定訓練所に姿を現さなかった。全身バキバキで動けないのかも知れないが、早々に逃げていても不思議ではない。寧ろ逃げない方がどうかしてる。


その後、何時ものように素振りを終えた俺が模擬戦の為に気合を入れていると、倉庫の中でゴソゴソしていたゾルゲが錆びてボロボロになった金属鎧のようなものを引っ張り出してきた。


「立ってろ。」

俺は言われてその場で立っていると、ゾルゲは俺にその錆鎧を装着し始めた。ベルトのようなもので各パーツを手際よく身体に固定してゆく。ゾルゲのバカ力でベルトをギュッと締めるので痛い。あれ?これって自分で脱げないんじゃ。


「付いてこい。」

ゾルゲはズンズンと歩き出した。成る程。遂に素振り以外のメニューのお目見えってワケか。俺は嫌な予感しかしない。あと錆鎧を着込んだ身体がクソ重い。


俺はゾルゲの後について歩き出した。



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