33 AI
33 AI
「ところで、その子にはどんな名前を付けたんだい?」
カップに新たになみなみとコーヒーを注いできた博士は、再びソファに腰を下ろし、開口一番にそう言った。
「え?」
「名前だよ、名前。識別ネームを新しく付けないと動かない仕様にしたからね」
コーヒーを一口啜った後、口元を綻ばせ、それで、なんて付けたんだい? と改めて聞いてきた。
「あの……、アワレ、です」
博士は俺の言葉を噛み締めるように、アワレ、アワレかと呟いた。
「面白い名だ。それは意識してつけたのかい?」
「いえ、何となくです。ほとんど、適当につけました」
「そうか。いや、いいんじゃないか?」
博士はアワレに向かい、良い名を貰ったな、と微笑んだ。
「はい、私は果報者で御座います」
博士の微笑みに対し、アワレは満面の笑みを返す。
「いい顔で笑うじゃないか」
博士は満足そうに頷いて、俺へと向き直った。
「武文君」
「……はい」
「君の気持ちもよく分かる。実際に、君にとって大切なこの子が動かなくなってしまうのは、そりゃあ哀しいだろう」
俺はこちらを真っ直ぐに見つめている博士に、目線を返すことが出来なかった。頭痛を恐れているからではない。改めて突きつけられた現実と、目を合わせることが、怖かったんだ。
「私も、妻を亡くしている」
博士の言葉に、思わず顔を上げた。ところが、今度は博士が写真へと視線を移していた為、視線がぶつかる事は無かった。彼に倣い、写真へと目を動かす。
「彼女は私にとって、良き恋人であり、良き妻であった。残念ながら子宝には恵まれなかったから、良き母にしてやる事は出来なかったが……」
博士の瞳が、思い出を愛で、慈しむような優しいものに変わる。
「彼女を亡くした時、ポッカリなんて言葉では到底表せない程の、大きな大きな穴が空いた。半身を失うような苦しみとは、よく言ったものだよ。彼女を亡くすまで、気付くことにも顧みることにも不器用だった、私自身の落ち度は大きい。気が狂わんばかりの喪失感を受けて、そこでふと思ったわけさ。もし、私が先にこの世を去っていたのなら、彼女はきっと、私以上の苦しみを味わっていただろう、ってね」
博士は隅にあった写真を手元に引き寄せて、その中の奥さんに語りかけるように、小さくふふっと笑った。
「思い上がりなんかじゃない。私と彼女には、確かにそれ程の深い絆があったんだ。他人が何を言おうと、私達にしか分からないものが、確かにあったんだ……、それを見つけたのは、彼女を亡くしてからの事だったがね」
博士はそこでこちらを向いた。その雄弁な瞳を追いかけていた俺は、顔を上げた博士と、思わず目があった。その瞳は真っ直ぐに、俺に語りかけてくる。
――君なら、分かるんじゃないか?
そう言われた気がした。
「……分かりません」
思わず、口から零れた。
「そうだろうか? 君はこの子に、こんなに素敵な笑顔をさせる事が出来ているのに?」
博士がにこやかに笑う。
アワレの顔を見つめた。アワレもこちらを見て、笑顔を返してくれる。
「でも、こいつはいつも笑っていますし、最初から、そう言うプログラムが組まれているんじゃ……」
「武文様」
アワレが珍しく、俺の言葉を遮る。
「このアワレめには、常に笑っていろなどと言うプログラムは組み込まれてはおりません。武文様のお傍に居ります時、微笑ましく思うことばかりなので御座います。武文様が、私に笑顔を与えてくださっているのです」
そう言ってアワレは笑う。やっぱり、笑うのだ……。
「この子達へのプログラムは、現在は必要最低限のものしか組み込んではいないよ。後はAIの成長に任せている」
博士はずり落ちそうな眼鏡を直しながら、愉快そうに語った。
「成長って、機械が成長なんてするんですか? AIって、機械に感情を与える為のものじゃないんですか?」
「そうか、そこに齟齬が生じているのか。AIが感情を生み出す機能を持っている事は間違いない。だが、それはあくまで、感情を生み出せるようになると言う結果でしかない。AIとは、外部の刺激などを自動的に取り込み、自己で成長を続けていくプログラムのことだ。その成長の過程で、外界との交渉術の為に、細かい感情が生み出されると言うことだ」
博士は嬉々として話し続ける。
「それに、人間でも感情を表現するのが下手な人がいるだろう? 上手く笑えない、怒れない、泣けない、楽しめない。だが、それが表に出ないだけで、その人がそれを感じていないかと言えば、そんな事は無いだろう? いつも笑顔でも、実は怒りを堪えている人や、無理に笑って、哀しみを抑えこむ人もいるだろう? この子達も一緒だ。感じると言う能力はあっても、それを怒りや哀しみとして外に表現する術を持たないんだ……」
先程までとは変わり、博士は物静かに、哀しげに笑った。どこか自分を嘲るようなその笑いに、怒りや哀しみを削り取った事が、真意では無いかのように感じる。
「さて、それじゃあ聞くが、AIは成長するもので、感情を生み出すものだ。じゃあ、この機能を人間に例えたとしたら?」
博士の言葉に押し出されるように、俺の口は自然と開いていた。
「心、ですか?」
博士は満足そうに頷いた。
「ネオプラスチウムは、言ってしまえば途中の過程で必要になった為に無理矢理生み出した副産物だ。そちらの名が一人歩きしてしまっているが、私は、このAIのメインプログラムを完成させることが、私が生まれてきた理由の一つだと、信じている」
博士の手の中の、二杯目のコーヒーが空になる。空気が張り詰めた静謐な空間に、コーヒーカップが置かれる音が、一時響いた。
「武文様」
アワレの声に、顔を向ける。
「武文様が、色々とお考えになられるのは、とても素敵な事です。ですが……」
アワレは、綺麗に笑った。
「アワレは、幸せなのですよ?」
その笑顔に思わず、世界が滲む。
「武文様、アワレの為に、泣いて下さるのですか?」
「……うるさい」
「勿体無う御座います」
アワレがほんの少しだけ、困ったように眉根を寄せた。
目元を擦り、世界をクリアにする。
博士の言っている事が、漸く理解できた。
アワレは俺の事を、確かに想ってくれている。そして、俺もその事を、確かに理解している。
博士の顔を見ると、先程よりも少しだけ厳しい目つきで、こちらを見据えていた。
その瞳が、再び語りかけてくる。
――君なら、分かるだろう?
再び滲みそうになる世界を、手で覆い隠した。
後は俺自身の、覚悟の問題なのだと、悟った……。
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